富士と付く地名 教えて!

  • 2013.07.29 Monday
  • 06:33

あなたの街に 富士と付く地名があったら 教えてください。

全国に数え切れないくらいある富士の付く地名を 調べています。


というのは、

2ヵ月後の928日(土)のアーバイングローバルビレッジの

日本ブースの日本紹介で富士とつく日本の地名地図を製作するため。

 

ことの次第は・・・・


今年2013年もJFNOCの手弁当隊は 全力で日本国のブースを出すのだが、

昨日JFNOCの定例ミーティングで

2013アーバイングローバルビレッジの日本ブースについて」

話し合われた。

アーバイングローバルビレッジというのは、アーバイン市が主催するお祭りで

アーバインで暮らすあらゆる国の人たちが年に一度、一同に会して行われる。


まだまだ知られていないが 始まりは 56年前、(いやもっと前かも)

2001年の911事件の後、

「色々な国からやってきて、それぞれに異なったバックグラウンド、

それそれに違う文化を持っていても 同じアーバインに住むもの同士

自国の文化を紹介し合い、理解し合い 仲良くなろう」

という相互理解を目的にはじまったお祭りだ(と聞いている)。

 

このお祭りは 年毎に徐々に定着し にぎやかさを増している。

ブースを出す国の数は 何百にも及ぶ。

去年も 大いににぎわった。

去年のグローバルビレッジの日本ブースはこんな風だった。

「アーバインの秋祭り」↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=611

日本の国の代表として、JFNOC手弁当隊は、毎年ブースを出し

趣向を凝らして 日本をアピールしている。


「どんなもので 日本をアピールしていくか?」と議論をする中で、

「今年は、「富士山」が、いいのでは?」

と 手弁当隊(実行委員)の誰かがふと漏らした。

「それはいい。今年、富士山は 世界遺産に登録されたし、

なにより、昔から日本を代表する山だ。「富士山」ぴったりですね」

と、たちまち みんなが、賛成した。

 

もちろん、私は、大賛成。

静岡県人として 涙が出るほど うれしいことだ。

今思い出しても、自然にほほが緩んでニヤニヤしてしまう。


そして、

「ブースでは、どんなアトラクションを企画するか?」

という具体的な話になった。

 

富士山の大きな写真をブースに飾り

訪れる人たちに日本一のお山を 知ってもらおう!

その前で 記念写真が撮ってもらうのはどうだろう?

ブースに来る子供たちに 去年と同じようにうちわに絵を描いてもらおう。

うちわに 富士山の絵を描いてもらおう。

日本中の〜富士と呼ばれる郷土富士がいくつあるか調べよう。

富士の付く地名調べも面白そう。それらを 日本地図の上に

印して 展示するのは どう??

 

と、いっきに決まっていった。

 

静岡出身ということで地名調べをおおせつかった。

ウェブで検索すれば 一発で分るんじゃないの?

と余裕で引き受けた。

が、案外地名は検索が難しいことが分り あせっている。


<皆さんにお願い>


日本地図に印付けをして地名地図作りにご協力お願いします。


富士の付く地名を何県の何市、何町を

この(アメリカ事情)ブログのコメント欄に書き込んでください。

 

あるいは、

tkmitsuko@gmail.com

まで イーメールで

あるいは、

フェイスブックをお持ちの方は、

https://www.facebook.com/michaele.takagi

まで、お知らせください。


皆さん、ご協力よろしくお願いします!


JUGEMテーマ:富士山

塀が傾いてるんですけど・・・

  • 2013.07.27 Saturday
  • 03:38

 隣と我が家との境の壁(塀)が だんだんに隣へと傾きはじめ

危ない様相を呈しているのに 最近気がついた。

その塀は いわくつきの塀で 10年ほど前に引っ越してきたとき

前の家の持ち主と隣家との揉め事を引き継いだ形で すったもんだがあり

何も分らないままに 3者傷み分けという形で解決したのだが、

その塀が またしても問題を起こしかねない情況になっていることは

前に書いた↓。

http://americajijo.jugem.jp/?eid=828

 

10年前の出来事は どうにも納得がいかず、いまだに後味が悪い。

だから、今回は 二の舞を踏まないようにしたい。

 

