1998年 エルニーニョの午後 完結編

  • 2013.04.30 Tuesday
  • 10:16
 行く手を塞がれた私達は、多いに困った。

その交差点を超えなければ、スーザンの家には帰れない。

しかし、不可能。迎えの時間は迫っていた。

 

立ち往生を余儀なくされ、不安は頂点に達し、

私は、とりあえず夫に電話をすることにした。

その日、夫は、トーランスに出掛けることになっていた。

 

トーランスは アーバインからロサンジェルスに向かって

フリーウェーで40分ほど北にある町。

 

こんな日に出掛けていたら大変なことになる、と思ったからである。

しかし、「この大雨のため出掛けるのは、止めにした」

と聞いて一安心。

 

もう一つの用件は、動けない私を迎えにきてもらう事と、

私に代って娘の迎えを頼む事だった。

しかし、けんもほろろに断られた。

 

この様子では、オフィスから出ても渋滞でにっちもさっちも行かない、

というのである。

まったくいつの時も 知らん振り。血も涙もないやつ!(怒)

どうしよう?

 

スーザンは、歩いて帰るという。

雨は、運良く小降りになってきた。(ほとんど止んだ)

私は、とにかく水がひくのを待つつもりでいた。

しかし、スーザンは、

「私一人こんなところにおいて置けない。一緒に歩こう」

と言う。

娘の迎えの時間もあるし、気がきではなかったが、

いつ動けるか分からないのにこんな所にいるのも不安で

車を捨てて、スーザンについて行くことにする。

 

車では移動するが、歩く事など皆無といっていいここの生活。

とぼとぼと歩道を歩き始める。すぐにフリーウェーの上を通る。

フリーウェーは、大渋滞。パーキング場と化している。

こんな事でもなければ歩く事などないし、

ましてやこんな所からフリーウェーを覗く事もないと思うと、

その眺めも意外とおもしろかった。

 

30分以上歩いてやっとスーザンの息子の通っている小学校に着いた。

そこでも父兄がいつも通りに迎えに来られないらしく

なにか物々しい雰囲気。

 

娘の迎えは絶望的と諦めた私は、学校に連絡をしようと考えた。

その小学校の職員室で電話を借り、娘の学校に電話。

「これこれの次第で迎えに行けない。娘に伝言を」

と、頼んだが

「この状況であなたの娘にそれを伝える事はできない」

と、断られた。

困った事になった。

 

スーザンは、無事息子を引き取る事ができた。

運良く、彼女の友人が、スーザンの家まで車で送ってくれる事になった。

もちろん私も一緒にである。

 

親切にも、その友人は見ず知らずの私のために、

スーザンの家に行く前に、私の車がどうなっているか

見に行ってくれると言う。

そこで、恐る恐るさっき歩いて来た道を、今度は車で戻った。

雨は止んで、青空も見える。辺りはすっかり明るい。

 

 

車の混み具合もさほどではない。

歩いて30分以上かかったというのに、車なら数分だった。

 

その交差点には依然として、数台の車が沈んだままだった。

が、水嵩はぐんと減っていた。

この分なら車で逆方向(我が家の方角)には戻れるとふんで、

彼らにお礼を言って、その友人の車を降りた。

交差点には、消防車が来ていた。排水作業をしていたのかもしれない。

 

注)交差点の部分だけが窪んで大きな池になっているので

少し離れると道路を渡れた。

 

自分の車に戻った私は、ふーっと大きな息をついた。

やっと自分らしくなった、と思った。

わが愛車は、さながら私の分身である。

オーバーに聞こえるかもしれないが、それほど車は生活必需品なのだ。

 

少し遅れたが、娘の迎えにも行ける。

小一時間前スーザンと祈りながら走った道路からは

すっかり水がひいていた。

途中、反対方向からの車をお巡りさんが出動して通行止めにしていた。

交差点は、依然として大きな大きな水溜りだから、通り抜けできない。

道路の脇は、あちこちゴミだらけ。

一時的にしろ浸水状態だったから、流されてきたゴミが山になっている。

わが娘の学校の前も洪水がひいた後のようだった。

 

娘曰く、「学校中が床上浸水して、靴は水でガボガボ。

アメリカ人の子達(彼らは、高校生)は、

雨の中ずぶ濡れで、はしゃぎまわっていた」とか。

 

さすが、雨の少ないカリフォルニア。雨は、珍しい。

したがって、カリフォルニアンは雨が好きらしい。

 

アメリカの住宅は、床と土間の高さが同じである。

降雨量10センチともなれば床上10センチの洪水となる。

 

こんなわけで、劇的な体験をした私とスーザンであった。

 

大々的にテレビでに取り上げられるはずと思ったけど

なんとこの大雨、超局所的なものだったらしい。

地方のテレビ局のニュースにはなったかもしれないが、

大きなテレビ番組のニュースには、影も形も出てこなかった。

(残念!)

