アメリカの景気は上り調子

  • 2012.11.29 Thursday
  • 12:48
アメリカの景気が 良くなるらしい

今月始め、大統領選挙があった。
共和党のロムニーもかなり頑張っていたので接戦が予想されたが
オハイオ州を制したオバマが再選を果たした。

?選挙後 一体何が変わったのだろうか?
これから アメリカはどうなるのだろうか?

政治音痴の私には 皆目検討もつかない。

そんなとき、オバマ当選のその後について 日系無料紙の
女性編集長が お話をしてくれるというので 張り切って出かけた。

実は、「今度の勉強会でK編集長にお話をしてもらいましょうよ」
と、勉強会の主催者S氏にお願いしていた。
(私がお願いしなくても S氏は そのおつもりだったらしい)

さて、K編集長のお話は・・・

?オバマ再選後のアメリカの議会の形態は?

答) 以前と全く変わっていない・・・のだそうだ。

何も変わらなかったのに
今回の選挙によって使われたお金は60億ドル。

凄いねえ。1ドル80円と計算して4800億円。
あまりにも桁が大きすぎて わけがわからないけど、
ともかくすごい金額が動いたわけだ。
にもかかわらず 何も変わっていないのでは 拍子抜けする。

?選挙が終わった今 この大金が どこに消えたのか?

答) メディアに流れた。

そうねえ。オバマもロムニーもお互いの悪口を
テレビを初めとして インターネットやらラジオやら
あらゆるメディアを使って 言い合っていたよね。
テレビコマーシャルのお値段ときたら半端じゃないものね。
いくらお金があっても 足りないくらいだろうね。

今回の選挙でとりあえず儲けたのは メディア各社だったらしい。


?勝敗の鍵は?

答) ヒスパニック系の人々の票を どうやって取り込むかにかかっている。

当選の鍵を握ったオハイオでも ヒスパニック系住民の力はすごく
オバマ当選には一役も二役も かったと言う。

今後共和党が大統領選挙に勝つためには、彼らに気持ちをどう掴むかが
重要な要素だ とか。


投票率は?

若年層がオバマを指示するだろう。若い人が投票すれば、オバマは安泰。
と、いううわさだったが 蓋を開けたら、

答) 投票率としては 減少していた

にもかかわらず若年層の数が増えていたので
相対的には 影響はなかったらしい。
オバマには追い風だったみたい。

ハリケーン ウェンディもオバマには 追い風になった。
運がいいね。彼は。


そして、最も重要な経済について。

どうやら アメリカの景気は上向いている という。
ワシントンのシンクタンク(信用がおけるとして重要視されている人)
が、そのようにのたもうたのだそうだ。

理由は、
この頃 アメリカのの自動車産業は活気を取り戻したらしいのだ。
アメリカの主要産業は何と言っても、自動車だからね。
腐ってもフォード、GM、その他モロモロ。

そして、今 不動産の需要が飛躍的に伸びているのだとか。

リーマンショック以来の長い長い冬の時代がとうとう
開けるのかと思うと 感無量。


嬉しい!
長〜い 長〜い、円高、ドル安も
そろそろ 終わるのか?


そういえば、今朝のニュースで
「オバマさんは、金持ち共和党と協力体制に持っていくべく、
共和党に理解を求めた」
というようなことを言っていた。

泣いても笑っても どうせ任期は後4年。
再選されてしまえば、こっちのもの。
その間に 共和党と協力して どれだけのことを 成し遂げられるのか?
オバマは アメリカ初の黒人大統領として新たなるレジェンド作りに
走り始めたらしい。

ということは、ロムニーを指示した人々も オバマだからと
そうがっかりしなくてもいいのかも。
何もロムニーでなくても良かったってことかもね。

オバマさん、お手並み拝見 期待してるよ!

パニック、何か忘れそう!

  • 2012.11.29 Thursday
  • 10:46
 めちゃくちゃ気分だけ あせっている。

明日から 出かけるのに、まだ パッキングしていない。

なのに 今夜は 勉強会へ出かけるつもり。

だから早く荷造りしないと。間に合わない。

 

どうするんだ。私??

まだ、やることがいっぱいあるぞ!

あれをして これをして・・・。

だけど、何をしていても 落ち着かない。

パニック状態だ。

 

いつも荷造りは 前の日の夜中なんだから いつものことなんだけど、

それにしても 準備の日数が足りない。

 

いや、短いものも あった。

2年前、父が亡くなったときは 速攻チケット手配で 飛んでいった。

そういう時は 何も考えずに着の身着のままでいけるから

いいんだけどねえ。

 

今回みたいな場合は まずはお土産から 悩んじゃう。

楽しいんだけどね。それはそれで。

準備期間が短かったけど、お土産は 何とか解決。よかった。

 

洋服は 何を持っていこうか?

寒いって いったいどのくらい寒いのかな??