論点は 2つある。

塀は隣家の敷地に立っているので 壊れる前に 何とかするのが隣の義務。

倒れたときに その責任を我が家に擦り付けられるのを阻止したい。

 

ただ10年前には 良かれと思って、「一緒に直しませんか?」と

提案したにもかかわらず 突然 裁判所から

「新しい壁を作るからその金額を支払いなさい」なる訴状が届き

「びっくり、唖然!」だったので 要注意。

 

「どうしたらいいの??」と、あちらこちらで聞きまわる。

 

「ロスの日系ヘルプセンターへ相談してごらん」というアドバイスを貰い

電話して、相談に乗ってくれるという所の電話番号を貰った。

ただ、そのときに 電話じゃ 何も説明できないということを実感した。

 

そこで 次の手を考えた。

やっぱりレターで危ないよと伝えるしかないかもしれない。

「塀がそちらのお宅に向かって 傾いています。

そちらからは見えないと思いますので、お知らせします」

と、いう簡単なものだ。

 

コミュニティーのアソシエーション(町内管理組合)に相談してみよう。

レターを出すとしても 隣の家の名前すらちゃんと知らないから 

名前を教えてもらうついでに ちょっと聞いてみることにしよう。

と、出かけた。

 

アソシエーションでは、名前は教えてくれたが、

「住民の揉め事は当事者同士で解決してください」だった。

 

ある人は、「ホームオーナーの保健会社に相談するといい」

とアドバイスしてくれた。

ふーん、そういう手もあるんだ。

 

これこれしかじかと夫に報告すると、

「とにかく隣にこの情況を知らせておいたほうがいい。

何か事が起こってからでは遅い。早くやれ!」

という。

確かにそうだ。                  

でもなあ。下手に隣に何かを言ったとして うまく通じなくて 

その場で揉め事に発展するんじゃないか?と、直接の声かけには、及び腰の私。

そこで、やっぱりレターを出すのが一番と決心する。

簡単なメモとこちらから見た壁の傾き具合、地面にできたひび割れなどを

写真に撮り メモと一緒に 隣のポストに入れることにする。

 

これもなんか陰湿な方法のようでもあるけど・・・。

レターには 電話番号も入れた。

 

お隣さん、どうでてくるだろうか?


白っぽい向こう側の壁は10年前に隣が直したもの。

一部分取り残されて直さなかった手前の古い塀が明らかに 左に倒れている↓


JUGEMテーマ:気になること

「家族の歌」河野裕子

  • 2013.07.26 Friday
  • 15:02


久しぶりに 魅せられた。

本を夢中で読んだ。

 

その本は、友人から 貰って、しばらく前から 手元にあったのだが

その帯の仰々しさが 読むことを躊躇わせていた。

 

帯には

「家族って何だろう。最愛の人の最期、そのとき―ー

ガンにたおれた妻であり、母である河野裕子とその家族が

詠んだ歌とエッセー63編。

息を引き取るまで互いの心に手をのべ、

絆を確認しあった歌人一家、感涙のドキュメント」

とある。

 

これで おおよその内容を想像してしまって、

今まで手が出なかったのだが・・・。

しかし、読み始めたら 想像と中身が だいぶ違っていて

ぐいぐい惹きつけられた。

 

素敵な歌がいっぱいある。

 

「ガンを詠う」という永田和宏の一文では、

歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを恐る 永田和宏


妻に先立たれるはずの夫 永田和宏が、妻が逝ってしまった後

彼女が残した膨大な数の歌を読みながら 自分は泣くだろうと

今から恐れているという歌だ。いい歌だ。

そして、この歌を詠みながら、

 

いい歌ができたと思わず指を打つこんな悲しい歌の<できばえ> 永田和宏

 

と、作家としての業の深さをまた歌にする。

 

なんかしみじみ 分るなあ。その気持。

悲しければ 悲しいだけ、苦しければ苦しいだけ 歌が光る。

素敵!

こんな辛い歌を 素敵だと表現するのは 不謹慎だが

淡々と詠っているだけに その背景にある苦しみや悲しみ、

恨み、葛藤が なおさら迫ってくる。

ぞくぞくする。 

 

短歌はいまだ私が踏み入れていない領域だ。

俳句を先に始めてしまったので 短歌は長すぎるなどと

勝手に決めて 食わず嫌いだったけど やってみたい!

