Mission San Juan Capistrano へ

  • 2017.08.28 Monday
  • 16:37
甥っ子が日本から来ている。
彼にとって、初めてのアメリカ。
異文化の暮らしを 経験するのが目的。

観光地巡りでないアメリカを経験したいという。

今日で1週間、特別なことをするでなく 現地の生活を体験。

今日は 近所のアメリカの歴史的遺産のミッション(教会)へ 行くことに。

私も 15年以上前に2度ほど行ったことがあるが、
久しぶりに ミッションサンワンカピストラーノに。

以前行ったときには 修復作業をしていたが。。。
今は ちょっぴり様変わりしている。見やすくなった気がする。

入場料大人9ドル、シニア8ドル。
甥っ子と二人 レシーバーを借りて(1ドル) 見学ポイントを順繰りに見て歩く。

なかなかりっぱな建物だ。






中庭の噴水





その後は アムトラックのサンワンカピストラーノ駅の周辺を散策。

ここも歴史遺産保護地区なので 古い建物などが
そのままに保存されていて 大変興味深い。

250年の時を遡って 時空を超えた静けさに包まれた午後。



宣教師たちの足跡↓
http://americajijo.jugem.jp/?eid=21

同じ頃 日本は 北朝鮮からミサイルが発射されて 大騒ぎだとのニュース。

びっくり!

どうしたら 争うことなく 平和に生きていけるのだろう?


ミッションにて 平和を願いつつ。。。


今もなお現役の教会堂


「人の上に人を作らず」

  • 2013.09.12 Thursday
  • 16:24
先日、友人が面白い文献の情報を送ってきた。

それによると、福沢諭吉のあの有名なスローガンに
違う意味があったという。

日本人の人権の祖とうたわれているあの偉大な福沢諭吉が

日本人の劣った体格をなんとしようと考えて打ち出したのが

欧米人との混血によって 日本人の体格の貧弱さをいっきに

解決しようと熱烈に提唱した人種改良論だったという。


愕然とした。

「学校で習ったことと違うよ!」


それまで300年も変わらず、天下泰平のサムライの世だった日本に

黒船が現れて 日本人全員が 度肝を抜かれてしまい

鎖国を融き、そして、フランス、ドイツ、イギリスなどの列強の力に

圧倒され、急に富国強兵に目覚めるのは 必然で

急激な西欧化に走るのもうなずける。


しかし、人種改良論とは極端な。


いくら平等だといったところで 人には それぞれ異なった知力、学力、体力 

が与えられている。平等などありえないというのが 諭吉の考えだったとは。

ほんとびっくり。

転変地変が起こったような気分。

 

この世の中、まだまだ知らないことがいっぱいある。

 

参考)

http://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/20.html


JUGEMテーマ:気になること

近場で遊ぼう!Zoomars Petting Zoo他

  • 2012.11.25 Sunday
  • 16:14
サンクスギビングということで 家族が集まって食事という

アメリカンスタイルのホリデーを過ごすため、長女家族は

ロサンゼルスのパサデナから 次女は 北カリフォルニアの

サンノゼから帰省して にぎやかに木曜日を過ごした後、

翌日、娘はまごまごと残ったが、婿様は 一足先に 自宅へと帰った。

次女も 友達のところに翌日夜は でかけて行き 帰らず。

にぎやかだった家族集合の初日とお昼にお客様があった2日目に

比べると格段に家にいる人数が減った3日目だった。

末娘まで 宿題があるとか何とか言いながら 

朝ご飯もそこそこに自分の部屋へ


さーて、その3日目のこと、まごまごと何をしようか?

しばらくぶりに せっかく遊びに来てくれているのだから

ご飯作ってばかりいないで 一緒に過ごさないと・・・。

 

今回、まごまごが うちの近所にいる馬を見て

馬に乗りたいなどというし、そのまごまごと一緒に

どこかに出かけようと長女が言うので、二つのことが

ドッキングして 私に 思い出させたのが 

家の近くのふれあいミニ動物園。

 

Zoomars Petting Zoo


何年か前(たぶん10数年前)に 末娘を連れて 

近所のサン・ホワン・カピストラーノにある農家がやっている

ふれあいミニ動物園に行ったことがあった。

あそこなら ポニーライド(子供を馬に乗せてくれる)があったから

出かけるなら そこがいいのではないかと思った。

 

