検診も楽じゃない その2

  • 2013.06.24 Monday
  • 00:22
<注意> お食事中の方は 終わってからお読み下さい!

思い切って内視鏡検査を受けることにした。

生来の慌て者に 天然ぼけ、時差ボケ、
プラス年齢ボケ症状が混ざったようで
検査前日の準備は 直進せずかなりの蛇行運転?!
微妙に間違っていた。
が、全く気づいていなかった。

食べてはいけないと言われていた食品を
うっかり食べてしまったし
検索前夜に飲む下剤の飲み方を間違えていた。

そのためなのか体質なのか?
普通に翌朝お通じがあるはずなのに
真夜中からお腹が張り始めて数時間雪隠詰めとなった。

お腹の痛みに耐えながら4時ごろまでは
何とか寝ようと努力。
最後にウトウトして 5時半には 起床。
結局、数時間しか眠らなかった。
お腹は空っぽだし フラフラだ。
これでは テキパキと支度が出来ないに違いない
と、早めに起きた。どうせ眠れないし・・・。

そこまでは 「検診も楽じゃない」?
http://americajijo.jugem.jp/?eid=819

早起きして準備に万全を尽くしたので
病院到着9:30と言われていたが
消化器内科の受付に 少し早めに到着することが出来た。

受付が済むと看護婦さんがやって来た。
「これから下剤を飲み始めます。こちらへどうぞ」
と、トイレの前の準備スペースに案内される。
そして、もう一つの下剤の飲み方を説明してくれる。

これから またさらに腸を綺麗にするために
下剤2リットルを2時間かけて飲む。
「飲みにくいのよねえ」
と、検診を進めてくれた友人も言っていた「あれ」だ。

まずはゆっくり最初の1リットルを 一時間で。
半分飲み終わったら、腸の空気を抜くための錠剤を
6個 その下剤を使って飲み下す。
そして、さらに一時間かけて残りの1リットルを飲む。

説明してくれている看護婦さんに
前夜の下剤が効きすぎて苦しかったと訴える。
が、看護婦さん、「そういう人も居ますよ」
とびっくりすることもない。
フーン、普通なんだ、とちょっと安心する。

看護婦さん、壁の便の状態のサンプル写真を指差して
「こんな感じですか」という。

その壁には4種類の便の写真があった。
普通は、便の写真など見せられたら「ゲ〜!」だろう。
が、ここは病院、自分の便は第2段階の状態と知る。
写真の最後の便は水溶性の下痢便だが
限りなく透明に近い綺麗なものになっている。

「最後まで無理して飲まなくてもいいですよ。
便が綺麗になったらトイレの中にボタンがありますから
看護婦を呼んで便の状態が綺麗になったかどうかを
確認してもらって下さい」

ゲ、ゲゲゲッ!ウンチを他人に見せるの?

(続く) その3へ ↓

JUGEMテーマ:健康

検診も楽じゃない

  • 2013.06.20 Thursday
  • 12:32
今回、急に思いたち 一時帰国中に、
胃と腸の内視鏡検査を受けることにした。

年齢も年齢なので そろそろやっておいた方がいいと
友人にも言われ続けていたし
その友人が 検査を受けて とても良かったという病院を
紹介してくれるというので 無条件に安心感があった。

めんどくがりやで怖がりの私としては異例のことだが、
「そうだよね。一度くらい検査しておかないとね。
そういう年齢に到達しているよね」
と。

胃カメラはずいぶん昔に一度やった。
麻酔して知らないうちに終わったので
そんなに大変なことではなかった。
ただ大腸の内視鏡は初めてで「大丈夫か?」と心配だった。
でも「簡単だったよ」というその友人は
私よりそういうことに臆病な(失礼!)人なので
私だって大丈夫だろうと思えた。

決めてしまえば 生来のお気楽者、
そこまでは勇ましかったのだが、・・・。

前日、検査の準備のために、診察を受けた。
いろいろ注意事項を申し渡された。

それは・・・
その夜、食事は8時までに済ませるように。
食べていけないものは・・・
こんにゃく、海藻、きのこ、菜っ葉、もやし、
豆、ごぼう、キウイ、イチゴ、
ネギ、トマトの皮、長芋の生など消化の悪いもの。

そう、これが今まで私が検査を受けなかったことの大きな理由だ。

主婦としは、 当然 家族の食事の支度をする。
食事制限されると ご飯の支度に支障をきたす。
自分が食べられないものを 作るなんて拷問でしょう?
それも何日も前から気をつけなくてはいけない。

と、二の足を踏んでいたのだった。
案の定、食べていけないものは
好きなものばっかりではないか。

しかし、これは 一日だけのこと。
何とかなるだろう。
今回、覚悟はできている。

看護婦さんの説明と同時にパンフレットを貰った。

が、あらためて確認してみると
その看護婦さんの話をいい加減に聞いていたことに気がつく。
食べてはいけないと言われていたのに
覚えていなかったため うっかり食べてしまった品目が幾つかある。