短歌、いいねえ。惚れた!

 

いたって単細胞の私。感動すると挑戦したくなる。

むちゃくちゃだね。

そういえば、去年の今頃、同じようなことがあったなあ。

川柳も そんな感動が引き金になって始めちゃったんだよね。

そして、今では アップアップしている。

 

できるかどうかは 別問題。

そのくらい心底揺さぶられている。


で、早速 作ってみた。

私の初短歌だ。


魂の揺さぶらるるを久々にひといきにて読む歌の数々(高木)



JUGEMテーマ:自分が読んだ本

「いつやるの?」「今でしょ!」

  • 2013.07.25 Thursday
  • 15:21

先月とその前(つまり5月と6月)、一旦やると決めたのに 

 

 

できなくてサボったものがある。

川柳の投稿だ。

やると決めたからには きっちりと。

というのが 自分で決めたルール。

なのに、破ってしまった。

 

ちゃらんぽらんで お気楽な私、

「きっちり」などという言葉とは程遠い。

だけど、最近、かなり長くなった人生の数々の経験から 

自分で決心して初めたことが 気に入ると(=つぼにはまると)

かなり根をつめる性癖がある。そして、しつこく続ける。

そして、苦手なものでも 習慣になるまで続けると

できなかったことが できるようになるということが わかった。

 

たとえば 数年前のスーパー主婦修行も かなり根をつめてがんばったので、

今でも そのとき会得した技術の一部は 使えている。

「スーパー主婦になりたい」↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=173

最近は それほど一生懸命ではなくなったとしても・・・。

 

が、問題は その熱が冷めたときだ。

 

一旦 決めて 歯車が回りだすと かなりスムースに事が運ぶのだが

その歯車を止めてしまうと さあ、大変。

今まで調子よくやっていたことが まったくできなくなる。

止めてはいけない。

特に 面倒なことや苦手なこと、

やってもやらなくてもいいことにいたっては 要注意。

 

苦手なのに始めた川柳なので

危険がいっぱいと自分でも分っていた。

だから、走り出したら 止まっちゃいけなかった。

なのに、・・・。

5月末、うっかりしていたら 締め切りに間に合わなかった。

あーーあ、とうとう やっちゃったよ。

 

で、ずるずると2ヶ月の冬眠状態に入ってしまった。

 

罪悪感。あせり。

などなど・・・川柳がまったく作れなくなった。

 

たいしたものを作っているわけじゃないんだから

スランプなんて言葉を使うのはおこがましいが

さしずめ大作家さんなら スランプに相当するのだろうという状態に

落ち込んだ。

 

これではいけないと「川柳の作り方」という本を読んでみたり・・・。

http://americajijo.jugem.jp/?eid=826

四苦八苦の結果、行き着いたのは

「出されたお題をメモ用紙に書き出し とにかく 毎日考えること」

 

「いつやるの?」「今でしょ!」の状態を 作り出すこと。

 

そして、えっちら ほっちら がんばって

なんとか 歩き始めたとき、

川柳会からの毎月の会報が郵送されてきた。

「どれどれ、皆さんの作品を拝見しましょう」

と、封筒を開けて、中身を読んだとき、

「どひゃー!」

思いっきり 腰が抜けた。

どうにかこうにか ひねり出していた川柳の「お題」は 

なんと、先月のもの。

おばかな私。完璧に 一ヶ月遅れ。

 

あーーあ、サボっているから こういうことになるんだよね。

で、またまた一から作り直し。

そして、追い討ちがかかる師匠からのメールが舞い込む。

「締め切りまで あと一週間!」

「が、が、がんばります!!」

 

要リセット壊れた私大丈夫?(子猫)

 

 

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隣とのトラブルをどうすべき?

