風邪を引いたら

  • 2007.01.26 Friday
  • 03:59
久しぶりに風邪を引いている。
どうやら 娘からもらったようだ。
今、この手の風邪がはやっている。

というわけで、今日は 病院のお話。

ウチの娘は いつも元気。
人より体力もあり 風邪を引くことなどめったにない。

が、今回は例外らしい。
のどが痛いと言い出したのは 火曜日の午後。
学校からかえると、
熱っぽくのどが痛いという。

しかし、おなかがすいたといい
夕飯は いつものように食べる。

食欲があれば 大丈夫。
少々熱があろうと
心配はない。
いつもなら 寝ておきたら けろっと良くなる。

タイレノールという薬屋さんで買える解熱鎮痛剤を飲ませ
頭を冷やしながら、早めに寝かせる。

さて、子供が熱を出したとき どうするか?

こちら(アメリカ)では、まず3日は様子を見る。
高熱でふうふう言っているからとすぐにお医者さんに行っても 
一日目では薬も出ない。

処方箋なしで買える解熱剤などを飲ませながら
もう2日ほど様子を見なさいと
何もせずに帰されるのが普通だ。

病院へと駆け込むタイミングは
高熱3日目、
緑色の鼻水、
中耳炎で耳が痛くなる
など、
このどれかの症状がないといけない。

大人の場合もしかり。

日本から来てすぐの頃は
このタイミングがわからないので
いつも難儀をした。

日本の場合
いくら薬屋さんで解熱剤や風邪薬が買えたとしても
大人ならそうするとしても、
素人判断で子供に解熱剤などの薬を飲ませて
様子を見るようなことはしない。

39度以上の熱が出たら
すぐにでも お医者さんに飛んでいく。
子供が小さければ小さいほど
お医者さんに駆け込む回数は多い。

日本と同じような感覚でいた初めのころ
わけのわからない英語を使って予約を取り、
予約といっても終わるまでにたっぷり1時間以上はかかる診察を受け
もう少し様子を見なさいといわれて
へとへとになって帰された翌日、
中耳炎を併発し、痛がり泣き叫ぶ子をなだめながら
またまた はじめからやり直しをするということを
何度繰り返したことか!!

遅かれ早かれ中耳炎になるとわかっているから
早めに診察してもらっているのに
なぜ、薬もくれないのだろう?
こんなに痛がるまで 待たなければいけないものなのか?

何度ドクターを恨んだことか!!

恨んでも文句を言っても、
抗生物質などを容易に出さないのが
アメリカ式。

薬をもらえる条件がそろわないと
いくら診察を受けても 抗生物質は処方されない。
病院にいくだけで疲れるし、まったくの無駄足となる。

それはそれで理にかなっているのだが
なんとも納得のいかない私だった。

12年前、末娘6ヶ月のときに
アメリカ生活を始めた私たち。
この病院事情を飲み込むのに
時間がかかった気がする。


さて、今回の風邪だが
翌朝、良くなるかと思ったが かなりの高熱となる。
測ってみると、102度に近い。
テストだったが、こんな状態では 無理なので
学校を休ませることにする。

が、熱が出てから2日目なので
病院へ行くのは まだ早い。

時間が経過、午前中のうちに熱が少し下がる。
この分なら、3日目にはけろっとよくなるかもと様子を見る。

3日目、朝方、まだ、熱っぽい。

若しかしたら
ストレップ・スロート=悪性で流行の風邪か?

1月の半ば 娘の学校から
「のどがはれて熱の出るストレップ・スロート
=悪性で感染性ののどの風邪が はやっている。
かかった子は学校にきてはいけない。
それらしい症状が出たらすぐに医者に見てもらうこと」
という緊急のお知らせが イーメールで送られていたことを
思い出す。

さすがに心配になり
朝一番に病院へ電話をすると
運良く12時の予約が取れて
診てもらう。

病院には 時間通りに到着。
待合室で少し待った後 
診察室に通される。

そこでも少し待ち、看護婦さん 登場。
電話で 熱と咳とのどの痛みが3日続いていると説明したはずなのに
また、来院の理由を聞かれる。

症状を説明すると
熱を測ってカルテに書き込み 
ドクターを待つようにといって部屋から出て行く。

また、少し待つ。

しばらくしてドクター(女医さん)の登場。
今日は、どうしたの?
と同じ質問。

またしても、同じ説明をする。

ドクターは、耳の中、のどを調べ
聴診器を当てて 肺の音を聴く。

結果はのどが赤いがただの風邪のようだが
念のためとのどの粘膜の細菌検査。
綿棒を巨大にしたようなものを使ってのどの粘膜を採取。
結果は数分すると出るから待つように
といわれる。

またしても待つ。

結果は?

