外国人みたい
- 2006.03.31 Friday
- 09:12
この間のことだが、我が娘を見ていて この子はそこまで
外国人なのか(=日本人ではない)とショックを受けた
出来事がある。
それは、何かというと・・・。
先日、娘の日本語学校(土曜日だけの補習校)で生徒たちの
日本語によるスピーチコンテストが開かれた。去年コンテストに
出ていない人が今年の出場者だとのことで、数ヶ月前にその日本語
学校に行き始めたばかりの彼女は、否応なしに出場することになった。
ところが、
わが娘は、残念ながら日本語の勉強が嫌いだ。日本人なのだから
日本語が出来るに越したことはないのだが、うちの場合は、彼女に
日本語を強制しないと決めている。
6年前、彼女が小学校1年になったとき、ある補習校に行くことにした。
しかし、3年生になった4月、このまま行き続けても勉強に
ついていけないし、プラスよりマイナス面のほうが多いと判断し、
止めさせた。
親の力不足で彼女の日本語の勉強にそれほどの情熱を
注げなかったというのも止めさせた原因のひとつだ。
日本語学校を辞めてからしばらくたって彼女が言うには
1年生に入ったばかりのとき、
「一年生なのにひらがなも読めないなんて、幼稚園に行けば」
とクラスのお友達に言われたという。
子どもの世界は時として正直すぎて残酷だ。
どちらかといえば、勝気で負けん気が強い彼女はそういわれてひどく
傷ついてしまったらしい。子どもはひどく傷つけられるとそれを
親にも言わないで心にしまいこむものなのかもしれない。
彼女の場合も、2年以上の時がたち、それをぽろっとこぼしたという
感じだった。つまりは、傷が癒えたということかもしれない。
それにしても、後で言われた私はどうしてよいか分からなかった。
「そのときに言ってくれればなにやら対処も出来たのに。読めなくても
書けなくても恥じることはない。だから勉強するのだと励ます事だって
出来たのに」
と歯軋りしてもすでに遅かった。
彼女の日本語嫌いはなかなか根が深いとそれを聞いた時に思った。
そんなこともあって日本語が大嫌いという彼女だが、
なんとか日本語に触れさせたい。
無理のないペースでお友達と一緒に日本語が学べる
学校があるといいのにと常々思っていた。
しかし、そんな都合のよい学校があるはずもないとあきらめてもいた。
ところが、
「娘の行っている日本語学校はいいわよ。一度見にいらっしゃい」
と友人が紹介してくれたのが、OC学園日本語学校だ。
「日本語をまったく話せない子もいるからうちの娘くらい話せるなら
それだけで有利だ」とその友人がいう。
それならそれほどコンプレックスを感じないでやっていけるかも
しれないと早速見に行った。「なるほど、これならいけるかも」
と、とりあえず入学したのが去年の11月だった。
その学校のクラス編成は年齢で決められるのではなく能力で自由に
選べることになっている。そこで、彼女がついていけるクラスという
ことで、実年齢6年生だが、4年生へ編入した。
4年生とはいえ、そのクラスで使っている国語の教科書は2年生
後半のもの、そして、5年生も同じクラスで学ぶ生徒数10人ほどの
混合クラスだ。
なんとも融通の利く学校だ。日本語を無理なく学ぶということを
徹底している。
最初は「スピーチコンテストなんて嫌だ。あの学校は人の前に出て
やらなきゃならないことが多すぎる」
と文句を言っていた彼女だが、12月25日の日記がスピーチの台本になり、
ここ数週間はその作文の手直しやら練習に大忙し。
「宿題は練習だけ」と読み書きが苦手な彼女は
かえって嬉しそうにしている。
いよいよ本番が近づいてきて、何度も繰り返し練習する。
「冬休みは短いけれど楽しいことがいっぱいあるので大好きです」
と始まる彼女のスピーチに耳を傾ける。
と、その口調はどこかで聞いたことがある。
どこで聞いたのだろう?
