けなげさに感激 フラガール
- 2008.04.28 Monday
- 01:43
アメリカで日本映画を見ようという企画があり、
「フラガール」を見た。評判どおりのいい映画で
ぼろぼろ泣いてしまった。
途中から、わけの分からないまま涙が止まらなかった。
「最近の日本映画、なかなかうまいなあ」と感心した。
主人公は 炭鉱の町を救うために建設が始まった
「ハワイアンセンター」でフラダンスを踊るフラダンサーたち。
全くの素人の娘たちが周囲の偏見や反対に立ち向かい、
立派にプロのダンサーとして成長するまでのあれやこれや。
涙あり、笑いありのエピソードの数々。
昭和40年、彼女たちが挑戦したフラダンスを
腰振りダンスだとか裸踊りだとか言っている周りの
大人たちの意見は、まったくそのままに判る。
そんな時代だった。それに将来を賭けようとした
フラガールたちの勇気に まず完敗だ。
そして、フラダンスが、そんなにも激しいスポーツだと
いうことをこの映画ではじめて知った。
最近見たドラマ「地獄の沙汰も嫁次第」で
ドラマの最後に嫁が必ずフラダンスを踊るシーンがある。
それは、嫁と姑のぶつかり合いの末
嫁はフラダンスを踊り、姑は三味線を弾き、
二人ともそれぞれにストレス解消するという設定だったが
この映画でフラダンス熱が一気に高まったのだろうか?
なんてことまで思い出したりして・・・。
ハワイなどで本場のショーを何度か見ているが、
今まではなんとなく見ていただけだった。
こんなにも美しい踊りだとは知らなかった。
見る目がないと見えないのか?
本場だからといっても観光客相手に適当なものなのか?
今度見るときには きっと違う目で見ることができるに違いない。
早苗の父が炭鉱縮小のあおりを受けて
首になり、一家そろって引っ越してゆく場面、
そこで、一番感動した気がする。
泣けて仕方がなかった。
予想してはいたものの解雇を言い渡され、
途方に暮れ、目いっぱいやるせない思いの早苗の父。
同じ日、父に内緒でフラダンスを習う早苗たちは
やっと衣装が届いて大喜び。
あろうことか幼い弟と妹にフラダンスを見せようと
喜び勇んで衣装合わせをしているところを
意気消沈して帰宅した父に見つかってしまう。
浮かれている娘を怒鳴りちらし、殴る蹴るの暴行に及ぶ父親。
そのそばで弟妹が震えている。
そんなふうにされても父親の心を思い「お父ちゃんは
悪くない」といい、「早苗だけ残ればいいのに」という
親友のきみ子に、「自分は、母代わりだから、一緒に
行かなくてはならない」と夢半ばで去っていく。
北海道の炭鉱町夕張へ引越しの日、
目いっぱい着膨れてトラックの荷台に乗る早苗の
コートはボロボロで、生きていくのに
精一杯というのが分かる。「ぼろは着てても心は錦」
そういえば、昔の歌謡曲にそんな歌詞があったっけ。
「夕張はもっと寒いよ」と彼女たち送る近所の人たちも
同じように貧しい。
この場面で、こんなにも泣けたのはなぜだろう??と考えた。
娘が一生懸命にやろうとしていることを父親は、理解しよう
ともせず、それどころか大の大人が、力のない娘を
痛めつけるなんて、悲惨で意地悪なことこの上ない。
暴力は、親といえども許されることではない。
一生懸命に努力していただけの早苗が
理由も聞かれず暴力をうけるなんてひどすぎる。
何も悪いことをしていないではないか?
でも、何か懐かしいものがその場面にあった。
それは何なのだろう??
この映画を見てからというもの ずっと考えていた。
子供が親を思い、幼い兄弟を思いやり
自分のやりたいことをあきらめる。
そうだ!けなげなのだ。早苗の心、けなげ過ぎる!
貧しいけれど 心は通じ合っている。
なんとも暖かい暮らしがそこにある。
そういえば、怒鳴り散らす親、ある意味 懐かしい。
自分の感情を抑えられず ただただ殴る。
こんな風に自分も怒られていたなあ。
自分の父も、あんな風だったような・・・。
実は今でもあまり変わっていない。
年をとっているけれど。
しかし、冷静に見れば、これは、児童虐待。
アメリカでは絶対に許されない。
こんなことをしたら即逮捕されてしまう。
親に暴力を振るわれたと 子供が実の親を訴えて
警察に通報するなんてことだって
起こってしまう国だ。
こんなことをしたら えらいことになる。
いまどきの日本では、どうなのだろう?