そこに行ったのは かなり昔のことだけれど

つい最近 FB(フェイスブック)友達が 子供を連れて

そこに行ったことをアップしていて ちょうど 記憶の底から

そのときのことが思い出されたところだった。

その映像は 何年もその場所が なんら変わっていないことを

物語っていたので まるで昨日そこに行ったかのように

錯覚してしまうほどだった。

 

ウェブで場所を確認し 出かけた。

家から15分。サン・ホワン・カピストラーノの駅のすぐそばだ。

なにしろ昔のこととて 車を止めてからそこを見つけるのに ちょっと迷った。

が、驚いたことに その場所は、記憶の中の風景と

ほとんど変わっていないどころか ある部分はまったく同じだった。

 

以前から、ミニ電車があったかどうかは忘れてしまったが

ウサギやヤギ、モルモットなどの小動物に えさを買って与え、

子供と動物が触れ合えたり、子供たちを乗せて動物園の一部を

歩かせるポニーライドのための数頭の馬がいた。

 

まずは 小さな動物たちに にんじんや レタスの葉を与え

しばらく 遊ぶ。



さあ、そろそろ待望のまごまご、ポニーライドへの挑戦だ。


まごまご 2歳半である。まだちょっと幼いけれど

馬には 子供の腰が丸々はまって 落ちないようにサポートが

付いている幼児専用の鞍が付いているので 2歳くらいの

小さな子供でも大丈夫。同じような年齢の子もやすやすと乗っている。

 

Sちゃん、お馬に乗りたい?そろそろお馬のところに行こうか?」

と、長女が言うと、まごまごも

「うん、乗りたい!」

と、張り切って答える。

 

いよいよだ。どんなに楽しそうに馬に乗るんだろうか??

と カメラを構えて準備万端・・・だったけど、

馬まであと1メートルとなったら

「やだー、馬、乗らない!」

と泣き出すまごまご。

 

近場で馬を見たらどうしても 怖くて乗れなくなってしまった。

小さいからね。やる気と実際とでは 違うものだし・・・。

3回ほど 気を取り直して挑戦してみたけど どうしても最後の

ところで泣いてしまい 結局願いは 果たせず。残念でした!

 

 

まあ、こんなことはどうやらしょっちゅうらしく 帰りに

「乗れなかったから 料金は返してもらえるかしら?」

と 長女が入り口のお姉さんに尋ねると とても気持ちよく

ライド代5ドルを返却してくれた。もう少し大きくなったら

きっと怖くなくなって平気で乗れるんじゃないかな??

その後、しばらくズーの中の遊具で遊んだ。

 

とうもろこしの砂場(とうもろこし場とでも言いましょうか?)


お昼が近くなり、ズーを出た。線路のほうへと歩くと

どうやらそこでは時間がとっても緩やかに流れているらしかった。

 

The Los Rios Historic District

というのも サン・ホワン・カピストラーノのアムトラックの

線路の南側の一部分は 歴史的建造物保存地区で 何もかもが

小さくてかわいくて 10年ほど前に行ったときと まったく

変わっていなかった。

なんてったって そのままの状態を 保存しなければならないのだから

変わっていては困るわけだ。

 

観光客相手の小さな店やレストラン、カフェなどは 

すべて昔の建物を保存しつつ 営まれていて かわいいったらない。

昔の家は ちっちゃいね。人間の大きさも 今と比べると

だいぶ小さいよね。資料館の洋服のサイズからしても。

 

その中のひとつのカフェで お昼を食べることにした。

 

Ramos House Café


座ってしまってから気がついたのだが メニューが

一種類しかなかった。飲み物、スモールプレート、

ビックプレートの3品で 35ドル。

ヒエーー、高いね。と思ったけど もう座ってしまったので

あきらめた。一つ注文して 二人で食べようかと思ったけど

メニューに

「一人が必ずひとつを注文すること。シェアできません」

との但し書きが。

で、得意のわけっこで食べることもできず、・・・。

仕方なし おのおのがひとつずつコースを注文して

残りは ドギーバックでお持ち帰り。

 

でも、時折通るアムトラックやメトロリンクの電車を

眺めながら 200年ほど前の世界へタイムスリップして

楽しめるなんて 素敵だった。


JUGEMテーマ:小さくて大切な幸せ。

インディアンとピルグリム

  • 2012.11.21 Wednesday
  • 15:29
 11月の第4木曜日(2012年は22日)は 感謝祭=「Thanksgiving Holiday

4連休。お休みが続いて楽しい。でも、楽しいだけじゃない。

いったい何に感謝する日なの??


参考) 第1話「ピルグリムって くさかった??」 詳しくは、↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=661 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

以下「Dont Know Much About The Pilgrims」より


第4話 「インディアンとピルグリム」

 

★スクワントは何者?