〜〜〜〜〜〜〜

 

今ならさしずめユーチューブなんだけどねえ。

 

このお話のその1、その2はここから↓ 


エルニーニョの午後 その1↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=801

 

 

エルニーニョの午後 その2

http://americajijo.jugem.jp/?eid=802


1998年 エルニーニョの午後 その2

  • 2013.04.29 Monday
  • 15:03

 いつまで経っても止みそうにない雨を眺めながら

とりとめもない話をしていた私とスーザンであったが、

子供を迎えにいく時間が迫ってきた。

雨は一向に止みそうにない。しかし、雨脚は、弱くなってきた。

意を決して、帰るほかはないと二人で店を出る。

ちなみに、この日のお昼代は、スーザンの奢りだった。

「自分の分は、払う」と申し出たが、「今日は、私の奢り」と

スーザンが言う。お手軽な物だったので、ご好意に甘えた。

その代わり、"I'll buy your lunch next time."

「次回は、私が払うわ。」ということになった。

 

しかし、それ以後、ス―ザンと食事をする機会に恵まれない。

だから、私は彼女にランチ1回分の借りがある。

 

アメリカ人は、あまり食事代を奢ったり奢られたりしないみたい。

自分が食べた物は、自分で払う。

ダッチ(オランダ)方式という。

しかし、一つのルールがある。

食事を誘った人が、招待した人の分を払うというもの。

招待した人が「払う」といった時は、素直に従おう。


払う時に、「私が払います。」「いや、私が…」

というやり取りは、彼らの場合、考えられない。

奢るといったけれど、相手が自分の分を払うといったら、

すんなり承諾して、相手の分を払ってもらうということも出来る。

こうしなければならないというルールはない。

こういう点が、あっさりしているというか、合理的というか。

 

道路は、なんだか川のようである。

雨水が、道路を川底にして低い方に向かって流れている。

こんなことって、日本では起こり得ない。

たった2時間くらい雨が降り続いたというだけでこの始末?

 

あちこちの排水設備の未熟さもさる事ながら、

車に関しても、おもしろいことがある。

 

この辺を走っている車には、泥よけというものがついていない。

後部タイヤの後ろにひらひらと付いているあれだ。

日本では みんな泥除けを付けているよね。

 

だから、雨が降り出して、道路に水が溜まろうものなら、

車の巻き上げる水飛沫で視界が数メートルというありさまだ。

特に、フリーウェーで雨に会うと、視界ゼロといってもいい。

走りつづける為には、速度を落とし、車間距離を取るのが一番。

 

川になった道路をそろりそろりと走る。

深みにはまればそのまま動けなくなる可能性がある。

超低速で、彼女の家の方向に向かう。

大雨ということもあって、車の数は少ない。

対向車がない時は、中央線をまたぐ格好で走る。

道路の両脇は、水深20〜30センチありそう。

主要道路からはずれると、ますます車の数は減った。

スーザンは助手席で、両手の指をクロスさせている。

(中指を人差し指に乗せる。これは、幸運を祈るおまじない)

 

雨水の濁流の中を、運転しながら、

深みにはまって、立ち往生したらどうしよう?

と、怖かった。

 

と、突然、対向車が次から次へとやって来る。

何が起こったか解からないままに進むしかない我々。

(スーザンの家は、進行方向にある)

その対向車も途絶えた。しばらくまた進む。なんと渋滞?