南カリフォルニアにいると寒いという感覚が 分らなくなる。

寒いの嫌いだし 寒いのいやだなあ。

って、「じゃあ、こんな寒いときに 来るなよ」

って言われるよね。たぶん。

 

洋服ダンスをひっくり返し あれでもない。これでもないを

繰り返すこと 数時間。とっかえひっかえ 着ているうちに 

わけが分らなくなり、くたくた。疲れ度 マックス200%

もういい。何でもいい。とにかく 下着とか 絶対必要なものを

しっかりつめれば それでいいや。

 

開き直った。

 

最初から そうすれば楽だったのに。

一応 私も女の子なので ちょっとでも あるもので おしゃれを・・・。

って思ったんだけど、寒いところに着ていくものは やっぱり持っていなかった。

無駄な努力だったね。まあ、いいか。

 

お友達に会いに行くし ちょっとかっこつけたかったけど

素のままで いいや。

 

おっと、勉強会に出かける時間だ。

行ってきまーす。

今日の勉強会のお題は「オバマ政権の可否」。面白そう。

やっぱ、行かなくちゃ。

明日 出発だとしてもね。

 

でも、なんか大事なものを 忘れそうな気がする。

いつも「あれを持ってくればよかったのに」って物が

必ず一つや二つあるんだよね。

ここ数日 お馬鹿なことばっかりしているから、心配なんだよね。

 

最低、チケット、パスポート、お財布さえあれば

何とかなるよね。

 

心配しないことにしよう!!


JUGEMテーマ:今日のこと

痴呆の坂道 すってんころりん

  • 2012.11.28 Wednesday
  • 14:01
 やばいぜ。私。

今日も頓珍漢なことをしでかした。

 

4人でお昼を食べていた。

その中の一人が 明日お誕生日だというので

バースデーデザートを注文しようということになった。

 

食事が終わり、いよいよデザートを頼むことに。

あれがいいかな?これにしようか?

悩んだ末に「じゃあこれね」と白玉団子を頼むことになった。

そのとき、お店は 混んでいた。

手が足りないらしく ウエイトレスがなかなか来ない。

 

待ちながらおしゃべりをしていた。かなり長く 待ったような気がする。

やっとウエイトレスさんが席に来てくれて、注文し、

そして、また、おしゃべりを始めた。

おしゃべりに夢中になっていた。

何を話していたかなんて忘れてしまった。

別に難しい話をしていたわけではなくて

内容は、どってことないくだらない話だった。

 

しばらくして

私、「そうだ。デザート 頼まないとね」

と真顔でみんなに 提案した。

一緒にいた友達が びっくりして

「さっき頼んだじゃない!」

という。

ウッ、そうだった。確かに。

さっきウエイトレスさんを呼んで白玉団子を注文したよね。

 

やばいよ。このあんぽんたん。頭、どうかしている。

ちょっと前にも同じようなことがあったなあ。

やはり レストランで何か注文したんだけど

それを忘れてしまった。

頼まなきゃとあせって 友達から笑われた。


・・・というまったく同種の事件だったような・・・。

 

2度も続けてそういうことがあると 不安になる。

相当重症だよ。これ。

私の頭 どうかしちゃったんじゃないか?

年齢によるボケが始まってしまったのか?と。

 

でも、注文したって言われると すぐに「そうだった」と

そのときの情況が よみがえるから まだ 大丈夫なのかな?

これらは 単なる勘違いの範疇に入るのかな?

 

しばらく前のことだけど ある友達にも同じようなことが起きた。

 

家でカラオケを歌っていたときのこと、その友人が

神田川だったか?22歳の別れだったか??? 

懐メロを歌った。その直後、ほんの5分も経たないうちに 

まったく初めてのように もう一度それを歌おうとしたので

「えっ、それ今歌ったじゃない?」

というと その友人は、

「えーー、私 本当にその歌歌ったかな?」

と、自分が歌ったことすら忘れたらしかった。

そのとき 笑ったね。

「直前の記憶が無いっておかしくない??」

なんて言いながら。

記憶があるだけ 私は、まだ、ましか??

いや、どちらにしても、どんぐりの背比べだよね。

 

「人を笑うものは 人に笑われる」

そのとき その友人を笑っていたのに、

他人事だと思っていたのに、それなのに 同じようなことを

それも 2度も 短期間の間に しでかすとは。

 

痴呆の坂を一気に転げ落ちている気がするなあ?

まじ 危ないよ。私。


JUGEMテーマ:健康

きっかけは一瞬で訪れる

  • 2012.11.27 Tuesday
  • 12:33
9時、気がつくと携帯電話に 着信があった。

お電話の主はS氏だった。急いで 電話を掛けなおすと

S氏「今日は猫の会です」

(その言葉で、一瞬にして 思い出した。そうだ。今日は、猫だった。)

私「あっ、忘れてました。2時からでしたね。頑張ります」

何を頑張るかといえば 原稿書き。

「猫の会」では 毎回 みんなの前で発表する作品をひとつ 

持参しなくてはならない。今日は まだ書いてないから

今から速攻書かなくては。

S氏「はい、お願いします」

と、電話は切れた。


おっとやばいね!うっかりしていたよ。

文章同好会「猫の会」↓、確かに今日だったよね。

http://americajijo.jugem.jp/?eid=306


最近 スケジュールのインプットが薄いとそれを忘れる。

日にちが変更になったので うっかりしていた。

そうかあ。今日だったんだ。原稿、原稿、書かないと。

今から書上げるのに使える時間は 1時間。書けるのか?

