俳句は大人の遊び

  • 2014.06.27 Friday
  • 13:19

 この間、インターネットで文芸選評というラジオの俳句番組(短歌もある)を

聞いていたら「俳句は難しいですね」というゲストに 選者の先生が

「難しいから大人の遊びなんですよ」と答えていた。

 

最近は俳句甲子園などという全国の高校生が参加する

かなり高度な俳句大会もあるし、

小学生が俳句を自由に作っているところが

俳句番組の中で紹介されていたりするので 

一概に大人の遊びとは

言えないかもしれないけれど 俳句を鑑賞したり 

作ったりするのはいくつになってもできるので

やはり究極の大人の遊びかもしれない。

 

その番組の中で選者の先生が俳句の作り方の基本になると

思われることを短い言葉で言っていた。

 

それは、

「引き算の文学(足してはいけない)」

「掛け算になる」

「季語を信頼する」

3つ。

 

まず、一つ目「俳句は引き算の文学」について、

 

俳句は5・7・5の中にすべてを集約して表現するわけだから 

削って削って17文字にして 作品を完成させていく。

時には、いいたいことがほとばしり 17文字からはみ出して 

字余りになってしまうこともある。            

そういう時、

「俳句は引き算の文学」と心して 何を削れるか?を考える。

 

そのとき大事なのが2つ目のポイントの「季語を信頼する」ということ。

俳句には 必ず季語を入れなければならない。この季語で17文字のうちの

何文字かを費やすので季語を無駄に使ってはいけない

表現したいものに季語を上手にダブらせる=季語を信頼する」ことが

俳句を上手に作るコツだ。

 

引き算する、すなわち言葉をそぎ落として

鋭利に研ぎ澄ましていくと、

ポイントその3の「掛け算になる」のが俳句だ。

 

たとえば、6月の季語「夏座布団」で一句作ってみる。

歳時記によると「夏専用の座布団。さらりとした肌触りの麻布のもの、

イグサのもの、革のものなどがある。また、わざわざ作らずに、

普通の座布団に縮地などのカバーをかけて使うこともある」

となっている。

 

「夏座布団」というと、ごわごわした涼しげな感触を思い出す。

夏を迎えるわくわく感、さらさらした清潔感などを連想する。

 

 帰郷の日夏座布団を整える(みつこ)

 

成人して家を出た子らが里帰りするのをいそいそと待つ母の姿・・・。

 

 夏座布団父縁側でごろ寝する(みつこ)

 

ごろ寝するときに座布団を枕にしていた父。

夏座布団の感触がなんとも心地よくてついうとうとしてしまう。 

 

二つ目の句は、夏座布団が一音字余りだが、

上五の字余りは 許容範囲内か?

最後が「ん」なので 許容範囲とするか?

 

まったくもって、難しい。難しいから面白い。

言葉をこね回しああでもない、こうでもないとやってみる。

同じことを言うのでも あの言葉、こちらの表現と言い方を

変えてみる。

最終的に 最初の言葉に戻ったりすることもあるが、

自分のいいたいことが17文字にはまったときの快感は格別だ。

達成感が半端ではない。

引き算することで掛け算になることを

実感するのもそういうときだ。

 

削って削って17文字にするとそこに無限の景色が現れる。

 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

天心(真のグローバル化)

  • 2014.06.11 Wednesday
  • 15:33

先月、ロスとオレンジカウンティー、サンディエゴで

日本映画祭が開催され、その中のひとつ「天心」を見に行った。

 

時代は、明治初期、日本画の新たなる道を目指して

岡倉天心に師事した弟子たちの気迫ある修行時代を描いた映画だ。

天心自身は画家などではなく 日本画壇の創設者であり

ボストン美術館の日本美術関係顧問であり、英語で「茶の本」他を執筆した。

映画では 天心が 東京開成学校(後の東大)講師、アーネスト・フェノローサ

とともに 日本美術を守ることに力を尽くし、日本美術学校を創設するが

騒動に巻き込まれ35歳でそこを追われた後、彼を慕う弟子たちとともに

芸術の聖地とした茨城県五浦に六角堂を建て、

そこで過ごした弟子たちの過酷な修行の日々を追う。

鬼気迫るその厳しさの中から 後の日本画の巨匠、横山大観、菱田春草などが

生まれていく。

 

その厳しさは、まさに 芸術も武士道から。

そして、すごいねえ、天心。英語で本を書くなんて

あの時代の人たちって どうしてそんなすごいんだろう??

