ああ、国際結婚 その4

  • 2007.09.21 Friday
  • 12:32
「ドイツ人の彼とラスベガスで
エルビスウェディングをする」
と長女が宣言したのは、去年の秋のことだった。
エルビスプレスリーのそっくりさんが
パーティーを開いて、
結婚式を執り行ってくれるのだという。

「出席したいか?」と突然いわれたが、
なんだかわけがわからず、夫も私も、
「そんな結婚式なのか何なのかわからないものに 
出席できるか!」と行かなかった。

後で聞くと、
娘の友人数人と次女である妹の立会いの下、
年も押し迫った暮れの23日、
無事に 式は執り行われ、
わが娘は嫁に行った。

「まあ、本人の人生なのだからそれもいいか」
とのんきなことを思っていると、
今度は、
「夏休みに自分たちの住んでいる場所で
友達を招いて式と披露宴をする。
ドイツから彼の両親も来るので
出席してほしい」
と娘。

「何?式?ラスベガスでこの間、
やってきたんじゃないの?
あれで正式なペーパーワークは
終わったんじゃないの?
2度も結婚式をするの?何のこと???」
と、またまたわけが分からなくなり、
はてなマークが頭の周りを飛び交う私。

しかし、エルビスウェディングよりは
ましな提案であったし、式はともかく
披露宴をする必要があるというのは、
私と夫にとっても常識の範疇であるから、
「披露宴をするなら 
我が家の近くでやりなさい。
カントリークラブのバンケットを
借りてパーティーとか。
そうだなあ、それ相応の・・・」
と夫。

するとすかさず娘が、
「そんなことに、私はお金をかけたくないの。
私たちの住んでいる場所でやりたいの。
スペシャルなんだから。
友達だってその近くの人が
大半なんだからそこがいいの。」
という。

「いくらスペシャルだからといっても、
お前たちの家は、貸家のゲストハウス。
その周りはうっそうとした森。
お客さんを呼べるような場所では
ないだろう?日本から親戚の人たちにも
来てもらいたいし、そうだとしたら
立食のパーティーではなくて
ちゃんと着席してご飯を食べるような
披露宴をしないとなあ。
それに、お前のところは、
われわれには遠すぎるから、
お客さんを連れて行くのも
大変だし・・・」
という彼の頭の中に
「おい、おいなんて事を言い出すんだよ」
との声が響いているのが分かる。

娘はそんなことには耳も貸さず
「自分たちのパーティーは自分たちでする。
費用だって自分たちで何とかする。
お父さんとお母さんはゲストで
来てくれればいいの」
と一歩も譲らない。

実際はこんなに平和な会話ではなく 
かなり危ない口調のやり取りだった。

自分の力で自分たちのパーティーを
したい娘と日本人的な感覚で
お客さんをもてなしたい夫。
それそれが自分の主張を一歩も譲らず
平行線の議論を続けること しばし。

間に入って右往左往する私。

遠くに住んでいることもあり、
いつも顔をあわせてもめるわけでは
ないのでよかったが、
親心と娘の自立心は相容れず、
一月以上も喧々諤々の議論の末、
折衷案は、
「娘は娘のしたいように自分たちのところで
パーティーを開き、
翌日、親は親の考えるような
披露宴を家のそばで企画する。
お互いのパーティーに
それぞれが出席することが条件」
ということで、
なんとかこの平行線を
無理やり交じり合わせ、
ことが進み始めることに。

進み始めたとはいっても
元来ののんきである。
気がつけばどんどん時間は過ぎていく。
そんな親を尻目に、
娘たちは2人で着々と行動。
企画し、ゲストリストを作り、
招待状を出し・・・。

一方、親のほうは 
戸惑いながらも、
「パーティーなどやろうと思えば、
お茶の子さいさい。何とかなる」
とあくまでものんびりなわれわれ。
「ボートを借り切って、
船上パーティーもいいねえ」
との企画も出るが、
なかなか具体的にならない。

