命について
- 2013.09.25 Wednesday
- 16:53
第2次大戦時の日本の兵隊さんたちの命は
ずいぶん軽んじられていたんじゃないのか?
悔しいことに、彼らの命は 安く見積もられていたんじゃないのか?
そうじゃ無かったら こんな戦い方はしないだろう?
そんな悲しい疑問が ぐるぐるぐるぐる頭の中を回っている。
「永遠の0」を読んで ゼロ戦の性能の良さにあらためて
感心したのだが、そんなにすばらしい飛行機だったのに
その 操縦者の命を守る設計になっていなかったことを
知って とても残念に思った。
ゼロ戦は 攻撃されると弱かった。
撃たれれば すぐに火を噴いてしまった。
パイロットの助かる可能性が 非常に少ない飛行機だった。
開発当時は、無敵のゼロ戦だったが、その無防備さゆえに
戦局が激しくなると 熟練した操縦士は 度重なる戦闘で
機体とともに 次々と命を落としていったという。
それに引き換え、ゼロ戦と戦ったアメリカの飛行機は
ゼロ戦に対抗するために 改良が加えられ
ゼロ戦より優れた飛行機の開発が 進められた。
その機体には 操縦者を護る為の分厚い鉄板の防護壁が
操縦席の後ろにしっかりと装備されていて
たとえ撃たれたとしてもめったに命を落とすことは無く
撃ち落とされて海に不時着しても しっかり仲間の戦艦に救助され
戦力として また戦場に戻ることができたという。
ただでさえ物量で劣る日本は 戦争が長引くに連れて
人材までも欠乏し まったく歯が立たなくなった。
そして、その究極の行き着く先が 特攻作戦だった。
特攻の兵士たちは ただ飛び立つだけの訓練をしたそうだ。
帰ってくることは許されない作戦だった。
人材不足の折、素人を手っ取り早く飛行気乗りに育てる必要があり
技術を習得する時間を短縮するのにも都合がよかったという。
人の命を何だと思っているのだろう?
むちゃくちゃだ。
特攻隊といえば、亡くなった夫の父は 特攻隊に志願して
九州で出撃命令を待っているときに 終戦になり
命を永らえたという特攻隊の生き残りだった。
「もう何日か 戦争が続いていたら 自分の命は無かった。
だから、自分より先に 逝った人たちのためにも
がんばって生きるのだ」と言っていた。
義父は文字通り 努力の人で 一代で会社を築き上げた。
働くということに誇りを持った人だった。
義父の在りし日を思い出していたら、こんなことを考え付いた。
〜〜〜
戦って散っていった人たちの死を 無駄にしてはいけないと
残ったものたちは 発奮した。
彼らの命が軽んじられたのではないということを証明するかのように
生き残った人たちは 努力した。
義父がなぜあんなに厳しい人だったのかが 今 やっと分った気がする。
戦後の日本には 義父のような人々が 日本中にいたに違いない。
自分のためだけでなく 戦友たちの人生まで生きようという気概を
持った男たちが あちこちにあふれていたのだろう。
やはり、軽んじられた命などなく、万人に同じように重たかったのだ。
そんな風に 信じたい。
ちなみに、これは余談だが
彼(義父)が そこで命を落としていたら 今 私はここには居ない。
夫はこの世に存在しない。
そして、私は まったく違う人生を歩いている????
運命って面白いな。