いや違う。前の車が、前方道路脇の駐車場へ入っていく。

 

解からぬままに、後をついて駐車場へ。

なんと、車が34台、その先の交差点に沈んでいた。

1台は、まだ、ウィンカーが動いたままで溺れている。

想像できますか?交差点に、車が水没だなんて。


この車水没シーン、その週の地域新聞「アーバインニュース」に、

写真入りででかでかと載った。

 

さあ、困ったことになった。

車を降りて、違う道を通って帰れないかと

やはりその辺をうろうろしているトラックの

運ちゃんに声をかけた。

以下、スーザンと、運ちゃんの会話。

 

ス: "where did you come from?" 「どこからきたの?」

 

運: "I came from Culver." 「カルバー通りから」

 

ス: 「じゃ、カルバー通りはまだ走れるのね?」

(どんなふうに言ったか、正確に覚えていないので

英文は省きます)

 

運: "No, Culver is under the water now."

「いや、無理だ。カルバー通りは、水没してる。」

 

Culverは アーバインの中心を走る主要道路で

これが 水没では 人々は どこへもいけない。

 

これを聞いて、「なんと恐ろしいことが起こっているんだ!」

と、多いに焦った私たちである。


〜〜〜〜〜〜


交差点での車水没事故現場、3〜4台沈んでいた。

目が点になった。

今ならさしずめ携帯カメラで ぱちぱち写真を

取ることだろうが その当時 携帯電話にカメラなど

ついてはいないし それ以前に携帯電話も無かった。

そういえば、携帯電話の普及は 断然日本が早かった。

 

 

<続く>

その3は ↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=803


エルニーニョの午後 その1 (1999年の記事より)

  • 2013.04.28 Sunday
  • 11:04
 カリフォルニアに雨は似合わない。

ただただ青く、雲も無い空。

ほとんど一年中同じような快晴が、続く。

季節は、乾季と雨季の二期しか無い。

蒸し暑い夏も無ければ、寒さに凍える冬も無い。

厳しさが無いから 寒さが緩み、春を迎える喜びも無い。

そして、暑さが嘘のように引いて、

物悲しい秋風が吹き始めることも無い。

 

居住区域(住宅街)を出ると、辺りは殺伐とした砂漠である。

人が住まない場所は、乾季になるとサボテンしか生えない。

 

数日前(1999年の420日ごろ)

久しぶりに雨が一日降り続いた。

車で出かけると、いたる所に水溜り。

そして、思い出した。

去年(1998年)の雨の日の出来事を。

 

その年は、エルニーニョの影響で雨がどっさり降った。

いたる所で土砂崩れだの、浸水だのと

雨の度に新聞テレビで大騒ぎだったことを。

これは、その大雨の日でき事である。


その日、一人のアメリカ人が私を昼食に誘ってくれた。

彼女の名は、スーザン。

私がアメリカに来た年(1995年)、無料英語教室の

ボランティア教師だった。

その数日前、私は、偶然にも彼女と再会して

食事をすることになったのだ。

 

彼女を迎えに行って、どこに出かけるのかと思いきや

Asia Noodle Cafe」(=アジアの麺)という店だった。

我が家の近くのモールにある店なのに、

アジア人の私は、存在すら知らなかった。

 

メニューに、どんぶり物やラーメンがある。

日本食?うーん?日本食の顔をしたファーストフードの店。

しかし、味は、やっぱりアメリカン・テイスト。

日本食とは、ちょっと違う。しかし、あくまでも日本風。安い。

しかし、ごまかして?「アジアの麺」と名づけてあるのがみそ。

 

彼女は、オーストラリア出身のアメリカ人。

しかし、日本びいきである。

この店もとても気に入っているとか。

息子(8歳)に日本語を教えたいと思っていると言う。

食べながらいろいろ話した。

「英語は特に発音が難しい」と言うと、

彼女のように英語を話す国からやって来ても、

オーストラリア英語はイギリス訛りがあるために

時々通じないことがあると言って慰めてくれた。

ちなみに彼女は、我々のような外国人に

英語を教えるボランティアをしていたこともあるので

比較的、下手な英語を理解するよう努力してくれる。

おまけに日本びいきであるから、とても親切。

 

英会話の秘訣)

英会話上達の条件は、アクセントの位置と正確な音が決め手。

 

食べながら話は弾んだ(つもり)。外はいつの間にかどしゃ降り。

雨自体が珍しいから、昼食を取っていた客達は

みんな、楽しそうに雨を見ている。

客達の国籍は?というと、

アジア人は居るが、日本人は、私だけ。

外人(私にとって)ばかりである。

食べ終わっても誰も店から出ない。出られないのだ。

傘を持っていない人が多い。

雨など降らないから、普段から、傘を持つ習慣がないうえに、

雨は、昼近くになってから降り出したから、用意してない。

 