とにかく その夜、8時きっかりに夕食終えた。
それはちゃんと指示された通りに。

9時にお腹を綺麗にする下剤を飲んだ。
小さな容器に入った甘い液体だった。

その時、またここで慌て者であることを証明してしまった。
200ccくらいの水に溶かして飲むはずだったが
そのまま直接喉に流し込み その後 水を飲んだ。
飲み方を間違えていた。
おっと、危ない。全くおっちょこちょいだねえ。

そのせいなのかもしれない。
翌朝普通にお通じがくるはずだったのに
4時間が経つか 否かという頃、夜中 の1時前後から
お腹の調子がおかしくなり始めた。

眠ろうと思っても、お腹の違和感のため 眠れない。
諦めて ネット検索などしていると
真夜中にも関わらず 突然のお通じが・・・。

その後 便意は徐々にひどくなり・・・。
数時間の雪隠詰め。
痩せるかも・・・などとバカなことを思いながら、
トイレから立てず。

苦しかった。

こんなひどい思いは人生かなりの年月経つけれど
何度も経験したことがない。
お腹はすこぶる丈夫なたち。
出ないことはあっても その逆は ほとんど経験がない。

結局、寝不足と空きっ腹で 病院に辿り着く以前に
すでにフラフラになってしまった。


(続く) その2へ ↓

もう18歳、でも、まだ18歳

  • 2013.06.11 Tuesday
  • 05:10
 68日(先週の土曜日)、末娘の高校の卒業式だった。

娘は 6年生から7年間(ミドルスクール3年とハイスクール4年)

その学校へ 通った。少人数の私立校だった。

途中入学で それまで(5年生まで公立校)とは

まったく違う環境で 本人としては戸惑うことも多かったと思うが 

学ぶ環境は とても良い学校だった。

 

娘は変な子で 卒業を迎えるずいぶん前から

「卒業式に来なくていいから」

と、親たちをけん制していた(と、私には 思えた)。

 

ことの始まりは何だったのだろう?思い出してみると、

「卒業式、でたくないなあ」

と、彼女。

「卒業式に行かないと証書がもらえないから卒業できないよ」

それが事実かどうかは 定かでないが・・・。

この子は、どうして卒業式に出ないなどと非常識なことを

いうのだろう??とあまりにも普通でないいいように

どう考えていいのか分らず、私自身が混乱した。

しかし、まだそのときは 卒業まで一年以上の時間があり、

そのうち気が変わるに違いないと高をくくっていた。

 

その後も何度か卒業式の話題が出たが、そのたびに

「こなくていいから」

というので、

「えーー?子供の卒業式に行かない親なんていないよ。私は行くよ」

というと、

「自分も行きたくないから出ないよ。子供が居ないのに、お母さんは行くの?」

とまで、言い出す始末。

そのたびに あんまり本人を刺激するのもなんなので

最後の最後で きっと気が変わるだろうと、放っておいた。

 

そして、いよいよ卒業式が近づいてきたとき

本人はようやく卒業式に出ることを決めたようだったが

私に向かって

「お母さん、卒業式は本当にくだらないよ。時間の無駄だよ。

それでも来たい?それより、終わってから家族でディナーに行こうよ」

と、いう。

大体めんどくさがりの私、そこまで言われたら行きたくなくなってしまった。

夫も同じ意見だった。

 

これには 歴史があって、娘は、高校生になってから

私が 学校に顔を出すことを嫌がるようになった。

彼女が、私の下手な英語を 恥ずかしがっているのかな?と思い、

学校行事に行くとか行かないとか言う話題のときに聞いてみた。

「どうして 行っちゃいけないの?」

「私は 学校の生活と家の生活を分けたいの。

だから お母さんは学校に来ないで」

などとわけのわからない返事だった。


そのときは、まったく理解不能だったが 

ひとつだけ 考えられることがあるとしたら

その学校には かなりユニークな父兄もいるようで 

学校行事のボランティアに積極的にかかわりながら

行き過ぎた言動をする大人たち(モンスターペアレンツ??)と

思えるような人たちと 私がかかわることを 彼女は異常に嫌がった。

よく分らなかったが、「まあ、いいか」と放っておいた。

親に学校に来るなという以外は 彼女は 普通の子で、

学校を嫌がっているふうでもなく、成績もそこそこで 

家でもよく勉強をしているようだったし

学校のボランティアにも熱心で ビデオクルーとして 学校では

中心となって活動していて 元来のんき親である私の目からは

なんの問題もないと判断していた。

 

そして、どんどん時間が過ぎてゆき とうとう卒業式のその日が来た。

式は夕方だった。ドレスに着替えて 近所の仲良しのお友達の家から

出かけるからと娘は 家を出て行った。

 

取り残された私は、数時間後、時計を見ながら、

今頃 卒業式に臨んでいる娘の姿を 想像した。

娘の高校の卒業式のガウンは真っ白で、その帽子ももちろん真っ白だ。

あの白い帽子を空高く投げているだろうか?