昼前から 忘年会の下見のランチが入っているから

原稿を仕上げて それを持っていって ランチの後 直行だな。

あたふた。あたふた。

 

どうしてこんなにあたふたしているかって??

数日後には 日本へ出発なのだが 

今回の日本行きは急に決まったので ばたばたしている。

そんなつもりは毛頭無かったため、

明日も明後日も 普通に予定が入っている。

分っているんだから 先にやっとけばいいのに・・・と思うでしょう?

でもね。先週はサンクスギビングの4連休で 娘たちが里帰りしていて

にぎやかに4日間を過ごして 自分のことなどしている暇は無かった。


急な日本行きを決めたのは 一週間前だった。

その後、この4日間は 無いのと同じ。

だから、まだ 日本行きの準備には ほとんど手をつけていない。

荷物をつめる以前に 留守の間に期限がくる

支払いなどを 前もってやり終えないとね。

いつもより倍の速さでいろいろ終わっておかないといけない。

いつものようにのんびりしてはいられない。

帰ってきてからでは間に合わないものが最優先。

それをやらないと、大変なことになる。

 

というわけで、したくに取り掛からないといけないのに

それ以前にやり終えないといけないものが山積みで 

かなり厳しい情況。 

 

そんな情況にもかかわらず 2日前の夜にも、

「締め切り間近です」というイーメールを 突然もらった。

それは 「浪漫川柳」へのお誘いのメールだった。

まったくの寝耳に水の状態。聞いてないよ、そんなこと。

それにしても、締め切りが翌日というお誘いは 初めてだ。

 

川柳との出会いは、数ヶ月前のこと、ロスアンジェルスの

日系文化に根付いている川柳の歴史のお話を聞いてから 

すっかり川柳の虜になってしまった。

門外漢の私だったが、「やりませんか?」とのお誘いを真に受けて、

夏ごろから羅府川柳に挑戦中↓。

http://americajijo.jugem.jp/?eid=550

毎月 お題が出て一ヶ月考えて締め切り間際に投稿する。

難しいけど もともと俳句が好きで ちょっとかじっていたから

似て非なるものだけど、川柳も同じように言葉遊びなので 

何とかやっている。


始める前は、ウィットもセンスも無いから無理と思ったが、

腕は 磨くものだからと覚悟を決めた。

やってみるとなかなか面白い。楽しい。

俳句も川柳も なにしろ短い(17文字)のに

その中で人生を語る。

そんなの不可能でしょう!!

だけど、あえて挑戦する。


自虐的でさえある。

 

その自虐趣味のため、締め切りが翌日という浪漫川柳の

初回の投句にも まんまと乗ってしまった。

 

出来のほどは 察して知るべし。

もっと時間が欲しかったなあ。

 

だけど、最近思うのは 時間があったからって いいものができるわけではなく

きっかけは一瞬で訪れる。

それにスパイスを振り掛ける(校正する)のに 少し時間があればいい。

 

今回は 猫の会の原稿も浪漫川柳も一発勝負だ。

あーーあ、またやっちゃった!!玉砕だ。

スパイスを効かせる時間が無かった。

 

だけど 諸事情が許さなかったので しょうがないや。

まあ、時には こういうことも ありということで・・・。


JUGEMテーマ:今日のこと

11月の川柳 「え」から始まる川柳

  • 2012.11.26 Monday
  • 14:52

 11月の川柳 「え」から始まる川柳

 

エンデバー大名行列最後まで (子猫)

 

エンデバーの最後の旅は LAXから カリフォルニアサイエンスセンターまでの

陸路での運搬作業だった。

街路樹をよけ、信号機をはずし、一日遅れでサイエンスセンターに到着。

大名行列の現代版だった。

 

 

エイジレスおどろおどろし美魔女たち (子猫)

 

最近の女性、若い!

まるで年を取ることを忘れてしまったかのよう。

どうしたらあんなに美しく若くいられるのか?

その年齢を忘れた姿には 恐怖さえ感じる。

 

 

エイジシュート目指すシニアをまず目指せ (子猫)

 

ゴルフ場には 元気なシニアがいっぱい。

エイジシュート(年齢と同じスコアーにすること)が

夢だというMさん、今日もゴルフバックを

肩に18ホールを歩いて回る。

負けていられない。

 

 

 

エンデバー背負われてなお華々し(子猫)

(エンデバー孫に背負われ引退飛行)  

 

最後のフライトのとき、まるで孫のようなボーイング747

背中に乗ってカリフォルニアのあちこちを 挨拶して回ったエンデバー、

感動だったなあ。

 

 

 

駅に立ち今浦島の帰国組(子猫)

(駅に立ち 途方にくれる 里帰り) 

 

日本に帰ったとき、駅で迷う。どうして???