 

サモセットは、数日後に 5人の腹ペコのインディアンの友達を

連れて戻ってきた。ピルグリムたちが インディアンに

食べ物を与えると そのお返しに インディアンたちは 踊りを踊り

歌を歌った。英国人は インディアンたちのそういう踊りや歌を

一度も見たことが無かった

 

サモセットが連れてきたインディアンのなかの一人が 

ティスクインタムだった。ピルグリムたちは 彼を

スクワントと呼んだ。彼は サモセットより上手な英語を話した。

 

なぜ? スクワントは 実際にイギリスに行ったことがあったからだ。

 

彼は誘拐されて、英国の船長に スペインで奴隷として

売られるところだったが、逃げ出した。彼は イギリスに逃げていった。

そこで ロンドンの商人に助けられて 家に戻ってきた。

 

スクワントの部族はサモセットの部族のそばに住んでいた。

現在プリマスがあるところだ。スクワントがイギリスから

帰ってくると平野には骸骨が散らばっていた。疫病が蔓延して

インディアンたちは壊滅していた。死んだ人を埋葬するのに

間に合わないほどの速さで 感染した。

だから、スクワントは部族の中でただ一人生き残りになった。

独りぼっちになってしまったスクワントは近所の

ワンパノアグス(Wampanoags)部族と一緒に

暮らすことにした。それが、サモセットの部族だ。

 

スクワントはピルグリムたちの大親友だった。

彼はピルグリムたちと残りの人生をともにした。

スクワントの手助けが無かったら

ピルグリムは 誰一人生き残れなかったに違いない。

 

 

★なぜピルグリムたちはコーン(とうもろこし)とともに魚を

埋めたのか?

 

これはスクワントが彼らに教えた農業の秘密だった。

へリングと呼ばれる魚が 肥料のような役割をして

とうもろこしの成長がよくなった。

スクワントは ピルグリムたちに 2〜3匹の魚と

一緒に とうもろこしを埋めて 小さく土を盛り上げる

方法を 教えた。

スクワントは「樫の木の実がねずみの耳くらいの大きさに

なったらコーンを 植えなさい」と言った。

ピルグリムが 最初に上陸したとき、盗んだとうもろこしを

スクワントに助けられて植えなかったら 入植者たちは

誰一人生き残れなかったに違いない。 

 


★スクワントは何をピルグリムたちに教えたか?

 

あ)野生のハーブが生えている場所

い)野生の野いちごや草のどれが安全に食べられるものなのか?

う)魚やうなぎが取れる場所

え)網、鍵型の道具、槍、そして素手で 七面鳥や鹿や

  その他の野生の動物を捕まえる方法   

これらを スクワントが ピルグリムたちに教えたのだ。

 

 

★ ピルグリムとインデアンたちは 仲良くやっていたか?

 

スクワントのおかげで 彼らは仲良くやっていた。ピルグリムのために

スクワントがしてやった一番の功績は インディアンとピルグリムの

間に立って 通訳をしてくれたことだった。彼は インディアンの

ワンパノグス(Wampanoags)族の酋長 マサソイトとピルグリムが

大事な平和条約を結ぶ手助けをした。

 

マサソイトは 60人の男たちとともにプリマス近くの丘に到着した。

エドワード・ウィスローが 協議のためそこに送られた。

スクワントは通訳として 働いた。ウィスローは マサソイトと20人の

インディアンがカーバー知事と話しに行くときに そこに

人質として 残ることに同意した。

マサソイトと知事は 建設途中の建物のクッションに座った。

その場所で 彼らは 食べて お酒を飲んで、友人になることに

同意した。平和条約は双方のグループにとって重要だった。

特に西方のインディアン部族たちは ワンパノアグス あるいは

ピルグリムのどちらかを襲ったに違いない。平和は、条約によって

50年以上続いた。 

 

★条約には何が書かれていたか?

 

ピルグリムとワンパノアグスは 決してお互いに戦わない。

それを破ったものは 処罰されるであろう。

 

もし、どちらか一方が 襲われたら、もう一方はその守備を助けること。

 

インディアンと入植者たちは お互いを訪ねるときには 

武器を持たない。

 

盗みは 許されない。

 

インディアンたちはピルグリムから取った道具を返却する。

 

 

入植者たちは 安全が守られたので 一安心だった。

ピルグリムの一人、エドワード・ウィスローは

「今、ピルグリムは 英国のハイウェーのように森の中で

平和で安全に歩くことができる」と記した。 

  

★インデアンたちは 友好的過ぎたのか?