いよいよ式まであと2ヶ月
というところまで来た頃、
どうやら日本から親兄弟の
参加はないらしいと分かる。
「日本から見ると、カリフォルニアは 
やっぱり遠いのかなあ???」
とちょっとがっかりすることに。

そこまで来たとき
「日本式のパーティーは取りやめよう。
娘の披露宴に参加で
こじんまりとすることにしよう」
と、一大決心をする夫。



<まだまだ 続く>

生きる希望

  • 2007.09.19 Wednesday
  • 00:48
ととろ図書館(日本語の図書館)を通じて
たくさんの方との出会いがある。

Marikoさんというこの方との出会いは・・・

彼女から
「図書館に自分が見終わってしまった
日本語のビデオテープを 寄付したい」

とお電話をもらったのが
きっかけだった。

先日、彼女のお宅に伺った。

その折、ビデオとともに
彼女から 手紙を託された。

文通相手になってくださる方を
探しているそうだ。

私にできることは
皆さんにこういう方がいるということを
お知らせすることぐらいしかない。

Marikoさんは
今、がんと闘っておられます。

お手紙の送り先は

Ms. Mariko Neeld
805 S Breezy Way
Orange, CA 92869
USA


以下、Marikoさんからのメッセージです。

「生きる希望」

私は 今日から 希望というバスに乗りました。
本当は、飛行機に乗って 早く行きたいけど
今の私の体では 体力がありません。

のんびりとバスに乗って 
外の風景を眺めることにしました。

今の私の心には
とっても それが必要なのです。

それでないと私の体も心も
がんにおどろかされてしまうからです。

がんはとっても怖い人です。

だから、この恐ろしい人から逃げるために
今 急いで希望のバスに乗ることにしました。

このバスに乗って
一日も早く心も体も安らかにほっとして
安心をして生きてゆきたいからです。

この頃 毎日私はがんに脅かされています。
それは私の体から体力を奪い
ますますやせていくばかりです。

こんな人のそばに一緒に住んでいたら
自分の大切な命までも
奪い取られるのです。

私は 絶対に強く強く生きたいと
心から思っているのです。

今はやっと夢の中でこのがんから逃げて
今は、のんびりこの生きる希望のバスに乗ることが
やっとできました。

・・・・以下省略



皆さん、
Marikoさんに
お手紙を
ください。


なお、いただいたビデオは図書館で
皆さんにお分けしております。

ああ、国際結婚 その3

  • 2007.09.11 Tuesday
  • 02:19
普通、娘が結婚するといったら
まず、相手はどんな人なのか?
人柄、その仕事、どのくらい収入があるか?
と、チェックポイントがあり、

その次に、
どこの出身か?
その親は 何をしているか?
と、細かく気になるところだ。

日本国内であれば
調べようと思えば、
興信所などという便利なものがあり
身上調査をすることも可能だ。

親としては、
娘のことを思えば
そのあたりは、ひそかに 調べるのが
普通なのかもしれない。

日本人同士の結婚となれば
念のためにという意味で
調べたかもしれない。

それが、気休めにしかならないかもしれないとしても。

が、ここは、アメリカ。
結婚相手は ドイツ人。

ということで
どうしていいかわからぬまま
本人たちは結婚に突入。

いいような、悪いような・・・。

いまさらになるけれど
調べようと思えば

私立探偵(A private detective
=プライベートディテクティブ)を
雇って 調べるという方法もあったかも
などと、考えてみる。

ドイツまでいって調べてもらうのは
現実的には 無理としても
(お金がかかりすぎる???
が、親としては 調べるべき?)
本人の友人関係だとか
仕事振りだとか
日常のことは わかったかもしれない。

が、しかし
そんなことを調べて何になるというのだろう。

こと恋愛に関しては、
かぁーーと熱くなっているところに
親がいちゃもんをつけたところで
どうなるものでもない。
反対に、火に油を注ぐのが落ちだ。

娘が選んで決めた相手だ。
彼女の意思を尊重するしかないだろう。

「21才を過ぎれば 人生のすべてが、本人の責任。
子供の人生は、あくまでも子供のもの。
親子であろうと、代わってやることはできない。
親は先に逝くのである。自立は、早いほうがいい」
というのが、私のモットー。