昔は「愛の鞭」なんていって、
親たちは平気で子供をたたいていた。
叩かれる子供はたまったものではないし、
口で言ったら分かることを
自分の感情に任せて子供を暴行するなんて
決して許されることではないけれど、
昔の日本では ある程度の「愛の鞭」は許されていた。
理屈ではない何かがそこにあった。
われわれの暮らしはあの頃とは比べ物にならないくらい
豊かになったけれど、今、そういう何かを忘れている。
すっかり忘れていたものを思い出して、
懐かしくて仕方がない。
貧しい時代に逆戻りしたいという意味ではない。
そんなことまったく現実的ではない。
みんなが豊かで満ち足りていることは
幸せなことだけど・・・
でも、「いい時代だったなあ。あの頃」
<フラガール あらすじ>
実話に基づいているというこの映画の舞台は昭和40年の東北。
炭鉱の町いわき市。その頃、燃料革命が起きていた。
黒いダイヤともてはやされた石炭は石油に押され、
需要は減っていた。
親の代からそこで働く人たち。彼らには石炭を堀って
生計を立てる以外に食べていく道はない。
が、時代は刻々と変わりつつあった。
彼らが働いている炭鉱は時代の波に押され、
縮小の声が上がっていた。人員削減のための首切りは
容赦なく人々の運命を変えていく。さらに、近い将来、
廃坑は避けられない。炭鉱に変わるなにか新しい物が
必要となった。そんな石炭会社の社運をかけた次世代
プロジェクト、それが、田舎の炭鉱の町に
「常磐ハワイアンセンター」を作ることだった。
そして、そこでフラダンスを踊るダンサーの募集が
始まっていた。
しかし、東北の田舎町にハワイを持ってこようという
画期的な試みは炭鉱掘りしか知らない人たちには
なかなか受け入れられなかった。
が、どんな時代でも 若者は、古い考えを変えられない
大人たちと衝突しながら新しい世界を開拓する。
フラのダンサー募集の張り紙を見て そこに将来を
賭けようと夢を託す若者がいた。
大人たちは「こんな寒いところにハワイなんてできっこない」
と動き出した建設プロジェクトに反対し、
「腰振りダンス、裸踊りでお金を稼ぐなんて!!」
とそこで働こうとダンスをはじめた少女たちに冷たく当たる。
きみこと早苗は幼馴染、「地面の下にもぐる生活から
抜け出すんだ」と彼女らはフラダンスに挑戦することに。
しかし、最初、プロモーションの映像を見てびっくり仰天。
それは、裸同然で腰を振るダンスだった。応募した娘たちの
ほとんどが逃げてしまったが、二人はひるまなかった。
学校を休んでレッスンに通っていたきみ子だが、
母の知ることとなり 反対に会う。「そんなにやりたければ
勘当だ」と母に宣告されて家を飛び出し、レッスン場へ。
一人黙々とレッスンを続けるきみこ。
そんな中、はじめは気持ちが乗らなかったダンス教師の
平山だったが、彼女たちの熱意はやる気のなかった平山の
人生を投げたようなすねた心をも動かしていく。
そして、徐々にやってみようという娘たちが集まり、
センターの就業開始に向けてレッスンにも拍車がかかる。
が、物事はそううまいくは進まない。きみ子にフラダンスを
やろうと誘ってくれた早苗は、父には内緒でフラダンスを
習っていた。おりしも父の炭鉱から解雇の日、運悪く衣装を
着てはしゃいでいるのを父に見つけられてしまう。
父は激怒し、早苗は殴られ、衣装をずたずたにされ、
長かった髪も散切りに。そして、それからしばらくして、
早苗は、母子家庭のため「弟たちは私がいないと生きて
いけないから」とフラダンスへの夢を捨て、幼い兄弟たちと
ともに一家で夕張へと引っ越していくのだった。
早苗は去って行った。その後、センターを宣伝するため、
いよいよフラガールたちは、キャンペーンの全国ツアーに
出発。プロとしての道を歩み始める少女たち。
不運にもその途中、炭鉱で落盤事故が起き一人の
少女の父親は亡くなる。「親の死に目にも帰らなかった」と
またしても、フラガールへの風当たりは強くなり、
平山は責任を取り、東京へと帰ることに。
しかし、走り出したフラガールたちは止まらない。
平山をも引きとめ、ますますレッスンに励むきみ子たち。
かたくなに反対していたきみ子の母の心も解けていく。
そして、ハワイアンセンター完成に向けて、
一生懸命な一部の人たちの努力に、反対派の村人たちの
心も解けていく。
いよいよ、常磐ハワイアンセンターのこけら落としの日、
娘の晴れ姿を一目見ようとそっと物陰からきみ子を
見つめる母の姿がそこにあった。
「フラガール」を見た。評判どおりのいい映画で
ぼろぼろ泣いてしまった。
途中から、わけの分からないまま涙が止まらなかった。
「最近の日本映画、なかなかうまいなあ」と感心した。
主人公は 炭鉱の町を救うために建設が始まった
「ハワイアンセンター」でフラダンスを踊るフラダンサーたち。
全くの素人の娘たちが周囲の偏見や反対に立ち向かい、
立派にプロのダンサーとして成長するまでのあれやこれや。
涙あり、笑いありのエピソードの数々。
昭和40年、彼女たちが挑戦したフラダンスを
腰振りダンスだとか裸踊りだとか言っている周りの
大人たちの意見は、まったくそのままに判る。
そんな時代だった。それに将来を賭けようとした
フラガールたちの勇気に まず完敗だ。
そして、フラダンスが、そんなにも激しいスポーツだと
いうことをこの映画ではじめて知った。
最近見たドラマ「地獄の沙汰も嫁次第」で
ドラマの最後に嫁が必ずフラダンスを踊るシーンがある。
それは、嫁と姑のぶつかり合いの末
嫁はフラダンスを踊り、姑は三味線を弾き、
二人ともそれぞれにストレス解消するという設定だったが
この映画でフラダンス熱が一気に高まったのだろうか?