そうだ!それは、日本語スピーチコンテストの口調だ。
ここ数年、近所のカレッジや大学、そして、ボランティア団体の日本語
教育基金などが開催するいくつかの日本語スピーチコンテストを見て
きたが、まさに我が娘のそれは、外国人が日本語の作文を書いてそれを
発表するときの独特の言いまわしだと気がつく。
普段、両親しか日本語を話す相手がいない彼女なので、多少日本語が
おかしいことは分かっている。が、彼女の発音をそれほどおかしいと
思ったことはない。
しかし、スピーチとなると普段のおしゃべりとは違う。彼女の練習を
何度も聞くうちに、ますます「このイントネーションは完璧に外国人だ」
と思えてくる。我が娘なのに外国人???やっぱりねえ。そうかあ。
そうなんだ。と、その事実を改めて突きつけられてしまい妙な感慨に
ふけったスピーチコンテストとなった。
外国人なのか(=日本人ではない)とショックを受けた
出来事がある。
それは、何かというと・・・。
先日、娘の日本語学校(土曜日だけの補習校)で生徒たちの
日本語によるスピーチコンテストが開かれた。去年コンテストに
出ていない人が今年の出場者だとのことで、数ヶ月前にその日本語
学校に行き始めたばかりの彼女は、否応なしに出場することになった。
ところが、
わが娘は、残念ながら日本語の勉強が嫌いだ。日本人なのだから
日本語が出来るに越したことはないのだが、うちの場合は、彼女に
日本語を強制しないと決めている。
6年前、彼女が小学校1年になったとき、ある補習校に行くことにした。
しかし、3年生になった4月、このまま行き続けても勉強に
ついていけないし、プラスよりマイナス面のほうが多いと判断し、
止めさせた。
親の力不足で彼女の日本語の勉強にそれほどの情熱を
注げなかったというのも止めさせた原因のひとつだ。
日本語学校を辞めてからしばらくたって彼女が言うには
1年生に入ったばかりのとき、
「一年生なのにひらがなも読めないなんて、幼稚園に行けば」
とクラスのお友達に言われたという。
子どもの世界は時として正直すぎて残酷だ。
どちらかといえば、勝気で負けん気が強い彼女はそういわれてひどく
傷ついてしまったらしい。子どもはひどく傷つけられるとそれを
親にも言わないで心にしまいこむものなのかもしれない。
彼女の場合も、2年以上の時がたち、それをぽろっとこぼしたという
感じだった。つまりは、傷が癒えたということかもしれない。
それにしても、後で言われた私はどうしてよいか分からなかった。
「そのときに言ってくれればなにやら対処も出来たのに。読めなくても
書けなくても恥じることはない。だから勉強するのだと励ます事だって
出来たのに」
と歯軋りしてもすでに遅かった。
彼女の日本語嫌いはなかなか根が深いとそれを聞いた時に思った。
そんなこともあって日本語が大嫌いという彼女だが、
なんとか日本語に触れさせたい。
無理のないペースでお友達と一緒に日本語が学べる
学校があるといいのにと常々思っていた。
しかし、そんな都合のよい学校があるはずもないとあきらめてもいた。
ところが、
「娘の行っている日本語学校はいいわよ。一度見にいらっしゃい」
と友人が紹介してくれたのが、OC学園日本語学校だ。
「日本語をまったく話せない子もいるからうちの娘くらい話せるなら
それだけで有利だ」とその友人がいう。
それならそれほどコンプレックスを感じないでやっていけるかも
しれないと早速見に行った。「なるほど、これならいけるかも」
と、とりあえず入学したのが去年の11月だった。
その学校のクラス編成は年齢で決められるのではなく能力で自由に
選べることになっている。そこで、彼女がついていけるクラスという
ことで、実年齢6年生だが、4年生へ編入した。
4年生とはいえ、そのクラスで使っている国語の教科書は2年生
後半のもの、そして、5年生も同じクラスで学ぶ生徒数10人ほどの
混合クラスだ。
なんとも融通の利く学校だ。日本語を無理なく学ぶということを
徹底している。
最初は「スピーチコンテストなんて嫌だ。あの学校は人の前に出て
やらなきゃならないことが多すぎる」
と文句を言っていた彼女だが、12月25日の日記がスピーチの台本になり、
ここ数週間はその作文の手直しやら練習に大忙し。
「宿題は練習だけ」と読み書きが苦手な彼女は
かえって嬉しそうにしている。
いよいよ本番が近づいてきて、何度も繰り返し練習する。
「冬休みは短いけれど楽しいことがいっぱいあるので大好きです」
と始まる彼女のスピーチに耳を傾ける。
と、その口調はどこかで聞いたことがある。
どこで聞いたのだろう?
そうだ!それは、日本語スピーチコンテストの口調だ。
ここ数年、近所のカレッジや大学、そして、ボランティア団体の日本語
教育基金などが開催するいくつかの日本語スピーチコンテストを見て
きたが、まさに我が娘のそれは、外国人が日本語の作文を書いてそれを
発表するときの独特の言いまわしだと気がつく。
普段、両親しか日本語を話す相手がいない彼女なので、多少日本語が
おかしいことは分かっている。が、彼女の発音をそれほどおかしいと
思ったことはない。
しかし、スピーチとなると普段のおしゃべりとは違う。彼女の練習を
何度も聞くうちに、ますます「このイントネーションは完璧に外国人だ」
と思えてくる。我が娘なのに外国人???やっぱりねえ。そうかあ。
そうなんだ。と、その事実を改めて突きつけられてしまい妙な感慨に
ふけったスピーチコンテストとなった。