我々は、降り出してから出かけたので幸運にも傘を持っていたが、

傘など、何の役にも立たない激しさである。

皆、小降りになるだろうと待っている。

が、雨脚はますます激しくなり

とうとうバケツをひっくり返したような雨。

昼休みがそろそろ終わるというのに、誰も外に出られない。

 

もしここに居るのが、日本のサラリーマン達だったら、

「どんなことをしても、彼らは、オフィスに帰るだろうな」と

私は、思った。しかし、彼らは誰も席を立たない。

お喋りをしながら、外を眺めたり・・・。

 

そのうち、すぐそばの排水溝から雨水が逆流して、

間欠泉の噴水のようになった。

ある間隔を置いて、雨水が10メートルほど噴き上がっている。

「火山の噴火みたいね。」と、スーザンと言いあった。

雨の降らないカリフォルニアとしては、

とびきりおもしろい眺めだ。

 

日本では、雨はある程度予想されるから、排水設備も整っている。

しかし、ここでは、大雨は想定されていない。

だから、少しでも雨が降ると即、洪水ということになる。

 

1時30分を過ぎても一向に雨脚が弱まる気配はなかった。

呑気な客達が、店から、外を眺めるのにも飽きてきた頃、

スーツ姿の一人の大柄な女性が、傘も無しで、

ずぶ濡れで店に飛び込んできた。(40年配)

彼女が開けたドアから雨と風が猛烈に店に吹き込んだ。

 

そして、みなの注目を浴びた彼女が叫んだ。

"That's fun!" (楽しいわよ!)

それを受けて、店にいた全員、やんやの喝采。

 

これを聞いて、「これってやっぱりアメリカ!」

と、思った私である。

 

この後、家に帰るのだが、まだ、すごいことに遭遇する私達。

 

<続く↓>

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JUGEMテーマ:興味深い話題・出来事など

大学の学費 高いね

  • 2013.04.26 Friday
  • 15:44
 今は、今年高校を卒業して大学に進学する子供たちにとって

あと一週間で学校を決めないといけないという大事なときだ。

 

わが末娘も 今 大いに悩んでいる。

 

勉強したいことが はっきりしている(らしい)ので 

受験の段階での口出しは一切無し。

いくつかの学校を受験し、いくつかは 届かず、

いくつかに受かった。

 

そして、後は どの学校に行くのか?が残っている。

それも 一週間のうちに決めなくてはならない。

 

本人が行きたいところに 行かせてやりたいけれど

学費やら 寮費やら その他もろもろ 

グラントとかいう学費の補助やスカラーシップなどがあっても 

私立は高い。

 

学校にもよるが、学費だけで 年間 50000ドル(5百万円)以上になる。

それに 寮費、食費などなどを加えると 気が遠くなるような数字になる。

4年間行ったら 家が買えると誰かが言ったけど そうだね。

成績がよければ グラント(学費補助)の金額が増えるし 

特別優秀な子には フルスカラーシップ

(学費から寮費、食費などのすべて無料)という制度もある。

 

さらに、その子の家の経済状況で 補助がでるので 

学費を全額 自分で払っている子は 少ないらしい。

去年参加したカレッジツアーで 説明してくれたっけ。そういえば。

そして、

補助が出た残りは 本人が 金利の安いローンを組んで 

卒業後に支払ったり、それでも足りなければ 

親が借りることもできる仕組みになっている。

 

それが分って、ちょとほっとした。

そうでもしなければ 払える金額ではない。

 

州立大学に行けば 学費は 少し安くなる。

でも、3万ドル(3百万円)くらい かかるらしい。

グラントなどが出るから 自分で払う分は かなり減ることが

分っている。親として これはうれしい。

 

そうそう、思い出した。

去年だったかな。

テレビのニュースでこんなことを言っていた。

「大学の学費は どんなに高くても 投資だから

価値があると今までは 考えられていたが

こんなに学費が高くなってしまうと 

大学を卒業する頃には 借金が山のように溜まってしまい

社会に出て お給料をもらっても その借金を返すまでに

時間がかかりすぎて 投資であるといえない情況になりつつある」

と。

 