  • 2013.07.23 Tuesday
  • 14:56
 困ったことが起きている。

隣の家と我が家を隔てる塀に問題が発生。

この塀には最初から泣かされている。

我がコミュニティー(町内会)は、丘陵地帯にあり 平らなところがない。 

坂の途中に家が並んでいる。

左隣は 我が家より高いところに建っている。

坂は順番に下るから、右隣の家は 我が家より低い。

問題は その地形が原因で 起こっている。

わが家が 引っ越す際 庭を改修したのだが・・・。


隣は、われわれが引っ越す前からこの家の前の持ち主ともめていた。


不可抗力と思える地面の圧力で 崩れた壁に クレーム。 

塀を作り直すからと 修理代を 要求してきた。

10年前の出来事だ。


壁が 我が家と隣との共有物だと思った私たちは 工事のついでに

一緒に直そうと隣に提案した。

工事の代金を 半々にするのはどうですか?と

紳士的な提案だったと思うのだが 相手は一向に納得しなかった。


すったもんだの末に、3方痛み分けということで

元のオーナー、隣の家、我が家で 3分の1ずつ
修理費を 出して 解決を見た。



そのときの調査で 分ったことだが、

塀は 隣家の敷地に建てられていて 共有物ではなかった。

何代も前の隣のオーナーが 作った壁で 

我が家には修理の義務は無かった。

その塀は はるか昔に建てられたもので

基礎工事が何もされていないため 強度に問題があり

時を経て 崩れていった模様。たぶん何十年も前の建築物。


隣は、修理代を請求してきたのに 全部の塀を直さず

一部分だけ 綺麗に作り直した。

それから 早いもので10年が経った。
今回、手を入れなかったその塀の一部が 危ない情況になっている。

それというのも、隣は数年前に 家との間の庭を大々的に改装。

我が家との間の塀の向こう側を 垂直に近いくらいに削ってしまった。
塀はますます不安定になり 隣の家のほうにだんだんに傾いているようだ。
このままでは いずれ隣の敷地に 倒れてしまうだろう。


非常に危険だ。

しかし、その状態は 隣からは見えないので
なんとかこの情況を 隣に伝えないといけない。

どうするべきか?

こういうクレームは コミュニティーに間に入ってもらったほうがいいのか?
直接 いうべきなのか?
頭が痛い。

続きは↓「塀が傾いているんですけど・・・」


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またしても突然の停電!

  • 2013.07.20 Saturday
  • 01:54

夕べ(2013718日)1130分を少し過ぎた頃、

テレビを見ながら そろそろお風呂に入ろうかな?などと

のんきに考えていたら 「バシッ!」という大きな音がして

真っ暗になった。

 

へっ?停電!

 

日本ならありえないが ここではありうる。

突然の停電。

ブレーカーが落ちたのではない証拠に 外を見てみると

周りの家々も真っ暗。

ここでは、電気の使用量が供給量を上回って

突然大停電が起こることはままある。

18年のアメリカ生活で 何度か経験している。

 

それにしても、今回は真夜中で 電気の使用量が供給量を上回るほど

使われているとは思えないのに なぜ??と不思議に思いながら

手元のIpadの光を頼りに 部屋を移動して 懐中電灯を探す。

すぐに小さなランプ型のフラッシュライト(懐中電灯)を見つける。

Ipadが手元にあってよかった。

なにも光を発するものが近くに無かったら

パニックになりそうなシチュエーションだ。

 

前に停電になったのはいつだったかな?

 

そうそう、計画停電があったときだった。

そのときは、うっかりしていて 懐中電灯がすぐに探せなくて 大騒ぎだった。

その経験を生かして そういうことに遭遇してもあわてないようにと

懐中電灯のおき場所を決めてある。

そのときの顛末は「晴れときどき停電」↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=569

↑これを見ると最後の停電は去年の8月だった。

「備えあれば 憂いなし」をしみじみ実感する。

 

突然の停電で これからお風呂に入る予定がおじゃん。

そのまま寝るしかないけど・・・なんとも寝苦しい夜となる。

疲れているのに 結局 2時を過ぎても寝付けず 辛かった。

 

翌朝、電気は復旧していた。

6時過ぎ、娘のセットした目覚まし代わりのロック音楽の

大音響にて無理やり起こされる。

やめてよ!4時間も寝ていない。

めちゃくちゃ、寝不足だ。

 

停電の原因は??とネットを調べる。

今回、停電にあったのは 
サンディエゴとオレンジカウンティーの南部 12万3千戸。
木曜日の夜中 11時40分ごろ停電になった。
午前3時過ぎには ほぼ復旧した。

朝の段階では 原因を究明中とか。


そういえば、家の庭から見えるAliso Viejo市は 

我が家とは電気の供給源が違う会社のため

停電しておらず その部分だけは 明るく光っていたっけ。

なんでやねん!