英語で論文も書けるような人が もっとも日本的な日本の美術を

守っていくことに命を懸けた。なんとも深い感動がある。

 

日本の文化ってすばらしいな。

真のグローバル化とは、天心のように、自国の文化に誇りを持った人によって

成し遂げられるのだろう。

生半可はいけない。


JUGEMテーマ:映画

リアクションが・・・すごっ!

  • 2014.06.10 Tuesday
  • 16:28

Iさんに誘われて 数人でランチに出かけた。

彼女は ご主人の仕事の関係で こちらに来ている。

まだ こちらで暮らして数年しか経っていないのだが

いろんなところに 積極的に 出かけ、いろんなことを

知っていて、いろんなことに挑戦しているというのが

彼女と話しているとおのずとわかる。

行動的でおもいっきり明るい性格。だから、お友達も多い。

ととろ図書館で ボランティアをしてくれている。

 

とにかく 彼女は すごい。

いろんなレストランを知っている。

 

今回も「ラグナビーチの古いホテルの上に

おしゃれで美味しいカフェがあるから ランチに行こう!」

と誘ってくれた。「たまにはいいね」と出かけた。

 

ラグナビーチはおしゃれな街、芸術家たちが集まって住んでいる。

このあたりの都市のなかにあって ラグナビーチは歴史が古く、

独特の雰囲気がある。

あちこちにアートギャラリーがあり、地元の人たちはもとより

観光客にも愛されている。

歴史の浅いアメリカ西海岸のなかでも 古い街に分類される

=(1894年の地図に 今の町並みのあたりに24個の建物が 

印されている)。この新しい開拓地で 100年以上の歴史が

あるというのは、かなりのものだ。

そして、おしゃれで 美味しいレストランが あちこちにある。

 

今回行ったところは、太平洋に沈む夕日が美しいというので

名物のバーラウンジで 一度、ハッピーアワー(午後の早い時間に

お得値段でお酒が飲める)に行ったことがあったが 

昼は初めての場所だった。

 

そこは、歴史が感じられる海辺の古いホテルの屋上で 

眼下に太平洋が 見渡せる。夕日はもちろん素敵だったが、

昼間も 素敵。人気の場所だというのがうなずける。

その店は、テーブル数が少ない上に 予約を取らない。

早めに行って 席を確保しないと せっかく行っても

座れないという事態になりかねない。

そこで少し早めに 11時半に集合ということになっていた。

私は パーキングを探すのに手間取ったので 少し遅れて着いた。

うろ覚えの入り口から 階段を上って バーに着くと

Iさんは ちゃんと早めに来て席を取ってくれていた。

そして、もう一人 彼女の友人だという人が 待っていてくれた。

「すみません。遅れて」と席について、彼女のお友達にもご挨拶。

そして、メニューを見ながら 何を食べようかと3人で悩み、

ごくごく普通に 時間が流れ・・・。

 

しばらくして周りを見ると 平日の昼間だというのに 

12時を過ぎたとたんに お店は 満員御礼。女性が多かった。

 

と、一人の白人のおばさんが 遅れてやってきた。

・・・と突然 おっきな声が上がり 大感激の再会模様が 

私たちの隣のテーブルで 持ち上がった。

あまりの大騒ぎに 振り向いてしまったほど。

 

振り向いたIさん、

「あんまりすごいリアクションだったから 恋人との待ち合わせかと思ったら

女同士だったよ。彼らのあのテンションは何なんだろう?」

そのコメントに

「そうだね。あの迫力は 我々(日本人)にはないね」

と、私。自分も遅れてきたことを思い出したので

「私も さっき遅れてきたとき あのくらい感激しないと

いけなかったかもね」

と思わず付け加えたのだが・・・。

 

気持の表し方は 何年こちらで暮らそうと日本人のままな自分に気付く。

とにかく、彼らの中にいると 完璧に負ける。

ぼーーとしているから 他人よりもさらにそういうのが苦手だからね。

 

ひょんなことから倭撫子(やまとなでしこ)な自分を感じた瞬間であった。

(そんなばかな!と笑っているの誰??)



