「さんま御殿」という番組を見ていたら
出場者の中に 漫画家の親子がでていた。
その漫画家さんは、息子の結婚式の最後のスピーチで
「この結婚式は 中の下だ」
とコメントしたそうな。
謙遜しすぎたということらしいけれど、
自分の結婚式をけなされてしまったお嫁さんは
たいそうご立腹。
その結果、嫁の顰蹙を買った彼の息子は
その日から 嫁に頭が上がらず
すっかりしりにしかれてしまったとか。
「なぜ結婚式でわざわざそんなことを言ったのか? 」
とさんまに聞かれて、
「自分を卑下していれば 無難に人生を送れるんです」
と、漫画家さんは大真面目にコメントして
さんまには、大うけだった。
いくら謙遜がいいといっても
結婚式をめちゃくちゃにするようなことは 普通言わない。
というわけで、そのエピソードはかなりユニークで
さんまが、大笑いするのもわかる気がするが、
私は 正直 笑ってばかりはいられなかった。
それを見て、
「だから 日本にはリーダーが育たないんじゃないのかな?」
と 私は思った。
日本は不思議な国だ。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」
「出る釘は打たれる 」
などの言い回しのとおり
謙遜 謙譲が美徳の国
もちろん、謙遜や謙譲は 尊い。
でも・・・。
自分の場合、
長い間、間違ってそれを理解していたような気がする。
小さいときは 天真爛漫で
かなりの目立ちたがりだった気がする。
能力があるとか無いとかそういうことでは無く
ただの陽気な能天気お子ちゃまだった。
だから、たぶん何度も痛い目にあったのだろう。
だんだん、陰気になっていった気がする。
能力があっても
目立たないで隠れているほうが無難だと
大人から、教えられ
風当たりを避けるために
授業中 答えがわかっているときほど黙っていたり
あまりにも当たり前のことを 声高に叫ばないように
と 努力するようになり、
その法則を忘れて
ぺらぺらしゃべっている人がいると
「えらそうに・・・」
などと思うようになっていった。
本当は、他人の才能がうらやましかったり
自分の負けを認めたくなかったからだろう。
出る釘を打つというのは、
できる人を自分のレベルに下げるため、
それを発揮できないようにするためなのだろう。
確かに 目立たないようにしていれば
無難に人生を送れるかもしれない。
槍玉に挙げられることも無いかもしれない。
人から陰口をたたかれることも無い。
でも、それでいいのか?
と、思うようになったのは
ごく最近だ。
アメリカという国では
「能ある鷹は爪を隠す」
なんて悠長なことを言っていると 馬鹿と思われてしまう。
「能力があるなら ちゃんと証明しましょう。
能力があればそれなりに評価されます。
隠していたら誰にも理解してもらえないんですよ」
という社会だ。
だから、
目立つといけないなどと謙遜している場合ではない。
できる人を見習って なるべくそれに近づく努力をしないといけない。
人の足を引っ張っている場合ではない。
そんな暇があったら自分を高めないといけない。
極端な言い方をすると
馬鹿は相手にされない厳しい社会である。
能力のある人が みなを引っ張って持ち上げるから
社会は 良くなる。
(現実は それほどではないかもしれないけれど・・・)
ああ、小さいとき
どうして ゆがんだ教えを会得してしまったのか?
どうして 正しく理解できなかったのだろう。
なんか人生の半分以上
損をしたような気がしてきた。
それにしても、日本の政治家の先生たち
お互いに 足を引っ張り合ってばかり。
この緊急事態を収めるべく
強力なリーダーシップが必要なのは今なのに・・・。