悪性のものではないから大丈夫。
その後も3日以上熱が続くようなら また 来なさい
と、言われ 安心して帰宅。


その3日後、まだ、微熱がある娘。
またしても病院へ行く。

が、これも勇み足。
幸い、そのときも大丈夫との診察。
またしても取り越し苦労となる。

それはそれでうれしいことなのだが、
あーーあ、めったに熱を出さないから
どうやら母の勘が鈍ったらしい。


それから 一週間、
いまだに、娘とともに 風邪症状をぐずぐず引きずっている。


皆さんは、いかがお過ごしですか?
もし風邪を引いてしまったら
暖かくしてよく睡眠をとって
早めに風邪をやっつけてくださいね。





さようなら チャック

  • 2007.01.06 Saturday
  • 08:19
「遅ればせながら!!」

2007年、また、新たな年の幕開けです。
今年もよろしくお願いいたします。


昨年暮れは 皆様の応援のおかげで
まぐまぐ大賞2006 部門賞第3位
に入賞できました。
http://www.mag2.com/events/mag2year/2006/#travel


やったぜ!!びっくり
イエーーイ!!拍手
キャーーー!!ときめき
うれしい!!楽しい

どんな風に言葉にしたらわかってもらえるだろうか?

ものを書く身にとって こんなうれしいことはなく
しみじみと幸せに年を越せました。
本当にありがとうございました。

早く御礼をと思いながら
ぐずぐずしていたのには
チョッとわけがあります。


クリスマス前に大事な友人が亡くなり、
あまりにもショックが大きく
うれしいと声を大きくすることができなかったのです。

彼が亡くなってから一週間ほどして、
奥様と彼の連名で
例年どおりの家族の近況が書かれた
クリスマスカードが送られてきました。
いつものように彼の文章で、
それが見るからに途中で終わっていて
それを読んだとき、
彼の訃報を聞いてから初めて涙が出ました。


我々のアメリカ生活は彼を除いては語れません。
だから、2007年の最初は 思いっきり彼を偲んで・・・



「さようなら チャック!!」

彼、チャック・キースとの出会いは12年前。
その人は、
娘たち(長女と次女)が通ったハイスクールの副校長先生だった。

背が高く、大きな人だった。
その人柄そのままに
マシュマロのような人だった。

その大きな体は
どこからも見間違うことが無かった。

いつもウィットにとんだジョークで
人を笑わせた。

彼のジョークといえば・・・
小柄な日本人の子供たちと
一緒に撮った記念写真を見せながら
これは、シーワールドに行ったときの写真で
「ほら、一匹シャチがいるよ」
と、大きな自分をシャチだといって
人を笑わせた。


やさしい人だった。

フランスに研修旅行に行って奥様に一目ぼれ
そして、結婚したという彼。
「僕は彼女を誰も知り合いのいないアメリカに
連れてきちゃったんだ。最初の頃、彼女は時々泣いていたよ」
と、奥様との馴れ初めから結婚までを話してくれた後、
彼は言った。

なれないアメリカ社会で苦労するそんな奥様を見ていたから
外国人がこの国で暮らすことの難しさを
知っている人だった。

だから、私たちに話しかけてくれるときは、
ゆっくりと丁寧にわかりやすい英語だった。
しばらくしてだいぶ英語になれたときに気づいたのだが、
「そんなにゆっくりでなくてもわかるんだけど・・・」
と、文句を言いたいくらいのスローペースでしゃべりかけてくれた。
そんな心遣いのできる人だった。

何年も前に日本へ研修旅行に行き、
そのときの印象が
大変によかったということで
大の親日家だった。

だから、
日本や日本人にとても好意的だった。

95年の夏、
何も考えずに日本からやってきた私たち。
英語もろくにしゃべれず
全く違う社会と文化に
翻弄されながらも
2人の娘たちが学校になじみ
何とか無事卒業できたのは
彼がいてくれたからだ。

私たちのようなアメリカ生活ちんぷんかんぷんの家族に
少しでもアメリカの仕組みを
教えてくれるためだったに違いない。
サンクスギビングやイースターのディナーに
何組かのゲストを自宅に招いて
ターキーディナーをご馳走してくれたり
エッグハントの楽しみを教えてくれた。

その折、私たち 家族は、
一緒に招かれた人たちとともに
生のアメリカ文化を体験し、
ホスピタリティーの精神をも学んだ。

学校を離れたところでも、
生徒のみならず
親の私たちをも優しく包み込んでくれる人だった。


彼がいなかったら
我々のアメリカに対する印象は、
全く違うものになっていたに違いない。

出会ってすぐに、
「チャックと呼んでくれ」
といわれ、おおいに戸惑った。
が、しばらくすると
親しくなったからだろうか?
高校の副校長先生だというのに
ファーストネームで呼んでも
あまり違和感を覚えなかった。

それと同じ時に
「でも、君たち(娘たち)はミスターキースと呼ばないといけないよ」
と、けじめを教えてくれた。

ハグの習慣を教えてくれたのも彼だった。
彼と会うと必ずハグをした。
柔らかなハグだった。
なにしろ身長180センチと大きい上に
普通の人の3〜4倍は太っていて
思い切りハグをすると
ほわんほわんと気持ちよかった。