日本語を大切に

  • 2014.06.09 Monday
  • 16:00

木曜日朝の日本語放送に「Nice to Meet You!」と

いうインタビュー番組がある。

毎週 こちらに住んでいる著名人がゲストとして登場する。

その番組の数週間前のゲストが渡辺正清氏だった。

 

渡辺氏は、「ワインのプリンス長沢鼎」↓の本を出版したあの方だ。

http://americajijo.jugem.jp/?eid=871

お会いして お話を聞いて、本を読んでみると

その緻密な取材と資料集めにかける情熱には すさまじいものがあり

そのお話をもう一度 聞きたくてテレビをつけた。

 

「長沢鼎」を執筆するために 十数年(20年を費やしたとか)をかけて 

鹿児島、イギリス、アメリカ東海岸、アメリカ西海岸サンタローザと

取材した様子を もう一度 聞いて、さらに感心した。

 

「最後にこれからどのようなお仕事を考えていますか?」

とインタビュアーからの問いに

「自分の年を考えるとこれから新たなものを探し出して作り上げることは

無理だと思うので 今まで取材したものを仕上げる形での作品作りに

なると思います。十年以上かけて 取材をして それから その資料を

まとめてまた長い時間をかけて 一冊の本にするには 時間が足りないです」

と答えられていた。

 

そして、その後、「ところで、日本語放送であるにもかかわらず

この番組のタイトルがNice to meet you!では まずいでしょう。

言葉は 大切にしなくてはなりません。日本語のタイトルにすべきです」

と番組に注文していた。

「私はね。子供に パパとかママとか呼ばせる親の気が知れません。

うちでは子供たちが私のことを呼ぶときは、小さいときはお父ちゃん

でした。大きくなってからは おとうと呼ばれています」

と。

 

「お父ちゃん」懐かしい響きだ。

 

「パパ、ママ」は 私もこっぱずかしくて 子供たちには

「お父さん、お母さん」と呼ばせた口だが・・・。

カタカナ語がすべて 悪いとは 思わない。

 

が、しかし、最近、自分の日本語については 多少の危惧を抱いている。

日本語が 出てこないときがある。

その代わりに カタカナ英語が出てくることがある。

英語をしゃべれるわけでもないのに 日本語の中に混じって浮かんでくる。

困った現象だ。

 

友達と話をすれば あれあれ、あれなんていったっけ?

あのー、あの人、なんて名前だっけ?

と、ボケボケ模様を呈する。

加えて、日本語は まだらな英語交じり・・・だなんて

あーー、年は取りたくない。

 

日本語の大切さ説く人の居てカタカナ混じる我を恥じ入る(みつこ)


JUGEMテーマ:気になること

フリーウェーで未知との遭遇

  • 2014.06.08 Sunday
  • 17:23
フリーウェーであわやの出来事があった。

数日前 家に帰ろうとフリーウェーを走っていたら
突然黒いビニールのようなものが コロンコロンと

目の前の道路に現れた。

高速走行中とて それは一瞬の出来事だった。

その時 私は60マイル(時速100キロ)くらいで走っていた。

黒い物体は、 ゴミ袋に見えた。
「避けるよりは 踏んでしまった方がいい」

と判断しそのまま直進した。

なにしろ超運動神経鈍いので 

とっさにハンドルを切るってのがなかなかできない。

ってのが 正直な話。

そして、黒い物体を 轢いてしまった。
ガガガーと衝撃音。
ビニール袋だと思ったそれは かなり硬いものだった。

「あちゃー!車が壊れるー!」

さらに前方には 大小の黒い破片があちこちに落ちていた。
それは パンクして散らばったタイヤの破片だった。

このあたりのフリーウェーには、よく物が落ちている。
小さいものだとジュースの空き缶とか、

大きなものだと 家具類、

引越し中の荷物が荷台から落ちて 道路をふさいでいたり、

運送途中の大きなダンボール箱が荷崩れを起こして 散乱していたり、

軽いものだとスーパーのビニール袋がふわふわよく舞っている。

だから、黒いゴミ袋だと判断したのだけれど

今回 私が轢いてしまったのは 

バースト(パンクして破裂した)したタイヤの破片だった。

小さいけれどタイヤの破片は とても硬い。 侮れない。

かなりの衝撃が 感じられた。

 