アメリカって不思議な国だなあ。


あーーあ、寝不足!

今日もどろどろの一日になりそう!


川柳に悩んでいる

  • 2013.07.16 Tuesday
  • 14:07

 人生の機微を詠むのが川柳だと勝手に解釈して

感動し、誘われるままにはじめてみた。

「苦手なものに挑戦するのもいいかもしれない。

意外におもしろいねえ」

と 始めてから もうすぐ一年になる。

 

最初は楽しく挑戦していたのだが、このところうまくいっていない。

この23ヶ月というもの、考えてはみるものの うまくできなくて 

締め切りに間に合わず 投句をあきらめるというふがいなさ。

 

これではいけない。

 

この際だから 川柳をしっかり勉強してみようと

手ほどきの本を買い込んだ。

何かヒントが 掴めるかもしれないと淡い期待を寄せながら・・・。

 

「楽しく始める川柳」山本克夫著より

自分なりに理解しながら まとめてみると・・・

 

575は 俳句と同じ。季語は要らない。

川柳の3要素は、

1)穿(うが)ち=

物事を深くえぐり人情の機微を表現すること。

 

●出されたを 出たにしておく 郷の母 (古川柳)

出戻って来た娘、先方から出され実家に戻ってきたのだけれど

自分のほうから出てきたのだと娘をかばう母心

 

2)軽み=

垢抜けし さっぱりした 洗練味、枯淡味

 

●ない筈はない 抽斗を持って来い(当百)

=なかなか見つからない探し物、いっそのこと ひきだしごと持って来い!

 

3)滑稽=

心の奥底から自然に湧き出るような笑い

 

●気が揃うようにバナナの曲がりよう(白影)

=バナナの房、気が揃ってる。ぷ、ぷ、ぷっ笑っちゃう!

 

そして、現代川柳のドラマ性=

ひとつの句で小説を思わせるような内容を盛り込む。

 

現代川柳の三要素は、

1)リアリズム(写実と穿ち)

 

●稼ぎ手のとうとう寝ずに風邪が癒え(和三)

 =一家の働き手は風邪を引いたとしても寝ている暇は無く

そうこうしているうちに風邪も治ってしまったよ

 

2)ウィット(機知と意外性)

 

●やきとりが食膳にあるバードデー(簾子)

 =皮肉なことに バードデー(鳥の日)だというのに

鳥を食べるなんて・・・。

 

3)リリシズム(叙情と内省)

 

●かぶと虫も女も秋に生き残る(恵美子)

=セミは夏の間にいなくなるけれど かぶと虫も女も

しぶとく秋に 生き残る

 

注)以上、解釈は子猫(私)です。あしからず。

 

スランプになったらという項では、

そこからの脱出法として 句材の選び方が大事だそうだ。

自分の好きな分野を題材に選ぶといいという。

 

私、ただいまスランプのど真ん中。

川柳と狂句の違いが分らず 混乱中と告白したら

先生からのお言葉は「一歩一歩進むしかない」とのこと。

 

そうね。

やはり、基本は それだ。

ノート片手に とにかく作るしかないのか。やっぱり。

がんばるぞ!

 

課題吟パンこねながらこねまわす (子猫)

 

=課題吟とは 出される題を使って川柳を作ること。

毎月出る課題に 四苦八苦。

なんとか形にしようと こねて、こねて、こねまくる。

でも、調子が悪いと こねることもできないこともある。

 

 

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グレンデール市に慰安婦像

  • 2013.07.15 Monday
  • 05:10

アメリカでは、近年 慰安婦問題が、女性問題の象徴として扱われているのだが

先週のロサンゼルスは 慰安婦問題で 大いに揺れた。


東海岸では ここ数年、慰安婦問題について 

フェミニズムとあいまって かなり活発な盛り上がりを見せていて、

日本人としては 大いに心穏やかではない事案だった。

そして、ついに それが西海岸にも及んだ。

 