 

 

 

 

JUGEMテーマ:最近のマイブーム

 

近場で遊ぼう!Zoomars Petting Zoo他

  • 2012.11.25 Sunday
  • 16:14
サンクスギビングということで 家族が集まって食事という

アメリカンスタイルのホリデーを過ごすため、長女家族は

ロサンゼルスのパサデナから 次女は 北カリフォルニアの

サンノゼから帰省して にぎやかに木曜日を過ごした後、

翌日、娘はまごまごと残ったが、婿様は 一足先に 自宅へと帰った。

次女も 友達のところに翌日夜は でかけて行き 帰らず。

にぎやかだった家族集合の初日とお昼にお客様があった2日目に

比べると格段に家にいる人数が減った3日目だった。

末娘まで 宿題があるとか何とか言いながら 

朝ご飯もそこそこに自分の部屋へ


さーて、その3日目のこと、まごまごと何をしようか?

しばらくぶりに せっかく遊びに来てくれているのだから

ご飯作ってばかりいないで 一緒に過ごさないと・・・。

 

今回、まごまごが うちの近所にいる馬を見て

馬に乗りたいなどというし、そのまごまごと一緒に

どこかに出かけようと長女が言うので、二つのことが

ドッキングして 私に 思い出させたのが 

家の近くのふれあいミニ動物園。

 

Zoomars Petting Zoo


何年か前(たぶん10数年前)に 末娘を連れて 

近所のサン・ホワン・カピストラーノにある農家がやっている

ふれあいミニ動物園に行ったことがあった。

あそこなら ポニーライド(子供を馬に乗せてくれる)があったから

出かけるなら そこがいいのではないかと思った。

 

そこに行ったのは かなり昔のことだけれど

つい最近 FB(フェイスブック)友達が 子供を連れて

そこに行ったことをアップしていて ちょうど 記憶の底から

そのときのことが思い出されたところだった。

その映像は 何年もその場所が なんら変わっていないことを

物語っていたので まるで昨日そこに行ったかのように

錯覚してしまうほどだった。

 

ウェブで場所を確認し 出かけた。

家から15分。サン・ホワン・カピストラーノの駅のすぐそばだ。

なにしろ昔のこととて 車を止めてからそこを見つけるのに ちょっと迷った。

が、驚いたことに その場所は、記憶の中の風景と

ほとんど変わっていないどころか ある部分はまったく同じだった。

 

以前から、ミニ電車があったかどうかは忘れてしまったが

ウサギやヤギ、モルモットなどの小動物に えさを買って与え、

子供と動物が触れ合えたり、子供たちを乗せて動物園の一部を

歩かせるポニーライドのための数頭の馬がいた。

 

まずは 小さな動物たちに にんじんや レタスの葉を与え

しばらく 遊ぶ。



さあ、そろそろ待望のまごまご、ポニーライドへの挑戦だ。


まごまご 2歳半である。まだちょっと幼いけれど

馬には 子供の腰が丸々はまって 落ちないようにサポートが

付いている幼児専用の鞍が付いているので 2歳くらいの

小さな子供でも大丈夫。同じような年齢の子もやすやすと乗っている。

 

Sちゃん、お馬に乗りたい?そろそろお馬のところに行こうか?」

と、長女が言うと、まごまごも

「うん、乗りたい!」

と、張り切って答える。

 

いよいよだ。どんなに楽しそうに馬に乗るんだろうか??

と カメラを構えて準備万端・・・だったけど、

馬まであと1メートルとなったら

「やだー、馬、乗らない!」

と泣き出すまごまご。

 

近場で馬を見たらどうしても 怖くて乗れなくなってしまった。

小さいからね。やる気と実際とでは 違うものだし・・・。

3回ほど 気を取り直して挑戦してみたけど どうしても最後の

ところで泣いてしまい 結局願いは 果たせず。残念でした!

 

 

まあ、こんなことはどうやらしょっちゅうらしく 帰りに

「乗れなかったから 料金は返してもらえるかしら?」

と 長女が入り口のお姉さんに尋ねると とても気持ちよく

ライド代5ドルを返却してくれた。もう少し大きくなったら

きっと怖くなくなって平気で乗れるんじゃないかな??

その後、しばらくズーの中の遊具で遊んだ。

 

とうもろこしの砂場(とうもろこし場とでも言いましょうか?)


お昼が近くなり、ズーを出た。線路のほうへと歩くと

どうやらそこでは時間がとっても緩やかに流れているらしかった。

 

The Los Rios Historic District

というのも サン・ホワン・カピストラーノのアムトラックの

線路の南側の一部分は 歴史的建造物保存地区で 何もかもが

小さくてかわいくて 10年ほど前に行ったときと まったく

変わっていなかった。

なんてったって そのままの状態を 保存しなければならないのだから

変わっていては困るわけだ。

 

観光客相手の小さな店やレストラン、カフェなどは 

すべて昔の建物を保存しつつ 営まれていて かわいいったらない。

昔の家は ちっちゃいね。人間の大きさも 今と比べると

だいぶ小さいよね。資料館の洋服のサイズからしても。

 

その中のひとつのカフェで お昼を食べることにした。

 

Ramos House Café


座ってしまってから気がついたのだが メニューが

一種類しかなかった。飲み物、スモールプレート、

ビックプレートの3品で 35ドル。

ヒエーー、高いね。と思ったけど もう座ってしまったので

あきらめた。一つ注文して 二人で食べようかと思ったけど

メニューに

「一人が必ずひとつを注文すること。シェアできません」

との但し書きが。

で、得意のわけっこで食べることもできず、・・・。

仕方なし おのおのがひとつずつコースを注文して

残りは ドギーバックでお持ち帰り。

 