と。


出かける前に せめてガウンを着た姿を

写真に撮ろうとしたのだけれど 娘は断固拒否。

帽子だけ 頭に載せて写真をパチリ。

(まったく親の言うことを聞かないやつだね)

大きすぎてすそを引きずるから 

転んでしまうかもしれないなどと

彼女は言っていた。

 

それにしても、これでいいのかなあ??

娘の晴れ姿を見たかったなあ。

と、式の間 考えていた。

 

しかし、後の祭り。

変わり者の親に、変な娘。

仕方ない。

 

式の後で 娘に聞いてみると

「ビデオクルーとして卒業式を毎年のようにビデオ撮りしたので

自分の卒業式ではないけれど何度も出席し 毎年同じで

もう、飽き飽き。今年は学校長が引退するから 彼のための式みたいで

さらにうんざりした。自分の番だからって特に何にも変わらなかったよ。

退屈だから 最後列なのをいいことに 

見えないようにゲームして遊んでた」

という超ドライなコメント。

(なんという子なの?親のしつけがいけませんね)

 

私の親としての貴重な一瞬を逃した寂しさなど 

微塵も彼女の頭には浮かばない様子。

無理も無いね。まだ18歳。

自分の意見は 主張するし かなりしっかりしているように見えるけど 

まだまだこれからだもんね。


ばかやろう解散の真実は? 吉田茂

  • 2013.06.10 Monday
  • 10:34
 「父 吉田茂」 麻生和子著 を読んだ。


この本の著者、麻生和子さんは麻生太郎元首相のお母さんで
吉田元首相の次女だとは・・・ 知らなかった。


麻生太郎元首相が 名門の出で 

前首相の誰かの孫だということは

チラッとうわさに聞いたかもしれない。

が、政治の世襲制などに興味も無いし 

そんなことが能力に繋がるとは

これっぽっちも思わないので 特に覚えてもいなかった。

という政治音痴の私。



だが、吉田茂といえば「バカヤロウ」解散だろうか?
まったくの政治音痴の私ですら 覚えている。
バカヤロウと叫んで 内閣を解散したという
勇ましいというか破れかぶれのエピソードが有名だ。

が、このエピソードもだいぶ誇張されているのかもしれない。
と本を読んだ今 思えてくる。

ご本人は 「ばかやろう」というのが口癖で 

たまたま解散するとき、国会の最中にささやいた「ばかやろう」を

マイクが拾ってしまったのだといっていたという。

 

麻生和子さんという女性が 吉田茂の娘として生まれ、育ち、
その父を助け 麻生家に嫁いだ後も父の片腕となって
第二次世界大戦後の日本の立ち直りに深く関わったのだとは
全く知らなかった。

この本の中で 和子さんは、外交官だった吉田家のこと、

その娘として 自由にのびのびと育ち その環境の恩恵を受けて

 国際感覚を身につけ 父親の片腕として歴史の裏舞台で

その能力を存分に 発揮する経緯を 描き、
吉田茂を語りながら 自分史 そして、昭和史を語っている。

敗戦国日本、アメリカ統治下の日本の初代の首相の苦悩など
そばにいて共に経験しなければわかり得ない 数々のエピソードは
特に 興味深い。

さらに、外交官時代の華やかなイギリス暮しなど
庶民の生活とはかけ離れているとしても とても面白い読み物だ。

第二次世界大戦後、GHQ時代に 再武装するように
アメリカから要請があったなどということも
初めて知った。


軍備は、戦後の疲弊した経済力ではとても無理との理由で、
吉田元首相がそれを断固として 跳ね除けたという。

今の自衛隊の問題点の始まりはこれだったのだと分かる。
現行の憲法も この時に作られ 今、仕切りに改正が叫ばれている。

この間、映画「この空の花」を見た時にも
感じたのだが、自分の近代史に弱い部分を
今回も思い知ることになった。

『近代史をもっと知りたい』↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=813


私たちは、近代史をしっかり学び 議論して
これからの日本を作っていくべきだ。

もうすぐ戦後70年になろうというのだから。

この本を読んでますますそんな思いを強くした



JUGEMテーマ:自分が読んだ本

2013年 5月  羅府川柳 お題「押・引どちらでも」

  • 2013.06.09 Sunday
  • 15:14

押し問答声の大きさだけで勝つ (子猫)

 

押し問答 勝ち目無いほど むきになり) 

 

プライドの問題なのだろうか?子供っぽいからなのだろうか?

特に年をとると 気難しくなり 怒りっぽくなって

ちょっとのことがおおごとになったりする。

本当は いつもにこにこと温和な人でありたいのだけれど・・・。

 

 

 

 辞めぬまま楽隠居の夢夢のまま(子猫)

(引き際を 決められぬまま 死亡欄) 

 

「引退したい」といいながら ずるずると仕事を続けているうちに

あっという間に 体調を崩し 帰らぬ人に・・・。

仕事が生きがいというまじめな国民性。

もっと人生を 楽しんだって 撥は当たらないのにね。

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