そして、そのくらいの判断はできる娘に育っていると
信じて任せている??というところ。

日本流に言えば、
どこの馬の骨ともわからぬやつに
娘をやることを許してしまった私たち。

でも、余分なことを考えなくてすんだという意味では
相手が日本人でなくて
よかったのかもしれない。

と、思いつつ・・・
親心は 複雑に揺れるわけで・・・。


ああ、国際結婚 その2

  • 2007.09.08 Saturday
  • 04:01
娘の結婚相手の苗字を知らないという事実に
自分でもびっくりした私。

娘が 結婚するというのに
なんとのんきなことであろうか?

さすがの私も、
「これは、まずい!」
と大騒ぎをしていると
そばで三女が
「私知っているよ。Bだよ。
ファーストネームは、Fリンだよ。
お母さん知らなかったの?」
と、けろっといってのける。

「えーー!Fだとばっかり思っていたら
正式な名前は Fリンだって??」

なんと、いつも彼をFと呼んでいたのだが
それは、ニックネームだった。
フルネームではなかった。

おお!初めて明かされる新事実。
なーんて、驚いている場合ではない。

なにしろ、聞いたこともないようなドイツの名前だ。
ややこしい。
一度聞いたくらいでは覚えられない。

その後も 
「名前は、えーーと、Fリッヒで、苗字は何だっけ?」
と、リッヒをつければドイツだなどと
勝手に決め込んで
頓珍漢なことこの上ない。

数ヶ月後、やっとのことで
「Fリン・B」というフルネームを
めでたくいえるようになった。

ちなみに夫は 
いまだに フルネームをいえるかどうか 
大いに疑問である。

それにしても、親の私たちが知らないことを
何で12歳の末娘が知っているのだろう?
不思議だ。

聞いてみると、
「だって、コンピューターで時々チャットしているもん。
PCに乗っているときは、いつも話しているよ」
との答え。

恐るべし、PC世代。

英語が自由に操れる彼らは、
親ができない分 
しっかりコミュニケーションしているということらしい。

まあ、それもいいかもしれない。

まだまだ 続く

ああ、国際結婚 その1

  • 2007.09.05 Wednesday
  • 07:42
長女が結婚した。
相手はドイツ人。

結婚しようと思っていると報告されたのが
去年の夏だった。

晴天の霹靂???かというと
そうでもない。

付き合っているのは知っていた。
長女もいい年である。
結婚するとしてもそんなに驚くほど若くない。
こんな日が来ることは 予測できた。

決心したなら それでよし。

私も夫も反対することもなく
めでたく ゴールインすることになった。

しかし、結婚相手はドイツ人。
ドイツに出かけて
素性を調べるすべも知らず
親同士挨拶するすべもなく
放っておいた。

すると、去年のクリスマス前日
ラスベガスでエルビスウェディングをするという。
「出席したいか?」と聞かれた。

ラスベガスで
エルビスプレスリーのそっくりさんが
結婚式を演出してくれるのだという。

エルビス立会いの下 
結婚の同意書にサインをすれば それで終わり。

たいていのことには動じないが
これには驚いた。

「暮れも押し迫ったそんな時期に
ラスベガスなどに行けるか!」
という夫。
「お父さんが行かないとしたら
車で行くにしろ飛行機で行くにしろ
やっぱりいけない」
と 私も遠慮した。

「娘が結婚しようというのに なぜいかないの?」
と友人にはなじられたが
反対はしないけど、
「なぜそんな遠くでするのかなあ?
書類にサインするだけのことなら
家の近くでだってできるのに・・・」
とあくまで頑固な夫とそれに習う従順???な私。

私たちの代わりに妹と友人たち数人が
参列して
ラスベガスでの結婚式は終わった。

しかし、結婚した後も
相手の苗字を知らなかった。

事が発覚したのは
友人に 
「お祝いに名前入りのワインを作るから
苗字を教えて」
といわれて
「そういえば、苗字を知らないぞ!!」
と、気がついた。

のんきな親である。

<続く>

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