でも、時折通るアムトラックやメトロリンクの電車を

眺めながら 200年ほど前の世界へタイムスリップして

楽しめるなんて 素敵だった。


JUGEMテーマ:小さくて大切な幸せ。

第7話 最初のサンクスギビングのその後

  • 2012.11.24 Saturday
  • 14:08
 20121123日、今日は サンクスギビング4連休の2日目。

最初のサンクスギビングも 33晩続いたそうです。

 

7話 「最初のサンクスギビングのその後は??」

 

今回も知っているようで知らなかったThanksgiving=感謝祭の

トリビアをご紹介。「知っているからいらないよ」という方にも、

「へーーーー!」というものがあるはず。

 

参考) 第1話「ピルグリムって くさかった??」 

詳しくは、ここから↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=661

 

〜〜〜〜〜

 

 

以下「Dont Know Much About The Pilgrims」より

 

 

 

★その時代にはもちろんフットボールのテレビ中継は無かった。

みんな何をして3日間のサンクスギビングを過ごしたんだろう??

 

最初のサンクスギビングは 丸々3日間続けらたのだが

10月の半ばに行われた(11月ではなかった)。夜が来て

暗くなるとみんな寝た。朝になると起きてまたパーティーを

続けたのだ。

 

男たちと男の子たちは 走ったり ジャンプを競いゲームをして

遊んだ。ピルグリムは的に向かって マスカット銃を撃ち

インディアンたちは 弓と矢を撃った。ピルグリムは 軍隊の

行進をした。インディアンは ダンスをした。

 

女性と女の子たちは ほとんどの時間を料理に費やした。

最初の年は、たった4人しか女性は生き残らなかったので

子供たちと使用人は 晩餐の支度を手伝わなければならなかった。

 

 

★ピルグリムのサンクスギビングパーティーのその後は

何が起こったのか?

 

プリマスの初期の頃の入植者たちは 限られた資源で、特に

食料に関して、やりくりしなければならなかった。サンクスギビングの

お祭りの後には もっと多くの入植者がやってきた。それも

何も持たずに。ということは その人たちのための食べ物と家が

もっと必要になった。しかし、時が経つにつれて 物事は

うまく運ぶようになった。インディアンの助けを借りて

どうやったら自分たちで食べていけるかということを学んだのだ。

家族の誰もが健康だった。彼らが選んだ信仰を崇拝することができた。

インディアンとの関係も良好だった。1620年の最後の頃まで

植民地は広がり続け、ピルグリムたちは 自分たちが祖国に残してきた

親兄弟、親戚や友達の家族などを呼び寄せることができた。

 

今日、6人に1人のアメリカ人はメイフラワーでやってきた人が

親戚にいる。メイフラワーのピルグリムの有名な子孫には、

ジョン・アダムズ、ジョン・クインシー・アダムス、ザッカリー・テイラー、

ユリシス・S・グラント、ジェームス・ガーフィールド、

フランクリン・D・ルーズベルト、ジョージ・ブッシュ、

ジョージ・W・ブッシュなどがいる。

 

<ブッシュさんて 名門だったのね。Mitsuko

〜〜〜〜〜〜〜

 

1777年まで サンクスギビングは公にお祝いされることはなかった。

アメリカ独立戦争の間、サラトガで入植者たちが イギリスを打ち負かした

ことをお祝いして 大陸の議会が それを国民の祭日と決めた。

最初の大統領府が 国民のサンクスギビングを宣言したのだが、

1815年まで 慣習は忘れられ 無くなる寸前まで来ていた。

1837年の冬、サラ・ジョセフ・ヘイルがその休日を復活させる

長いキャンペーンを始めた。

 

1863年、アブラハム・リンカーン大統領が、11月の最後の木曜日に

国民の祭日としてお祝いすると宣言した。フランクリン・D・ルーズベルト

大統領は 1939年に 11月の第3木曜日に 変えた。しかし、大多数の

人が それを反対した。そこで、1941年、議会がサンクスギビングを

国民の休日だと宣言したとき、ルーズベルトは譲歩して 11月の

4木曜日と宣言した。これをもって 今日のサンクスギビングが

固まったのである。


第6話 プリマスでの食事は どんなだったの?

  • 2012.11.23 Friday
  • 13:54
 20121122日、今日は サンクスギビングデー。

なんと日本では いい夫婦の日ですって。

4連休だから どこかにお出かけのご家族も多いことでしょう。

我が家は 長女の家族、次女が里帰りして にぎやかに

夕飯を食べ終わったところです。ターキーは あまり好きじゃないので

我が家のサンクスギビングに ターキーはありませんが。

 

さて、今日の話題は 

6話「およそ400年前、プリマスでの食事はどんなものだったか?」

想像してみてくださいね。

 

今回も知っているようで知らなかったThanksgiving=感謝祭の

トリビアをご紹介。「知っているからいらないよ」という方にも、

「へーーーー!」というものがあるはず。

 

参考) 第1話「ピルグリムって くさかった??」 

詳しくは、ここから↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=661

 

〜〜〜〜〜

 

 

以下「Dont Know Much About The Pilgrims」より

 

 

★プリマスでの食事はどんなものだったのか?

