サンフランシスコのとある街で
- 2017.02.26 Sunday
- 12:03
サンフランシスコの南の見知らぬ街角に立っている。
後10分ほどで 飲茶の店が開く。それを待っている。
2月の最後、日曜日の朝10時を過ぎたところだ。
店の前は日陰で寒いので 日の当たるところまで坂道を降りる。
と、日差しがポカポカと暖かい。
側で 私を守るように立っているのは 娘のボーイフレンド。娘は半年後に 結婚する。
考えてみると 親とは寂しいものだ。一生懸命に育てたつもりでも その全ては 子に伝わらない。
多分親というものは そんなものなのだろう。
自分も若い頃は それほど親に感謝たり それを口に出したりしたことはなかった。
自分がもう若くないと思うようになって初めて 親の寂しさに気がつきつつある。
寂しいと嘆くより 今を幸せだと感謝しよう。
娘を育てたからこそ 今この場所にいることができ、サンフランシスコのとある街角で佇んでいる。
このひと時がかけがえのないものになる。
後10分ほどで 飲茶の店が開く。それを待っている。
2月の最後、日曜日の朝10時を過ぎたところだ。
店の前は日陰で寒いので 日の当たるところまで坂道を降りる。
と、日差しがポカポカと暖かい。
側で 私を守るように立っているのは 娘のボーイフレンド。娘は半年後に 結婚する。
考えてみると 親とは寂しいものだ。一生懸命に育てたつもりでも その全ては 子に伝わらない。
多分親というものは そんなものなのだろう。
自分も若い頃は それほど親に感謝たり それを口に出したりしたことはなかった。
自分がもう若くないと思うようになって初めて 親の寂しさに気がつきつつある。
寂しいと嘆くより 今を幸せだと感謝しよう。
娘を育てたからこそ 今この場所にいることができ、サンフランシスコのとある街角で佇んでいる。
このひと時がかけがえのないものになる。