それなのに みんな 必死で 大学に行くのね。

 

皮肉なことに リーマンショック以来、就職難ということで

大学を卒業しても 職が見つからず 

4年卒業しても 働かず大学院に進む学生が増えたという。

さらにお金が掛かるわけだけど せっかく大学を出たのだから

安い給料で働きたくないということらしい。

だから さらにマスター(大学院卒業資格)を習得して、

さらに就職を有利にし、お給料をたくさんもらおうとおもえば

そうするしかないのかも。

 

実力社会だと思っていたアメリカだけど

やっぱり学歴社会なんだね。


結婚生活は檻の中?阿刀田高「最期のメッセージ」より

  • 2013.04.25 Thursday
  • 15:26
 久しぶりに本にはまっている。

阿刀田高の「最期のメッセージ」だ。

 

ショートショートと呼ばれる読み物。

一つ一つが短くて さらさら読める。

 

阿刀田高 はじめて読むような気がするが、

もしかして 読んだことがあるのかなあ??

同じようなものを書く星新一のショートショートは好きだった。

でも、私の記憶に 阿刀田はない。

 

この本の一つ目のお話にびっくりさせられた。

「四角い檻」というお話。

故障したエレベーターの中で出会った男女が 

一目ぼれをして結ばれるのだが

不思議なことに エレベーターの中で二人は結婚生活をし

子供も生まれ 年老いていく。


このお話の落ちは、

結婚生活は所詮 四角い檻の中にいるのと同じで

エレベーターは天に向かって 日ごとに昇っていく。

人生は 日々 死に向かって進むこと。

気がつけば 天はそのすぐそばまで来ていた。

・・・んですって。

 

ふーーん、そういう見方なんだあ??


今は 結婚生活を檻だなんて考える人は少ないんじゃないかな?

いまどきの若者でそんな風に考える人は むしろ一人で

生きるほうを選択するよね。無理して結婚しない。

一人でのびのび 自由に生きることを選ぶ。

そういう時代になってよかったね。

日本もかなり変わっているよね。


そして、アメリカは 結婚に関して もっと周りからの

プレッシャーが少ないような気がする。

 

娘たちを見ていても とても自由に交際をしているし

結婚をあせっているようには見えない。

周りのお友達の年頃の娘さんたちもしかり。

 

それに引き換え 昔は 適齢期も短かったなあ。

結婚適齢期はクリスマスケーキといわれて

24が売り込みの最後の日で、

25になると売れ残りなんて 言われて。

(日本では クリスマスケーキを24日のイブに食べるからね)

 

この本は、そんな時代に書かれたショートショートだから

お話のすべてが、時代を反映している。

 

そして、阿刀田さんの書くものは 

ちょっとエッチという評価だったらしい。

Wikiペディアで「阿刀田高」を調べたらそんな風に出ていた。

 

今読むとそんなにセンセーショナルでもなんでもない。

最近の読み物やテレビは過激だから

阿刀田さんのものは かわいいエロかもしれない。

 

いっきに読んで 今夜中に読み終われそうな勢いだ。

 

ととろ図書館にあるので 読んでみてね。



JUGEMテーマ:自分が読んだ本

2013年4月 浪漫川柳

  • 2013.04.24 Wednesday
  • 15:10

 散る花を眺めて満開うば桜 (子猫)

 

4月で 連想するのは 桜花。

桜 大好きなんです。

お花見の時期は 「日本に帰って 散る桜を見たい」と

切なく思うのです。

桜は すぐに散ってしまうけれど 

そういえば、同じ桜でも 姥桜って 散らないかも・・・

それとも 散るんだろうか?

 

「うば桜」を知泉WIKIで調べたら こんなのが出てきた。

 

女性に対していう場合は

年齢がかなり行っているのに、どことなく色っぽさ、

艶っぽさを醸し出している」

という意味になります。
褒めてはいますが、単純に褒め言葉として

捕らえるのには難しい言葉です

 

元々は「彼岸桜」の事を意味していて、が早く咲くため、

花が咲いている間は葉が出ない事から「葉が無い=が無い」

ということから、老婆(姥:うば)を意味する言葉になったのです

〜〜〜〜

 

ワーウォ!葉がない=歯がない=老婆だって。

色っぽい女性のことだと思っていたけど・・・。

最近は 熟女とはいうけど うば桜なんて使わないかな?