何でも受け止めてくれるクッションのように
異文化の中で右往左往している私を
受け止めてくれ、
そのたびに私は安心感に包まれた。

英語がしゃべれないだけで
自信をなくしてしまい
必要な単位が取れないかもしれない
という事態に陥った次女が
何とか卒業できたのは
彼のおかげだ。


その次女が高校を卒業した日、
娘の友達やその家族を呼んで
卒業パーティーをしたとき、
彼は奥様と一緒に来てくれた。

そのとき、彼は言った。
「N(末娘)が高校生になってユニハイに来る日を
楽しみにしているよ。その日までユニハイで
がんばるからね。きっとだよ。待っているよ。
僕はNのガーディアン(面倒を見てくれる人)だからね」
と。

末娘はそのとき3歳だった。
「高校だなんて、何年後なのだろう?」
まだ、アメリカで本当に仕事をやっていけるかどうかも
定かでなく、翌年のことも考えられず、
十数年先のことなどを思い描くことなど
まったく不可能な私たちだった。

が、その言葉にどんなに励まされたことだろう。

娘たちが高校を卒業しても
彼の存在は、いつも身近にあった。

2年ほど前に
彼は胃を切り取る手術をした。
それでなくても大きな彼が
それ以上太るのを予防するためだった。

彼は出会ったときにはすでに心臓に
ペースメーカーを入れていた。
それなのに年々太り続ける彼を見て
具合のよくない心臓で
あの体を支えるのは並大抵のことではないだろう
と、会うたびに心配していたので
胃を切ると聞いて
「とうとうそこまで・・・」の感があった。

2005年のクリスマスカードには
「残念なことに、今年度は偉大なる喪失がありました。
それは、100ポンド体重が減ったことです」
と彼特有のジョークが書かれていた。
それを読んで、
「これで一気に健康面の心配はなくなった」
と喜んだのに・・・。

クリスマスカードはもちろんのこと、
筆まめな彼から家族の写真が添えられた手紙が時々届いた。
2人目の孫と一緒に写っている写真が最新のもので
もうすぐ3人目の孫ができる
と、その手紙にあった。
写真の中の彼は、かなりやせて
だぶだぶのシャツの中で体が泳いでいた。

それらに対して
英語がそれほど得意でないのを理由に
返信は、時々しかしていなかった。

そんなわけで、
去年の秋ごろから
無性に彼に会いに行かなくちゃと、
思い続けていた。
学校のそばを通るたびに
そんなことを思っていた。

それはもしかしたら
虫の知らせだったのかもしれない。

彼が倒れたと聞いて、茫然とした。
そして、その夜、
亡くなられたとの知らせが入ったが、
何も考えられず、涙も出なかった。

後から聞いたのだが、
彼の誕生日の数日前、
家族(息子夫婦、娘夫婦、そして孫たち)に囲まれて
お祝いしている最中に
心臓発作がおきたのだという。

自分の体調が悪いこともわかっていたらしい。
学校の生徒宛にお別れの手紙を
あらかじめ書いていたと聞いた。

そうだったんだ。
自分でわかっていたんだ。
そして、家族に見送られて逝ったんだ。

覚悟の上だったと聞いて
悲しいけれどなんだかほっとした。

それにしても
私たち家族のアメリカでの最初の一歩を
応援してくれた大切な人がいなくなってしまった。

さようなら、ミスター・キース。
さようなら、チャック。
私たちのアメリカのお父さん。

〜〜〜

きっと彼は今頃天国で
陽気に笑っていることだろう。
そして、
いつまでも
あの優しいまなざしで
私たちを見守っていてくれることだろう。

彼に恥じることのないよう がんばるぞ!

〜〜〜〜〜〜〜







お正月はどこに?

  • 2007.01.03 Wednesday
  • 01:30
あけましておめでとうございます。
皆様、今年もよろしくお願いいたします。


ご挨拶しないとね。
日本人のけじめはびしっと(ほんとかな?)。
まあ、一応は・・・。

今日は1月2日、
日本なら
3日があけるまでは 松の内。
ゆっくりのんびりのはず。

しかし、ここはアメリカ。
クリスマスはあるけれど
お正月はない。

というわけで、
もう、今朝から 通常通りの生活。

娘は 冬休みが終わり、学校へ、
私も夫も それぞれのオフィスへ。

ばっちり 決めることができた。
よかった。

クリスマス前に 日本へ1週間(5泊7日)出かけたり
クリスマス休暇や年末に
お客さんがあったりで忙しく
すっかり生活が乱れていたので
元の生活に戻れるかどうか???と心配だったのだが・・・。

今朝はびしっと6時前から目が覚めて、実は自分でも驚いた。

年度始めぐらい 決めないと!

この国にお正月はないけれど、
自分の中に日本の心が残っていて
複雑な気分。

毎年思うんだけど
おこたに入って
テレビのお正月番組を見て
みかんを食べる。

そんなお正月が恋しいなあ。






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