もしかして車のどこかが破損したかも・・・と心配になった。

幸いにも、何事も無く走って帰ってこられたが・・・。

 

そして、一度あることは二度あるらしい。

 

今日、同じくフリーウェーを走っていると、

突然、真正面から 丸い円盤が 飛んできた。

直径50センチくらいの丸い物体が どこからともなく現れた。

数日前、硬い物体を踏んでしまって肝を冷やしたことを

一瞬で思い出した私は、

その丸いものが 硬くて重たいものだったら・・・と考えた。

それが、フロントガラスに衝突したら ガラスは粉々になり

顔面に襲いかかる。命が危ない!!!

 

その判断にいたるのに、何秒とかからなかった。

いつもは 障害物をよけたりしないのだが、

なぜって 何車線もあるフリーウェーで 変な動きをすれば

周りの車と接触して 大事故になる。

そんな危険なことをするより 障害物を受け止めたほうが

危険度は少ないと思われる。

「フリーッウェーでは むやみと障害物をよけないこと」

アメリカ生活を始めた頃に 誰かにそういう風に教えられたような気がする。

 

が、今回は、違った。

急ハンドルを切り なんとか丸い物体を回避。

一瞬の蛇行運転。怖っ!

幸い隣の車線にはみ出すことも無く 

急ハンドルのために 車が横転・・・などということも無く 

無事にやり過ごした。

よかったあ。こんな危ない運転しちゃいけないよ!

くわばらくわばら!!

 

しかし、その物体をよけた瞬間、

その物体は 至近距離で後ろへと飛び去っていったのだが、

その正体が明らかになった。

プラスティックの円形のごみ箱の蓋だった(のように見えた)。

 

なーんだ。ぶつかったって 痛くもかゆくもないプラスティックかあ。

体当たりしたってへでもなかったなあ。

自ら危険運転に 初めて挑んだってのに 相手はゴミ箱の蓋かい??

なんてこったあ!

 

でも、二度あることは三度あるっていうから

フリーウェーでの未知との遭遇には しばらく気をつけよう。



JUGEMテーマ:興味深い話題・出来事など

ビザとステータスの違いって??

  • 2014.06.05 Thursday
  • 02:42
日本人がアメリカに住む場合、
観光以外の目的での長期滞在をするときには
ビザが必要になる・・・のだと思っていたら
大きな間違いだった。

ビザとステイタス、まったく違ったのね。

詳しくは、↓を参考にしてください。




 JUGEMテーマ:興味深い話題・出来事など

殺された???

  • 2014.06.03 Tuesday
  • 15:43

62日(月)の朝のこと

いつものように朝の日本語のニュース(フジサンケイ)を

見ていると アメリカの男子ゴルフツアーに参加の松山秀樹君が

週末に行われたメジャーの大会(メモリアルトーナメント)で 

プレーオフを制してメジャー初優勝といううれしいニュース。

 

優勝したのは フェイスブックなどで昨日のうちに話題になっていたので

知っていたけど、日本人のアメリカでの活躍を映像で見ると

なんともうれしい。

 

と、喜んでいると・・・

 

その後、飛行機事故のニュース。

530日(土)に 小型のプライベートジェットが 離陸直後

何の前触れも無く 爆発音とともに炎上し 乗っていた7名全員が

死亡という悲惨な事故のニュース。

なにか大きな会社の協同経営者が 揉め事の挙句に

数日前に 経営権を取得した直後の事故だという。

事故原因については まだ調査中という。

 

CNNのウェブニュースによると

http://www.cnn.com/2014/06/01/us/massachusetts-plane-crash/index.html

 

亡くなったのは ルイス・カッツ。

フィラデルフィアでは とても有名なビジネスマンで 

この事故のまさに前日、フィラデルフィアデイリーニュースほか3社の

親会社を 買い取ったばかりだったという。

その買取は 1年間の裁判沙汰の末の勝利で 

値段はおよそ88億円。かなり醜い戦いの末の決着だったらしい。

慈善事業にも惜しげもなくお金を使っているカッツ氏。

半端でないお金持ちだったようだ。

事故原因については 引き続き調査中という。

 

この記事を見るにつけ、もしかしたら飛行機事故を装った殺人??