 

 

お入学お受験受かり親得意 (子猫)

(お入学 誇らしげなのは 親の顔) 

 

4月といえば ぴかぴかの一年生。

お受験で 有名私立に受かって

ぴかぴかのランドセルを背負って 入学式に行く。

そのそばで お母さんやお父さんのほうが

本人よりうれしそうだったりして。

 

 

フレッシュマン理解可能な枠の外(子猫) 

(新人は 年々理解の枠の外) 

 

4月は新卒のフレッシュマンが大勢会社にやってくる。

世代のギャップは年々広がる。

理解できない新人たちを

新人類とかミュータントとか呼んだのは昔の話。

 

今の新人たちは なんと呼ばれているのだろう??

 

JUGEMテーマ:日記・一般

ゾンビから脱却

  • 2013.04.23 Tuesday
  • 14:13
  今日、半年振りに ヨガに行った。

体を伸ばして 気持ちよかったなあ。

 

最近の私、だらだらしすぎだったから

やっと人並みに なった気がした。

ちょっと心を入れ替えたのね。

普通なんだろうなあ。他人から見たら。

でも、私にとっては 久しぶりに人間に戻ったという気分。

人間じゃなかったんだよね。最近。

人間の振りをしていたけど。

突然、「このままでは いけない」って 

スイッチが入った。

 

ゾンビみたいな毎日だった。

時間が来れば おなかはすくけど 食べたいものが無かった。

夕食時、一人のときが多いから

食事を作るのが面倒で いい加減な食生活。

冷蔵庫の残り物を なるべく手間がかからないような方法で

いい加減に食べる毎日。

その結果 体調は回復せず、ますますやる気がなくなり

さらに体調の悪化を招くという悪循環。

 

体調が悪いので 予定の無いときは だらだらする。

だらだらするのは 悪いことじゃない。

調子が悪いときには 必要なんだけど 

いつまでも しゃきっとせずに だらだらが長引いていた。

特に、朝。

 

しかし、根がまじめだから(ほんとかな?)

だらだらをあんまり長く続けると気分は最悪、

落ち込んでいく。

だらしない自分を責めてしまい 

自分で自分の首を絞めていく。

 

ふくらはぎを痛めたり

腰の痛みが 直らなかったり

体重計に乗ってみたら 

あれ??何にも食べていないのに

体重だけが増えている。

さすがの私も これは 想定外。

 

そこで、人間に戻るスイッチが 入った(らしい)。

 

食事で きちんと たんぱく質を取らないと

痛めた筋肉は 治らないぞ。

 

少しずつ運動をして 筋肉を付けないと

いつまでも 痛い思いをするぞ。

と、みんなからも アドバイスが。

 

「もう、痛いのは いや!!」

 

毎日少しずつの運動、

そして、バランスの取れた食事。

人間になるための基本だね。

頭の回転も良くなるかな??

 

だといいけど・・・。


JUGEMテーマ:健康

ある日曜日の夕方

  • 2013.04.22 Monday
  • 16:07

犬を連れて 散歩に行った。

久しぶりのこと。

 

昼間は、暑かったけれど もう6時を過ぎていて

影が長く伸びていた。


 

中国では地震、ボストンでは 爆弾事件と

世界では いろんな事件が 起こっているけど

ここはいつもの景色。

なんにも起こらない平凡な一日に感謝する。


道端にこんな花が さりげなく咲いていた。

 

 

 

庭の木の花は突然の暑さに 縮こまっているようだ。

 この花から とてもいい匂いがする。


 

 

隣の家の裏庭を覗けば 

いつの間にか 2頭から4頭に馬の数が増えていて びっくり。いつの間に??