日系人、日本人の大反対にもかかわらず

先週末、グレンデール市(Los Angeles郡)の公園に 

慰安婦の像が建てられることが決まった

 

(近代史を学校で教えられていないという弱点を

ここでも露呈するが、慰安婦問題も こういう形で公にされるまで

その事実を知らずにいる自分が 情けない)

 

第二次大戦中、日本軍は 2万人もの韓国人女性を慰安婦として 

強制したとされている。事実としては、貧しい韓国の農村の親たちが

幼い娘を慰安婦として斡旋業者に売った結果 14歳の子供までが 

慰安婦として徴収されたということもあったらしいが、

しかし、自分たちは拉致されて 慰安婦にされたという

元慰安婦の証言もあるようだ。

生き残った彼女たちは 中国で結婚し 子供をもうけ、

その後韓国に帰っている人もいるらしい。

 

LA TIMESの記事は 彼女たちの証言を載せている。

http://www.stripes.com/news/us/city-steps-into-tempest-with-memorial-to-wwii-sex-slaves-1.230208

彼女たちの証言が事実かどうか?

もしかしたら記憶がゆがめられているのではないか?

と、疑うこともできるが・・・。

 

事実かどうかということよりも 

日本人としては、日本が敗戦国として もうすぐ戦後70年になろうとする今も

こんな風に攻められ続けていると思うと心穏やかではない。

「アメリカの兵隊さんたちも戦争中は同じことをした」とか

「今でも、どこの国でも同じようなことが行われている」とか

「韓国というお国柄 売春斡旋業者が お金儲けのためにやった」とか

苦し紛れに日本が言い訳をしたら 見苦しいだけになってしまう。

 

慰安婦の像が、

「戦争の犠牲者はいつもか弱い女性。戦争は繰り返してはならない

というメッセージなら素直に受け取れる。

戦争で 常に犠牲になるのは 一般人。

いやおうなしに巻き込まれ 

そして、終わった後も ずるずると巻き込まれ続ける。
世の中 不公平だ。

その不公平が 少しでもなくなって欲しい。

 

「慰安婦の像」を建てるグレンデール市の意図はどこにあるのか?

ただの「日本いじめ」でないと信じたい。


おめでたいだけの見解だろうか??

もっと 腹を立てたほうがいいのだろうか?

との疑問は 残るが・・・、

しかし、憎しみに憎しみで返していくと

どんどん憎しみが 増長していくだけで 何の解決にもならない。


それにしても、今回、グレンデール市が慰安婦像を建てることになり

力の無い一般人も 行動を起こせば 政治を動かすことも可能だ

と、証明した日系人、日本人のパワーはすばらしい。

結果を変えることはできなかったけれど 何もせずに見過ごしては

いけない。そんな風に 勇気ある日系人・日本人が教えてくれたと思う↓

http://s.webry.info/sp/dogma.at.webry.info/201307/article_6.html


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ハリポタの呪文で・・・

  • 2013.07.04 Thursday
  • 14:19
 珍しく夢を見た。それも一晩に2回も。


最初の夢は 魔法の呪文で悪者と戦う夢。

私は悪者と必死で戦っていた。

アバダカダブラ〜 !」

とハリーポッターのように腕を思い切り前に出して

呪文を唱えて・・・悪者を 倒そうとしてとしていた。

でも、違う。ハリポタではない。

魔法の棒は持っていなくて、まるで ドラゴンボールのごくうのように

腕を伸ばして その先から 光なのか、波動なのか

相手を倒すものを出そうとしていた。

 

「えっ?アバダカダブラ?人殺しの呪文だよ」

と夢の中で思った。そして、

「命中しなくて良かった」

ほっとした。だって、その呪文が命中したら 相手は死んでしまう。

幸か不幸か 私の呪文は 外れて 相手は倒れなかった。

 

そして、目が覚めた。

 

夢とはいえ「アバダカダブラー」というのは殺人のおまじないだ。

ハリポタファンなら 分ると思うけれど 

正義の人たちは この殺人の呪文は使わない。

自称ハリポタ熱狂的ファンの私、

人を殺そうとしている自分に慌てふためいて 目が覚めた気がする。

 

でも、いったい私は誰と戦っていたのか?