なんてことまで思い出したりして・・・。
ハワイなどで本場のショーを何度か見ているが、
今まではなんとなく見ていただけだった。
こんなにも美しい踊りだとは知らなかった。
見る目がないと見えないのか?
本場だからといっても観光客相手に適当なものなのか?
今度見るときには きっと違う目で見ることができるに違いない。
早苗の父が炭鉱縮小のあおりを受けて
首になり、一家そろって引っ越してゆく場面、
そこで、一番感動した気がする。
泣けて仕方がなかった。
予想してはいたものの解雇を言い渡され、
途方に暮れ、目いっぱいやるせない思いの早苗の父。
同じ日、父に内緒でフラダンスを習う早苗たちは
やっと衣装が届いて大喜び。
あろうことか幼い弟と妹にフラダンスを見せようと
喜び勇んで衣装合わせをしているところを
意気消沈して帰宅した父に見つかってしまう。
浮かれている娘を怒鳴りちらし、殴る蹴るの暴行に及ぶ父親。
そのそばで弟妹が震えている。
そんなふうにされても父親の心を思い「お父ちゃんは
悪くない」といい、「早苗だけ残ればいいのに」という
親友のきみ子に、「自分は、母代わりだから、一緒に
行かなくてはならない」と夢半ばで去っていく。
北海道の炭鉱町夕張へ引越しの日、
目いっぱい着膨れてトラックの荷台に乗る早苗の
コートはボロボロで、生きていくのに
精一杯というのが分かる。「ぼろは着てても心は錦」
そういえば、昔の歌謡曲にそんな歌詞があったっけ。
「夕張はもっと寒いよ」と彼女たち送る近所の人たちも
同じように貧しい。
この場面で、こんなにも泣けたのはなぜだろう??と考えた。
娘が一生懸命にやろうとしていることを父親は、理解しよう
ともせず、それどころか大の大人が、力のない娘を
痛めつけるなんて、悲惨で意地悪なことこの上ない。
暴力は、親といえども許されることではない。
一生懸命に努力していただけの早苗が
理由も聞かれず暴力をうけるなんてひどすぎる。
何も悪いことをしていないではないか?
でも、何か懐かしいものがその場面にあった。
それは何なのだろう??
この映画を見てからというもの ずっと考えていた。
子供が親を思い、幼い兄弟を思いやり
自分のやりたいことをあきらめる。
そうだ!けなげなのだ。早苗の心、けなげ過ぎる!
貧しいけれど 心は通じ合っている。
なんとも暖かい暮らしがそこにある。
そういえば、怒鳴り散らす親、ある意味 懐かしい。
自分の感情を抑えられず ただただ殴る。
こんな風に自分も怒られていたなあ。
自分の父も、あんな風だったような・・・。
実は今でもあまり変わっていない。
年をとっているけれど。
しかし、冷静に見れば、これは、児童虐待。
アメリカでは絶対に許されない。
こんなことをしたら即逮捕されてしまう。
親に暴力を振るわれたと 子供が実の親を訴えて
警察に通報するなんてことだって
起こってしまう国だ。
こんなことをしたら えらいことになる。
いまどきの日本では、どうなのだろう?
