ワインのプリンス「長沢鼎」に恋!

  • 2014.04.27 Sunday
  • 10:56

久しぶりに 恋心を抱いた。

「誰に?」って、ワインのプリンスに。ワインのプリンス??誰??

 それは 薩摩藩士 長沢鼎。

100年以上前に 北カリフォルニアサンタローザで

ワイン作りに取り組み 大成功した日本人だ。

 渡辺正清著「評伝 長沢鼎 カリフォルニア・ワインに生きた薩摩の士」

を読むまでは そんな人がいたということも知らなかったが、

出会ってしまった後は 知られざる偉人なだけに 

よりいっそう 静かに感動し 私より100歳年上の彼に

恋してしまったというわけ。

みんなに知られていないってところが また素敵。

とはいえ、本になってしまっているので 

独り占めというわけにはいかないけれど 

まだまだ知る人ぞ知る彼の魅力を少しでも紹介しようと思う。

こんな凄い人が居たことを 日本人として知らないというのは 

はなはだ もったいない。

 

 さて、プリンスといわれるからには 容姿端麗 スマートで 

やんごとなきお家柄で お金持ちで・・・という想像をする

ところだが、彼の場合は ちと違うようだ。

見た目は ずんぐりむっくりで背が低かったらしい。 

なのに、「ワインのプリンス」とは、いったいどういうことなのか?

 彼の生き方が プリンスたるにふさわしいと 恋する私は思う。

 

 今を遡ること 1世紀半 18世紀中ほど)幕末の日本国

薩摩藩(鹿児島) より イギリスへ送られた留学生の中の

最年少の少年が後に カリフォルニア サンタローザで 

ワインのプリンスと呼ばれる長沢鼎(ナガサワカナエ)だ。

 

 彼の数奇な運命に 本を読みながら 息が詰まる。

降りかかる数々の困難に打ち勝って達成する偉業を支える

サムライ気質、その誇り高い心意気に 同じく異文化の中で

日々を暮らす身として 大きく心を揺り動かされ 

本を読み終わって何日も経つのに いつまでも感動が持続している。

彼の人生は、波乱万丈、どころか 波乱億万丈だ

(万では 到底足りない)。「人生、山あり谷あり」というが、

彼のそれは 山、また山。鼎は、その険しい山々を次々と乗り越えていく。

 

 まず最初の山は、イギリス留学。旅立ったときは、13歳。

写真を見ると 顔つきも幼くまだまだ子供だ。

 

 そもそも、その時代に 英国への留学とは?

 

 いきさつは、その数年前、薩英戦争で 英国にめった打ちにされた

薩摩藩が 藩の近代化を急務と悟り 早急の対応の必要性を感じ

国禁を冒して若き志士たちを秘密裏に 英国へ送り出すことを決める。

「造船の技術を習得する」というのが鼎に与えられた使命だった。

留学といっても、藩から特命を受けた若者数人が 

イギリスの商船に乗って 秘密裏に日本を出国したのだ。

藩主の命を受けて 鎖国下の日本を後にするわけだが 

国禁を犯すということで 発覚した後の災いを避けるため 

名前まで変える留学生たち。

家族と離れ 外国へ行く年若い留学生たち、なんとも健気である。

その船旅も 100年以上も前のこととて 生半可のものでは

なかったに違いない。

 

 そして、危険な船旅の後 はじまった孤独な留学生活。

最年少の鼎は、出発した時は、数人の仲間とともだっていたが 

イギリスについてからは 一人だけロンドンから遠く離れた

ウェールズの中学校へ行くことになる。

理由は、彼は 幼すぎて  皆と一緒に大学へ進学出来なかったから

だった。たった一人 言葉もまったく分らないまま 

藩が手配したイギリスの貿易商グラバーの実家に下宿して 

中学校生活が始まる。

 

 鼎の凄さは 最初は英語が ちんぷんかんぷんだったが、

一年後には ほとんどの科目で 学年トップの成績を取れる

ようになったこと。秀才だったのね。彼。

しかし その翌年(留学から2年後)、やっと英語を自分のもにし 

外国での暮らしにも慣れた頃、順調なように見えた留学生活が

いきなり破綻。日本が幕末の動乱期に突入し 薩摩藩からの

援助金が滞ってしまう。鼎と仲間たちは 本国からの送金が途絶えて 

留学生活を続けることもできず 日本に帰る資金も無いという状態に

置かれる。

 