JUGEMテーマ:日々徒然

ボストン爆破事件のその後

  • 2013.04.21 Sunday
  • 15:25
 昨日ボストンの爆弾事件の犯人、ロシアからの移民で

26歳と19歳の兄弟が、兄は警官との打ち合いで死亡し

弟も銃撃戦の末に 民家の裏庭のボートに隠れているところを

逮捕された。

 

彼は、警官との撃ち合いで怪我をして 重態で

病院で治療を受けているが、身柄を確保され

一応の解決をみたのを受けて 今日のニュースは

それ関係のニュースで 忙しい。

 

あるテレビ局は、ロシアに住んでいる容疑者の父親のところに

早速インタビューに 駆けつけていた。

父親という人は 車に乗ったところに マイクを突きつけられて

いたが ほとんど何も言わず 苦しそうに車の窓を閉めていた。

犯人とはいえ 息子たちが、一人は 死んでしまったし 

もう一人も重態で、犯人の親だといわれても、

寝耳に水なのだろうなあ。

それにしても、すごいなあ。マスコミ魂。

 

ニュース以外にも、ドラマ仕立てで被害にあった人たちの

「あの時」が物々しくお涙頂戴風に作り上げられていて

なんだかよそよそしい。

紙一重で 生死を分けた人々 一人ひとりにドラマが

あるに違いないから いくらでも 番組ができるに違いない。

それにしても、あまりにも作られていて 

見ていてなんだか空々しい。

マスコミの過剰放送は 逆効果じゃないだろうか?

 

たまたまそこに居て 巻き込まれ亡くなられた犠牲者と

その家族、そして、怪我をした人たち

どんなに辛いめにあっていることだろう。

やるせない気持に違いない。

それは 分る。


しかし、分らないのは、

事件が解決したとお祭り騒ぎに なっていること。

なんだかなあ。もっと 静かにできないのかしら?

静かに 悲痛に 厳粛に でも、希望を持って。

と、思うのは 私が日本人だからなのだろう。


この国の人々には そんな観念は 無いみたい。

どんな悲劇があっても 日常は 動いていく。

時は その前と同じように 進んでいく。

あまりにも 同じように進むので むごいように思える。

 

それでも、希望を失わないで 生きていくために

景気づけしないといられないのかな?

アップダウンが激しいのね。

われわれが思うより ずっと、ずっと。

 

今日ボストンスタジアムで行われた野球の試合では 

被害にあった人の代表やボストンマラソンでボランティアで

働いた消防士たち、などなどが招かれて 試合前に

観客に紹介され 厳かに 国歌が斉唱されて 

試合が開始された。

 

愛国心が 鼓舞されること 限りなく・・・。

ここぞとばかりに。

 

そして、事件の解決に向けて

犯人の背後に誰がいるのか?

FBIの捜査は まだまだ続くらしい。

 

ちなみに 去年 ボストンに行ったとき

あのゴール近くに泊ったってことをニュースを見ながら思い出した。

歴史のあるとても素敵な町並みで 有名大学なども多く

雰囲気は抜群だった。

あの町が 大騒ぎになっているなんて なんだか信じられない。

「ボストンは教育の街」↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=442


痛くて涙がちょちょ切れる

  • 2013.04.19 Friday
  • 15:08
 今日は 針へ。

ふくらはぎをまた痛めてしまった。

痛くて 歩くのが 大変。

 

最近 故障が多いなあ。

 

指圧と針医をしている中国人のところで

針を打ってもらうのだが

ふくらはぎの痛みは 針を打っても すぐには良くならない。

寒くて 血行が悪くなり こむら返りが起こるのだろうと

針医はいう。

 

前回も、こむら返りを起こした2日後に

歩くたびにふくらはぎの筋肉が ひどく痛くて

歩くのが辛くなって 針に行った。

今回も 同じで 2日目のほうが辛い。

 

あーあ、年は取りたくないね。

 

こむら返りの後の異常な筋肉の痛みは

何なんだろう?

筋肉痛?

カイロの先生は 軽い肉離れといっていた。

 

水分を十分に取ったほうがいいといわれたが

かなり気をつけて水を飲んでいる。

 

運動不足?

 

足の故障というのは 悪循環を引き起こす。

足が痛いと歩かない。

歩かないと 運動不足になり 筋肉が衰える。

筋肉が衰えると ますます運動しなくなる。

無理して運動すると 筋肉を傷める。

 

「無理しないように スクワットをするといいよ」

って 友達が教えてくれた。

なので、早速、

「そうだね。やらなくちゃ。このままじゃいけないよ」

と、いきなりやってみると いたーーい!

今はできないないなあ。痛すぎる。

 

しかし、この負のスパイラル 何とかしなきゃ。


JUGEMテーマ:健康

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