昔は「愛の鞭」なんていって、
親たちは平気で子供をたたいていた。
叩かれる子供はたまったものではないし、
口で言ったら分かることを
自分の感情に任せて子供を暴行するなんて
決して許されることではないけれど、
昔の日本では ある程度の「愛の鞭」は許されていた。
理屈ではない何かがそこにあった。
われわれの暮らしはあの頃とは比べ物にならないくらい
豊かになったけれど、今、そういう何かを忘れている。
すっかり忘れていたものを思い出して、
懐かしくて仕方がない。
貧しい時代に逆戻りしたいという意味ではない。
そんなことまったく現実的ではない。
みんなが豊かで満ち足りていることは
幸せなことだけど・・・
でも、「いい時代だったなあ。あの頃」
<フラガール あらすじ>
実話に基づいているというこの映画の舞台は昭和40年の東北。
炭鉱の町いわき市。その頃、燃料革命が起きていた。
黒いダイヤともてはやされた石炭は石油に押され、
需要は減っていた。
親の代からそこで働く人たち。彼らには石炭を堀って
生計を立てる以外に食べていく道はない。
が、時代は刻々と変わりつつあった。
彼らが働いている炭鉱は時代の波に押され、
縮小の声が上がっていた。人員削減のための首切りは
容赦なく人々の運命を変えていく。さらに、近い将来、
廃坑は避けられない。炭鉱に変わるなにか新しい物が
必要となった。そんな石炭会社の社運をかけた次世代
プロジェクト、それが、田舎の炭鉱の町に
「常磐ハワイアンセンター」を作ることだった。
そして、そこでフラダンスを踊るダンサーの募集が
始まっていた。
しかし、東北の田舎町にハワイを持ってこようという
画期的な試みは炭鉱掘りしか知らない人たちには
なかなか受け入れられなかった。
が、どんな時代でも 若者は、古い考えを変えられない
大人たちと衝突しながら新しい世界を開拓する。
フラのダンサー募集の張り紙を見て そこに将来を
賭けようと夢を託す若者がいた。
大人たちは「こんな寒いところにハワイなんてできっこない」
と動き出した建設プロジェクトに反対し、
「腰振りダンス、裸踊りでお金を稼ぐなんて!!」
とそこで働こうとダンスをはじめた少女たちに冷たく当たる。
きみこと早苗は幼馴染、「地面の下にもぐる生活から
抜け出すんだ」と彼女らはフラダンスに挑戦することに。
しかし、最初、プロモーションの映像を見てびっくり仰天。
それは、裸同然で腰を振るダンスだった。応募した娘たちの
ほとんどが逃げてしまったが、二人はひるまなかった。
学校を休んでレッスンに通っていたきみ子だが、
母の知ることとなり 反対に会う。「そんなにやりたければ
勘当だ」と母に宣告されて家を飛び出し、レッスン場へ。
一人黙々とレッスンを続けるきみこ。
そんな中、はじめは気持ちが乗らなかったダンス教師の
平山だったが、彼女たちの熱意はやる気のなかった平山の
人生を投げたようなすねた心をも動かしていく。
そして、徐々にやってみようという娘たちが集まり、
センターの就業開始に向けてレッスンにも拍車がかかる。
が、物事はそううまいくは進まない。きみ子にフラダンスを
やろうと誘ってくれた早苗は、父には内緒でフラダンスを
習っていた。おりしも父の炭鉱から解雇の日、運悪く衣装を
着てはしゃいでいるのを父に見つけられてしまう。
父は激怒し、早苗は殴られ、衣装をずたずたにされ、
長かった髪も散切りに。そして、それからしばらくして、
早苗は、母子家庭のため「弟たちは私がいないと生きて
いけないから」とフラダンスへの夢を捨て、幼い兄弟たちと
ともに一家で夕張へと引っ越していくのだった。
早苗は去って行った。その後、センターを宣伝するため、
いよいよフラガールたちは、キャンペーンの全国ツアーに
出発。プロとしての道を歩み始める少女たち。
不運にもその途中、炭鉱で落盤事故が起き一人の
少女の父親は亡くなる。「親の死に目にも帰らなかった」と
またしても、フラガールへの風当たりは強くなり、
平山は責任を取り、東京へと帰ることに。
しかし、走り出したフラガールたちは止まらない。
平山をも引きとめ、ますますレッスンに励むきみ子たち。
かたくなに反対していたきみ子の母の心も解けていく。
そして、ハワイアンセンター完成に向けて、
一生懸命な一部の人たちの努力に、反対派の村人たちの
心も解けていく。
いよいよ、常磐ハワイアンセンターのこけら落としの日、
娘の晴れ姿を一目見ようとそっと物陰からきみ子を
見つめる母の姿がそこにあった。