 苦境に立った彼らを救ったのは、英国下院議員オリフォントと

いう人物だった。鼎と仲間たちは オリフォント卿に影響され 

アメリカで理想の国作りを目指すトーマス・ハリスという宗教家に

出会い、ハリスのアメリカ東海岸のコロニーで働くことになり 

アメリカ大陸へ渡る。

 

 その数年後、鼎以外の留学生たちは 日本へ帰り 明治新政府の

要職につき 新しい日本を作る表舞台に立つのだが 

鼎は 一人 ハリスコロニーに残り 北カリフォルニア

サンタローザで本格的に 農園を築き ワイン作りに邁進する。

数十年の月日が経ち、やっと農場とワイン作りが軌道にのったころ、

アメリカは禁酒法時代に 突入。大きなダメージを受けながらも 

鼎は 食用の葡萄を作り続けることで生き延びる。

 

 とにかく 最後まで、これでもかこれでもかと 苦難が押し寄せる。

しかし、鼎は 決してめげない。働くときは 農夫とともに野良着で

作業し、お客様をもてなすときは 英国紳士然とタキシードで

ディナーテーブルに座ったという。完璧なウェールズ英語で話し、

慈善事業にも貢献し サンタローザの名士として 鼎は、

地元の人に愛されていた。

 

 そして、降りかかる過酷な運命は 彼の死後も続く。

彼は 生涯独身で 子供が無かった。彼が築いた財産は 甥っ子の

子孫に残されるはずだったが 遺言で弁護士に託した財産は 

ほとんど鼎の思いどおりに身内には残されなかった。

排日土地法という法律ができ、土地もただ同然で 他人の手に渡った。

そして、それとともに 彼の名前も 忘れられていった。

もし、渡辺氏によって掘り起こされなければ そのまま 彼の名前は 

風化してしまったかもしれない。

 

 それにしても、グローバル化などという言葉など微塵も無い時代に、

彼のような偉大な日本人が カリフォルニアの地にいたことがうれしい。
なんとも壮絶な彼の運命に 思いを馳せながら 近いうちに 

サンタローザを訪れて ワインのプリンスの足跡を訪ねたいと思う。

 

 

長澤鼎の生きた証 その1へ

http://americajijo.jugem.jp/?eid=893

 

 

ソノマカウンティーのワイナリー

隠れ家のようなワイナリーへ

http://americajijo.jugem.jp/?eid=897

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:自分が読んだ本

朝ドラ「花子とアン」

  • 2014.04.01 Tuesday
  • 08:27
NHKの朝ドラ「ごちそうさん」の次は・・・
「花子とアン」
???何だそれは??


なんだか分らないけど 見てみようかな?
と第一回を見ると、
花子は 村岡花子、アンというのは、彼女が翻訳した「赤毛のアン」。
 
きゃっほー!!
わが青春のアンだ。
アンを語らせたらうるさいよ。私。
中学から高校時代、夢中だったなあ。アンに。
一時 寝ても覚めてもアンだった。
そんな時代が あったっけ。
アンのシリーズは すべて読んだ。
 
それを翻訳した村岡花子が主人公だって。
見なくちゃ!
 
昔、昔、子供時代に 外国文学を読むきっかけを
作ってくれたのがこの本だった。
ギルバートにひそかに恋をしたっけ。
いまだに アンのプリンスエドワード島は 
死ぬまでに一度は行きたい場所だし。
 
夢見る夢子さんだった幼い私、
でも、大人になるにつれて 
そんな青い思いは心の隅っこに追いやっていた。
それが、いっきに目を覚ます。
アンが暮らしていたプリンスエドワード島は
カリフォルニアからでも やっぱり少し遠いけど 
日本から来るよりは近い。
行かなくちゃ!アンに会いに。
 
いくつになっても 赤毛のアン。
なんだか、元気出てきたぞ!

http://www9.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/160065.html
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