プライベートジェットだということだから、

一般の航空会社と違って セキュリティーが 甘そう。

とんでもないことが起こる国だからなあ・・・。

縁起でもないことを考えてしまった。

映画じゃあるまいし・・・。


事故原因の究明が待たれる。


JUGEMテーマ:気になること

白洲次郎占領を背負った男 北康利著

  • 2014.06.02 Monday
  • 15:59

「占領を背負った男」このタイトルに釘付けになった。

白洲次郎・・・マッカーサー元帥と対等にやりあった人物ということで

前に読んだ「父吉田茂」麻生和子著のなかにも登場していた。

http://americajijo.jugem.jp/?eid=817

面白そうなので 早速読み始めた。

 

戦後生まれ、日本中がアメリカに対する憧れでいっぱいの時代、
つまり、
この本の中にも書かれているが マッカーサーによって

日本が骨抜きにされた後に、私は、成長した。

日本が、第二次大戦に負けたことは もちろん知っている。

しかし、それを問題視して ことさら考えたことはない。

戦争に負けた後、何年もアメリカに占領されていたなど

学校の歴史の授業には 出てこなかった。

まさに、マッカーサー元帥の思惑通りの日本で育った。

 

親しくさせていただいている大先輩が、

「昭和20年に日本は終戦を迎えたのではない。昭和20年は 日本が敗戦した年、

終戦は、その後、GHQが日本を去ったときです。間違えないで」

と、こだわっているのが 聞こえてきても ついこの間まで

その本当の意味を 考えてみることは、無かった。

私の中では、昭和20815日は、
途方もない犠牲者を生んだとん
でもない戦争が終わっためでたい日、
「終戦記念日」だと素直に信じていた。
テレビのニュースなどでも普通に「終戦記念日」だと表現しているので
そう思うのが自然だった。
「日本が敗戦した日」などという惨めな概念はこれっぽっちもなかった。


しかし、本当は その日、日本は戦争に負けて

マッカーサーが率いるアメリカ占領軍(GHQ)による統治の6年間を経て 

昭和269月サンフランシスコ講和条約が締結され、

アメリカの統治から開放されて 終戦を迎えた。
それが 本当の終戦だと大先輩はいう。

 

この本では、敗戦直後のみじめだった日本に誇りを残すべく
占領軍に体当たりした白洲次郎の人となり、

つまり、その恵まれた生い立ちとその経験により

日本を守るべく 鬼と恐れられたマッカーサーにただ一人で立ち向かった様子、

圧倒的な権力にしゃにむに食らいついて 鬼と恐れられたマッカーサーをして
「難しい日本人が一人いる」と言わしめた彼の心意気を通して 

昭和史の一面をうかがい知ることができる。

圧巻だったのは、
日本の負けが明白になったその直前に
連合軍に
参戦したソビエト連邦が 戦勝国の一員として、
日本の戦後処理に 
首を突っ込もうとしていたとき、
それを阻止しようと
アメリカ側は、日本に対して 
一刻も早く憲法に基づいて戦争を
放棄させようと 
一方的に彼らが作り上げた日本国憲法を 
押し付けてくる場面だ。


独自に憲法を作りたいとあの手この手を尽くす日本側(次郎と憲法制定委員たち)と
あくまでもソビエトの介入を回避したい
GHQ民生局との攻防は

読みながら どきどきし もう終わってしまった歴史であるにもかかわらず

手に汗握る迫力だ。
(ちなみに、アメリカが作った憲法を日本に押し付けるなど
国際法違反ともいえる行為だ)

 

吉田首相の片腕としてあれやこれやと骨を折り 白洲次郎は 
戦後の日本のあり方に多大な貢献をした。
にもかかわらず
 彼は 権力に興味が無く 
何の功名も求めなかったから

彼の名前が日本で取り上げられるようになったのは 

かなり最近のことのようだ。

ちなみに、この本の初版は2005年。

20099月にNHKドラマスペシャルで「白洲次郎」が

ドラマ化され3回で放送されている。

 

このドラマ、見たかったな。

こんな風に昭和史を知っていくのも 面白い。

この本は、↓トトロ図書館で貸し出し中。

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