悪だったことは 確かなのだが 謎だ。

それにしても、ハリポタシリーズが終わって しばらく経つ。

なぜ今頃 ハリポタの魔術を夢の中で???

ハリポタに必須の魔法の棒を持たずして呪文だけとは?

不思議でたまらない。

それよりも 人を殺そうとしたの??私が???

 

変な夢だ・・・と思いながら

また、眠りに落ちた。

 

そして、また夢を見た。

もう一つの夢も不思議だった。

友達と食事に行くところだった。
娘がレストランを予約したようだった。
そこを目指して行くのだが道がややこしく

建物の上のほうへ行こうとすると 石がごろごろとしていて

すべるので上れない。すると、上るのではなくて 

下のほうに目指すところがあるとわかり 急遽 下を目指す。

 (こういうハチャメチャ具合が 夢の夢たるところ)

着いてみると そこは 知人が借りているというガラクタ置き場で
家賃が安いから借りているという

そのガラクタの山を見つめながら そんなに安いなら

私たちも借りることにすればいいのに・・・と思うのだが 

安いだけに 今は空いていないので借りられそうにないらしい

・・・落胆・・・

 

で、目が覚めた。

 

なんか変な夢。

でも、なぜ今倉庫が必要なのか?

分らない。

 

私は、今 なにか整理整頓しなくてはいけないことに迫られているとでもいうのか?

 

夢など ほとんど見ないだけに

これらの夢はいったいどんな深層心理の表れなのか?

 

考えてみるけれど 分るはずも無く・・・。

 

でも、なにか心に引っかかるものがあるから 夢を見るに違いない。

もう少し 自分の心の中を彷徨うとしよう!

関連記事 ハリポタ最終章

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検診も楽じゃない 完結編

  • 2013.07.03 Wednesday
  • 13:22
 4時間近くにも渡る下剤との格闘は とうとう終わりを告げ

私の腸は すべてのものを出し切って 綺麗になった。

 

その後は 検査をしてくれる先生の到着を待つ。

待合室で ゲームに興じていると 思っていたより早く 検査室へと呼ばれた。

 

検査着に着替えて 紙パンツを履いて検査用ベッドへ横になるようにとの支持。

 

「こちらに頭を向けて寝てください」

といわれ 先端に光るものが付いている細長い管がぶら下がるマシンのほうに

頭を向けて仰向けになる。

これ、テレビのドラマで見たことがある。内視鏡カメラだ。

食道と胃の検査を先にやって その後大腸を調べてもらうことになっている。 


「まな板の上の鯉」とは このことだ。

 

まず、右の人差し指に 血圧と脈拍を測るための装置が

取り付けられ、すぐにも血圧と脈拍を測り始める。

右上のほうの小さな画面に ハートマークがちかちかし

脈拍と血圧が 表示される。微妙に 早くなったり 遅くなったりするのは

自分の不安の度合いを 知らせているのだろうか? 

左腕の内側には 麻酔用の薬を注入するための注射針が

差し込まれるが 麻酔薬は 検査が始まってから入れられるらしい。

 

準備万端 整って ドクターの到着を待つ図。

 

まだいわれた時刻よりずいぶん早い。先生は来られるのかしら?

と、不安になるが 片方の手の指は血圧計に もう片方の腕には

注射針が刺さっているので 身動きもできない。

不安が増すと 心拍数が上がる。

しかし、日本に帰国した直後で 前日は 2時間しか寝ていないし 

下剤でふらふらになっているので 血圧は さほど上がらない。

頭もボーーっとしている。

いつもボーっとしているが いつもにもまして思考能力は 絶望的。

血圧計を眺めることしばし、急に 周りがばたばたとあわただしくなる。

先生 登場!