 

ピルグリムの食事は 味のない、まったくといっていいほど味気ない

ものだった。香辛料もほとんど無く、甘いものもまったく無かった。

 

豚肉が主な肉だったが、森の中や町外れで捕まえることが

できたウサギは 彼らの大好物だった。ピルグリムたちは 

ゆでたチキン、野鳥、ターキー そして鹿肉を食べた。

 

シーフード(魚介類)は今日のようにそれほど特別でも

おいしいものでも無かった。ピルグリムは シーフードを

食べ過ぎて 見るだけで いやな顔をしたのだろう。

 

水が主な飲み物だった。それぞれの家族は 自家製ビールを

数週間ごとに作った。

 

ピルグリムたちは いろんな種類のパンを食べた。

共同のオーブンが外にあった。パンは今私たちが食べている

それとは味も噛み心地も違っていた。それは もっと硬くて

粒々がいっぱい入っていた。でも、もっと栄養があって

大麦とライ麦、つぶしたとうもろこしの粉で作られていた。

とうもろこしパンは 初期のプリマスでは 一番普通の

パンだった。

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

彼らは スープ以外の食べ物は 手で食べた。

一人ずつナイフを持っていて 肉、チーズ、パン、チーズを切った。

そのナイフは 木を切るナイフと同じものだった。

 

トレンチと呼ばれる木製の食器を使っていた。トレンチというのは

一方が平らで もう一方がくりぬいてあるもので 子供たちは

兄弟でひとつのトレンチを仲良く使っていた。

トレンチの画像は↓

http://en.wikipedia.org/wiki/File:BLW_Trencher.jpg

 

みんなでひとつのお茶碗を使って 水を飲んだ。

 

汚れた食器は たいていの場合 汚れを擦り取られ

それから 洗剤なしでお湯を使って洗われた。

洗うための水、料理に使う水、飲み水のすべては

ピルグリムたちが住んでいる家の後ろを流れる

小川から運んでこなければならなかった。

 

 

★ピルグリムたちは 最初の収穫のお祭りをThanksgiving(感謝際)と

名づけたのだろうか?

 

それは違うね。ピルグリムたちにとって 本当のサンクスギビングは

少しの食べ物を食べ お祈りをする毎日のことだったのだ。

そして、食事の前に実際 いつものように祈りをささげたけれど

その豪華な食事は 確かにいつもの貧しい少量のものではなかったから

サンクスギビングではないと考えたのだ。

 

私たちが今 最初のサンクスギビングと呼んでいるものは

実際には 単なる収穫祭ではなかった。ピルグリムにとって

それは 彼らが成し遂げたことを お祝いするための、

そして、それを助けてくれた友人のインディアンたちと

そのことを分かち合うためのチャンスだった。

〜〜〜〜〜

 

 

新世界(アメリカ大陸)において、ピルグリムの晩餐は 

実際は 最初のサンクスギビングではなかった。

インディアンたちは 長い間 同じような収穫際を行っていた。

西南のスペイン人の入植者やバージニアの英国の入植者さえも

ピルグリムがアメリカに到着する以前に同様の収穫祭をしていた。

 

 

★ピルグリムとインディアンは 最初のサンクスギビングのときに

ターキー(七面鳥)、クランベリーソースやパンプキンパイを

食べたのだろうか?

 

 

一部は本当で一部は違うね。ピルグリムたちは 手に入った

食べ物のすべてを料理した。森で捕まえたアヒル、鴨、

野生の七面鳥、野生のたまねぎのサラダ、野イチゴの数々、

ソースではないけどクランベリーもその中にあるよ。

海や川からは 鯛、鮭、鯉、うなぎ、ロブスター、からす貝、

牡蠣、アサリ、ピルグリムの畑からは パイじゃないけど

パンプキン(かぼちゃ)、にんじん、キャベツ、大根、かぶ、

たまねぎ、赤カブ、そして きゅうり。そして、とうもろこしのパンと

プディング。

〜〜〜〜〜〜

 

 

★誰がピルグリムのサンクスギビングに参加したのだろう?

 

マサソイットが晩餐に来た。しかし、一緒に90人ものインディアンを

つれてくるなんて ピルグリムは知らなかったんだ。そんなにたくさんの

ご馳走は無かったんだよ。だから、サモセットは 狩の名人数人を

連れてきたインディアンの中から選んで 森で狩をさせた。

狩人は5匹の鹿を捕まえてきて 食料にしたので 問題は解決した。


第7話 サンクスギビングのその後は?

http://americajijo.jugem.jp/?eid=667


第5話 ピルグリムの子供たち(ちっちゃくても働いた!)

