「お会いできて光栄です」

  • 2015.12.31 Thursday
  • 15:02


諸先輩方と集まって 世間話をしている時の事。

Aさん「アメリカだと訪問販売がないし 回覧板もないし

突然 家を直接訪ねてくる人がないから いつまでもパジャマ姿で

うろうろしていてもいいから その点日本と違って気が楽だわ」

Bさん「そうよねえ。近所の人が訪ねてくることも少ないしね。

出かけなければ お化粧もせず すっぴんのまま一日いることもあるわ」

それを聞いて 

私「訪問者といえば、宗教関係の勧誘の人が来ませんか?

うちのほうは、日本人の人が数人で勧誘に来ますよ。

どうして我が家が日本人だってわかるのか不思議なんですけど」

というと、

Bさん「きっとコミュニティー名簿か何かをどこからか手に入れるのでしょうねえ」

するとAさん、「日本人じゃなくて 青い目の人も宗教の勧誘に

来たことがあってね。うちは仏教だから 仏教徒(Buddhist)ですから

結構ですって言おうとしてね。“I am Buddha.” (私は仏です)って

言ってしまったのよ。そしたら、相手の人が 何か言ってたのね。

彼らが帰った後 そばにいた娘が後で言うのに 

あの人たち『お会いできて光栄です』って言ってたよ。

って言われてね。大笑い。私は おおまじめに応対して

仏教徒だっていうつもりだったんだけどねえ」

と言ってAさんは、からからと笑い。

皆もつられて笑ってしまった。

 

それにしても、その宗教関係の勧誘の若い兄ちゃんたち、

(その時勧誘に訪れたのは、男前の青い目の若者だったそうだ)

びっくらこいただろうねえ。

普通のおうちのアジア人のおばちゃんが 私はブッダですって

言ったら。

その返答が「お会いできて光栄です」って気の利いたご挨拶だこと。

 

英語圏で生活するとういことは、

ただ「仏教徒」と言うのにもまごまごするわけで

ことほど左様に大変ってお話。



皆さま、今年も大変お世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。


アメリカ生活20年

  • 2015.12.30 Wednesday
  • 05:10
2015年、今年もあと数日を残すのみとなった。

今年で 私のアメリ生活は20年の節目を迎えた。

あっという間の20年、異文化生活にまごまごしながら、

しゃにむに走ってきたように思う。

英語がほとんど理解できず、

「話せない、聞こえない、読めない」

自分はまるでヘレンケラーのようだと思った最初のころを

思い出すと笑える。

一生懸命だったなあ。あの頃は。

英語に関しては いまだに四苦八苦しているが 

今は、5歳児くらいには成長したかもしれない。

 

アメリカ生活といえば、面白い話がある。

201010月に亡くなった父との思い出話だ。

亡父は昔気質の厳しい人だった。

私が結婚したとき、父は、

嫁に行ったらもう戻ってくるところはないぞ」と言った。

そう言われて、若かった私は頑張った。

帰るところはないのだから 自分で 何でも解決して生きていかなくては・・・と。

甘ちゃんだった私が 苦しいことがあっても親に泣きつかなかったのは 

その言葉がいつもあったからだと思う。

 

ところが、私がアメリカ生活を始めると急に父が

「いつでも離婚して帰ってこい」と言い始めた。

「別にアメリカくんだりで大変な生活しなくてもいいじゃないか。

日本に帰って来て 母の面倒をみてくれよ」と。

 

それを聞いたとき、もっと早くその言葉を聞いていたら

人生が変わったかもしれないのに・・・と私は、母と笑いあった。

親心というのはそんなものかと今でも思い出す。

 

亡き父は、戦後、起業して がしがし働いた。

会社は、運よく日本の高度成長の波に乗った。

子供の目から見ても よく頑張っていたと思う。

そして、成長期が過ぎたとき あっさりとそれまでの業務を

止めてしまった。55歳だった。

その語は 25年以上 屋久島で 農作業をしたり

船を出して魚釣りをしたりと悠々自適に暮らしていた。

戦中戦後の貧しい時代にやりたくてもできなかったこと、

やり残したことのいくつかを取り戻したいとでも思っているかのようだった。

そして、好きな野良仕事の最中に大動脈瘤破裂で

倒れこんで そのまま亡くなった。あっけないものだった。

突然の死だった。

 

そして、母が1人残った。

母は 急に気弱になり 弟家族と隣合わせのマンションに

引っ越して住み始めて今年で4年になる。

やっと最近一人残された不安から立ち直ったように見えるが、

つい最近まで心細そうにしていた。

私にとって父の死は、あまりにも突然で、

アメリカに来てからの20年間、ほとんど会えなかったのが

今となっては悔やまれる。

遠く離れて暮らしているので 

親の死に目には会えないであろうと覚悟はしていたが

父とは持てなかった一緒に過ごす時間を

母には 努力して作ろうと思っている。

母との時間を大切にしたい。

母には出来だけのことをしたいと思っているこの頃だ。


JUGEMテーマ:家庭

古暦

  • 2015.12.06 Sunday
  • 16:27

 

日々つづるメモで真黒(まくろ)き古暦高木美津子)

季語=古暦 冬 12月の季語

 

今日は土曜日、125日だ。

もう、日にちも変わろうという時刻。

 

12月も最初の週が終わる。

毎年思うけれど 

11月の終わりのサンクスギビングホリデーのころから

12年、お正月は あっという間に過ぎてゆく。

 

この時期、お休みが集中しているから

なんか普段忙しく働いている人たちは うれしそう。

クリスマスの前後から11日まで まとめて休みを取る人が多い。

学校は 冬休みになるし。

 

ホリデーシーズンねえ。

休みを取ることに慣れていない日本人は 

なんとなくどうしていいのかわからずムズムズしちゃう季節。

 

このころからクリスマスソングが 

ひっきりなしにラジオから流れ始める。

 

楽しいなあ。うれしいなあ。

と、うきうきのんきにしていたいけど

主婦はそうはいかない。

 

クリスマスギフトを用意しなくちゃ。 

もう、友人から クリスマスカードが届いた。

早いなあ。

月ごとのカレンダーは いつの間にか 最後の一枚になっている。

なんだかせわしないことこの上ない。

別に せわしなくしなくてもいいんだけどね。

でも、なんだかせわしなくなってしまうんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

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