先生が まるで 私を救ってくれる白馬の騎士のように見える。

 

現れるや否や 先生は 私を覗き込み「はい、麻酔液を入れますよ」という。

その瞬間、・・・・・空白・・・・・

先生が現れて 「麻酔を・・・」と言ったとたんに 記憶が途切れた。

 

次の瞬間に、

「はい、終わりましたよ」という看護婦さんの声がして目が覚めた。

寝ている位置が いつの間にか反対になっている。

ということは 意識の無い状態で 反対向きになり大腸検査も無事終わったらしい。

麻酔のせいで 動けない。

看護婦さんが 「紙パンツは 脱ぎましょう。着替えられますか?」

というが ボーーとしていて 体が動かず・・・。

その様子を見て 看護婦さん、さすがに 慣れている。

てきぱきと紙パンツを脱がしてくれて 下着をはかせてくれる。

意識が朦朧としている。心の隅っこのほうで「申し訳ないなあ」と思うが

赤ちゃんになってしまったように なすがままになっている。 

きっとこんな風に 看護婦さんは 毎日毎日、患者さんの世話を

してくれているんだろうなあ。

 

そして、「動けますか?」と看護婦さん。

「おなかが痛いです」と私。

胃から腸の辺りが しくしくと傷む。

「立てますか?」

と、部屋の外に出され 待合室の奥のほうへと連れて行かれる。

そこには 少しだけリクライニングする椅子が置かれている。

「少しこちらで休んでいてください。着替えたら 声をかけてください」

と言い、看護婦さんはいなくなる。

その椅子の周りは ぐるぐるっとカーテンで仕切られている。

麻酔が覚めるのを待つ部屋のようだ。 

本当は しっかり横になって寝てしまいたいけれど

椅子はそんなには倒れてくれない。しょうがない。これで我慢するか。

なんてことを思う。

 

そこでまたしばらく朦朧としていたに違いない。

どのくらいの時間が経ったのか?このあたりから記憶が 定かでない。

別行動をしている娘に 電話を掛けて 終わったことを知らせ

待ち合わせ時刻などを決めた・・・ような気がする。 

そして、しばらく休んだ後 看護婦さんに声をかけると

診察室に呼ばれ・・・そこで、ドクターに検査の結果を聞いた。

このあたりの記憶も 途切れている。

自分では しっかりしていたつもりだったのだが・・・。

ドクターとの話は、

「腸に癒着があり、途中で(私が)とても痛がったので、

普通よりたくさん麻酔を使っています。覚えていませんか?」

「えっ?そうなんですか?まったく覚えていません」

「途中でカメラが入らなくなって 痛がったし

やめようかと思ったんですが 麻酔を増やして 

なんとか終わらせました。だから、通常よりたくさん薬を

使っています。次からは 入院して検査をするように」

と、ドクター。

胃の中の映像を見せられて

「ピロリ菌はいないので ポリープはあるけれど心配ありません」

(うっひょー、よかったね。なんとも無いんだってさ)と、喜ぶ。

 が、ほかの画像を思い出せない。

大腸の映像もきっと見せられていると思うのだが・・・。記憶にない。

 

とにかく 問題ありません・・・といわれたに違いない

と信じているが・・・「ぜんぜん記憶にございません」状態。

 その後 嬉々として 会計窓口へと行き

お金を払い タクシーに乗って(だと思う)帰った。

 

今も書きながら、その日のことを思い出そうとするのだが所々空白。

記憶が抜けている。

 

後で病院から貰った検査のしおりを良く見ると

「麻酔を使って検査を受けた日は 記憶が飛ぶ場合があります。

重要な会議などを 検査の後に入れるのはやめてください」と、書いてあった。 

かなり大量の麻酔を入れられたのだと思う。

その日は ぶちぶちと記憶がまだら模様。 

あーーあ、それなのにその数時間後、新幹線に乗って

東京から静岡に移動するという無茶をやらかした。

新幹線の座席に座ったとたん、また意識が無くなり

娘の「静岡だよ。お母さん!」の声で むっくりと起き上がり

何とか新幹線から ローカル線に乗り換えて 目的地の実家へと

たどり着いたけれど 一人で乗っていたら 新幹線の終点駅まで

目が覚めなかったに違いない。おお、怖っ!


初めての検診、問題も無かったようで(大腸は確証が無いけど)

めでたし、めでたし(ということにしておこう)。 

みなさん、検診の折、麻酔をしてもらうときは ご注意あれ!


検診も楽じゃない その1


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