  • 2012.11.22 Thursday
  • 09:06

明日(20121122日)は 感謝祭=「Thanksgiving Holiday

学校が 今週いっぱい休みのところもあるね。

オフィスも 木曜から日曜日まで 4連休ってところが多い。

日本のお正月みたいに 家族が集まるんだよ。

みんな それぞれの家の味付けで ターキーを焼き

家族で過ごす休日だ。宗教は関係ない。

(一方、12月のクリスマスは キリスト教徒の祭日)

秋の恵みに感謝するというのが サンクスギビングの定番だ。

 

メイフラワー号で入植したピルグリムの物語がその起源なんだけど

最初のサンクスギビングってどんな風だったのかな? 

今回も知っているようで知らなかったThanksgiving=感謝祭の

トリビアをご紹介。「知っているからいらないよ」という方にも、

「へーーーー!」というものがあるはず。

 

参考) 第1話「ピルグリムって くさかった??」 詳しくは、↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=661


〜〜〜〜〜

以下「Dont Know Much About The Pilgrims」より

 

 

5話 ピルグリムの子供たち

 

★ピルグリムの子供たちは 学校へ行ったの?

 

行かなかった。入植は大変な仕事だった。45歳になると 子供たちは

家族の一員として働いた。彼らの教育の一番重要な部分というのは

どうにかして生きていくのに必要なことを どうやって作り出すか

どうやって生き抜くかを学んでいくことだった。

 

ピルグリムの子供たちは 仕事のないときにだけ 家で 読み方を

勉強した。周りには子供の本など無く 本といえば 聖書(バイブル)

だけだった。                

 

 

ピルグリムの子供たちは ホーン(牛の角)ブックという

牛の角にABCが書いてある紙を張ったもので 読む練習をした。

保護するための動物の角に薄い透ける紙がついているものだ。

Horn book ってこんなもの ↓

http://edfn305history.tripod.com/id8.html

 

 

 

<なんてすごい。幼稚園以前の年齢から 働き、勉強といえば

聖書を読むことだけだったなんて。生き抜くという人間としての

基本は ばっちり学べ、何よりの勉強だと思うけど。Mitsuko

 

 

 

★ ピルグリムの子供たちは どんな仕事をしたの?

 

彼らは 機械で芝を刈ったり 食器洗い機を回したりする必要は

無かったけれど いつも忙しくどんな種類の仕事でも手伝っていた。

 

次の仕事の中で どれが女の子の仕事か?どれが男の子の仕事か?

考えてみて。

 

●家の掃除、ベッドを整えること、洗濯、食事の支度

 

●ハーブガーデンの世話をすること

 

●小さな兄弟の面倒を見ること

 

 

●猟、魚釣り、農業

 

●木のピン作り(家を建てるときに使った)

 

●とうもろこしを食べてしまう犬や狼から 畑を守る仕事

そして、そういうものが来たときに 石を投げる仕事

 

 

これらは 女の子と男の子両方の仕事だった。彼らは 布の袋に

干し草、鳥の羽、綿の塊、猫じゃらし、あるいは とうもろこしのひげ

などを詰め込んでマットレスを作った。彼らは 畑の雑草を抜き

カラス貝を拾い、アサリを掘り、屋根を葺くための葦を集め

そして、薪を集めた。

 

 

★友達に Love とか Rememberという名前の子 いるかな?

 

ピルグリムたちの中には 変わった名前の人がいた。たいていは

ありふれたサラとかマリー、ジョンなどだったが、ピルグリムの親たちは

時に 子供たちに 自分たちの希望や価値にちなんだ名前をつけた。

メイフラワーで渡ってきた子供たちの中には

ラブ(愛)とラスリング(レスリング)・ブレウスターとか、

リメンバー(思い出)・ラートン

リゾルブド(解決)・ホワイト

ヒューミリティー(謙虚な)・クーパー

デザイアー(希望)・ミンター

なんていう名前の子がいる。

 

 

新大陸で 最初に生まれた赤ちゃんは Peregrineと名づけられた。

名前の意味は 探検家だ。面白いことに 彼は名前に反して

うろうろする代わりに 83歳で亡くなるまで ニューイングランドに

留まった。そこは、彼が生まれた場所から たったの10マイルだった。 


続きは ↓

インディアンとピルグリム

  • 2012.11.21 Wednesday
  • 15:29
 11月の第4木曜日(2012年は22日)は 感謝祭=「Thanksgiving Holiday

4連休。お休みが続いて楽しい。でも、楽しいだけじゃない。

いったい何に感謝する日なの??


参考) 第1話「ピルグリムって くさかった??」 詳しくは、↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=661 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

以下「Dont Know Much About The Pilgrims」より


第4話 「インディアンとピルグリム」

 

★スクワントは何者?

 

サモセットは、数日後に 5人の腹ペコのインディアンの友達を

連れて戻ってきた。ピルグリムたちが インディアンに

食べ物を与えると そのお返しに インディアンたちは 踊りを踊り

歌を歌った。英国人は インディアンたちのそういう踊りや歌を

一度も見たことが無かった

 

サモセットが連れてきたインディアンのなかの一人が 

ティスクインタムだった。ピルグリムたちは 彼を

スクワントと呼んだ。彼は サモセットより上手な英語を話した。

 

なぜ? スクワントは 実際にイギリスに行ったことがあったからだ。

 

彼は誘拐されて、英国の船長に スペインで奴隷として

売られるところだったが、逃げ出した。彼は イギリスに逃げていった。

そこで ロンドンの商人に助けられて 家に戻ってきた。

 

スクワントの部族はサモセットの部族のそばに住んでいた。

現在プリマスがあるところだ。スクワントがイギリスから

帰ってくると平野には骸骨が散らばっていた。疫病が蔓延して

インディアンたちは壊滅していた。死んだ人を埋葬するのに

間に合わないほどの速さで 感染した。

だから、スクワントは部族の中でただ一人生き残りになった。

独りぼっちになってしまったスクワントは近所の

ワンパノアグス(Wampanoags)部族と一緒に

暮らすことにした。それが、サモセットの部族だ。

 

スクワントはピルグリムたちの大親友だった。

彼はピルグリムたちと残りの人生をともにした。

スクワントの手助けが無かったら

ピルグリムは 誰一人生き残れなかったに違いない。

 

 

★なぜピルグリムたちはコーン(とうもろこし)とともに魚を

埋めたのか?

 

これはスクワントが彼らに教えた農業の秘密だった。

へリングと呼ばれる魚が 肥料のような役割をして

とうもろこしの成長がよくなった。

スクワントは ピルグリムたちに 2〜3匹の魚と

一緒に とうもろこしを埋めて 小さく土を盛り上げる

方法を 教えた。

スクワントは「樫の木の実がねずみの耳くらいの大きさに

なったらコーンを 植えなさい」と言った。

ピルグリムが 最初に上陸したとき、盗んだとうもろこしを

スクワントに助けられて植えなかったら 入植者たちは

誰一人生き残れなかったに違いない。 

 


★スクワントは何をピルグリムたちに教えたか?

 

あ)野生のハーブが生えている場所

い)野生の野いちごや草のどれが安全に食べられるものなのか?

う)魚やうなぎが取れる場所

え)網、鍵型の道具、槍、そして素手で 七面鳥や鹿や

  その他の野生の動物を捕まえる方法   

これらを スクワントが ピルグリムたちに教えたのだ。

 

 

★ ピルグリムとインデアンたちは 仲良くやっていたか?

 

スクワントのおかげで 彼らは仲良くやっていた。ピルグリムのために

スクワントがしてやった一番の功績は インディアンとピルグリムの

間に立って 通訳をしてくれたことだった。彼は インディアンの

ワンパノグス(Wampanoags)族の酋長 マサソイトとピルグリムが

大事な平和条約を結ぶ手助けをした。

 

マサソイトは 60人の男たちとともにプリマス近くの丘に到着した。

エドワード・ウィスローが 協議のためそこに送られた。

スクワントは通訳として 働いた。ウィスローは マサソイトと20人の

インディアンがカーバー知事と話しに行くときに そこに

人質として 残ることに同意した。

マサソイトと知事は 建設途中の建物のクッションに座った。

その場所で 彼らは 食べて お酒を飲んで、友人になることに

同意した。平和条約は双方のグループにとって重要だった。

特に西方のインディアン部族たちは ワンパノアグス あるいは

ピルグリムのどちらかを襲ったに違いない。平和は、条約によって

50年以上続いた。 

 

★条約には何が書かれていたか?

 

ピルグリムとワンパノアグスは 決してお互いに戦わない。

それを破ったものは 処罰されるであろう。

 

もし、どちらか一方が 襲われたら、もう一方はその守備を助けること。

 

インディアンと入植者たちは お互いを訪ねるときには 

武器を持たない。

 

盗みは 許されない。

 

インディアンたちはピルグリムから取った道具を返却する。

 

 

入植者たちは 安全が守られたので 一安心だった。

ピルグリムの一人、エドワード・ウィスローは

「今、ピルグリムは 英国のハイウェーのように森の中で

平和で安全に歩くことができる」と記した。 

  

★インデアンたちは 友好的過ぎたのか?

 

マサソイットとカーバー知事が 平和条約を結んで後

もっと、もっとたくさんのワンパノアグスたちが

プリマスを訪れるようになった。

そして、彼らは いつも腹ペコだった。

もし、これらの訪問者たちが 引き続き訪れたとしたら

ピルグリムの食料は、なくなっていたことだろう。

結局、ピルグリムたちはマサソイットに使者を出して

丁寧に そんなにしょっちゅう来ないで欲しいと

頼んだ。彼は 同意した。

  

英国人とインディアンの間の友好関係は 後に 衰退していった。

それは、ウィリアム・ブラッドフォード(プリマス植民地の2代目の知事)

とマサソイット酋長が死んだ後のことだった。

英国は 怒った。なぜなら、インディアンたちは 

彼らのとうもろこし畑を荒らした牛を殺したからだ。

インディアンたちは 怒った。なぜなら 英国人たちは 

彼らの土地を奪い、彼らに 信仰を押し付けたからだ。

 

1675年、ワンパノアグは 英国の入植者たちを 襲った。

それに続く戦いは「フィリップス国王の戦い」と呼ばれた。

というのは フィリプとは ヨーロッパ人たちが 

新たなる指導者であるマサソイットの息子をそう呼んでいたからだ。

両方の陣営は 長く厳しい戦いを続け、最後はインディアンが

打ち負かされた。

 <続く>


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