 

マサソイットとカーバー知事が 平和条約を結んで後

もっと、もっとたくさんのワンパノアグスたちが

プリマスを訪れるようになった。

そして、彼らは いつも腹ペコだった。

もし、これらの訪問者たちが 引き続き訪れたとしたら

ピルグリムの食料は、なくなっていたことだろう。

結局、ピルグリムたちはマサソイットに使者を出して

丁寧に そんなにしょっちゅう来ないで欲しいと

頼んだ。彼は 同意した。

  

英国人とインディアンの間の友好関係は 後に 衰退していった。

それは、ウィリアム・ブラッドフォード(プリマス植民地の2代目の知事)

とマサソイット酋長が死んだ後のことだった。

英国は 怒った。なぜなら、インディアンたちは 

彼らのとうもろこし畑を荒らした牛を殺したからだ。

インディアンたちは 怒った。なぜなら 英国人たちは 

彼らの土地を奪い、彼らに 信仰を押し付けたからだ。

 

1675年、ワンパノアグは 英国の入植者たちを 襲った。

それに続く戦いは「フィリップス国王の戦い」と呼ばれた。

というのは フィリプとは ヨーロッパ人たちが 

新たなる指導者であるマサソイットの息子をそう呼んでいたからだ。

両方の陣営は 長く厳しい戦いを続け、最後はインディアンが

打ち負かされた。

 <続く>


あの日を忘れない

  • 2012.09.12 Wednesday
  • 13:44
 朝 ABCニュースをつけると オバマ大統領が

911の記念式典でスピーチをしていた。

そうだ。今日は 忘れられない日だ。

 

11年前 あの事件が起こった。

その日、今朝と同じように 出勤の用意をしながら

テレビをつけるとワールドトレードセンターが

もうもうと黒煙を上げていた。

旅客機がビルに突っ込む映像が 何度も何度も繰り返し

映し出されて それが現実だと理解するまでに 

しばらく時間がかかった。

信じられなかった。

 

末娘を学校に送り 車でオフィスに向かいながら

ラジオを通して興奮したアナウンサーの声が

聞こえてきた。ただならないその恐怖感、忘れられない。

 

以下、2001911日に配信したアメリカ事情だ。

 

MITSUKOのひとりごと__<テロの恐怖>

 

今朝、いつものように日本語テレビによる

日本からのニュースを聞いた。

台風のため、かなりの被害が出ているらしいが、

それほどの大事には至っていないと、安堵。

日本は、平和だ。

 

その後、いつものようにアメリカ現地のニュースを聞く。

すると、こちらでは信じられないことが起こっていた。

 

今朝、マンハッタンの貿易センタービルに

ハイジャックされた旅客機2機が 衝突、

アメリカ国防省(=ペンタゴン)にも、1機墜落。

ペンシルバニア空港にも、旅客機が墜落。

そのすべてが、自爆テロだという。

 

それを受けて、アメリカ政府は、

第1級の警戒態勢に入ったという。

それは、核戦争を想定したものだとか。

 

まるで映画の中、作り物の出来事のようだ。

が、現実だ。そのニュースを聞きながら、

娘をいつもどおり学校へ送っていった。

すると、・・・?????なぜか今日の学校は、

やけに静かだ。「なんか変だ」そして、いやな予感が・・・。

いつも走っているスクールバスが、いない。

しかし、気にもせずに娘を駐車場で下ろし、会社へ向かう。

 

そして、さらにニュースを聞き続けた。

 

マンハッタンの貿易センタービルでは、

かなりの犠牲者が出ているらしい。

テロの現場付近にいる人からのレポートによると、

橋が通行止めになっているため、現地からの脱出は、

不可能になっているとか。

さらに、ペンタゴンが、こういう形で攻撃を受けるなど

前代未聞だと興奮ぎみのニュースキャスター。

 

ブッシュ大統領は、今朝まで、フロリダにいたが、

急遽ホワイトハウスへと戻りこの緊急事態に対処。

パウエル国防相も、駆けつけるとか。

 

ニュースは続く。

ロサンジェルスでは、公共交通機関は、

運転取りやめ=安全のため。

ロサンジェルス学校区は、休校はしないが、

子供を学校にやるかどうかは、

親の判断にまかせるという。

 

「そうだったのか。学校に、いつものような活気が

無かった理由は、これだ。

何が起こるかわからない。

戦争覚悟の無差別テロだとしたら、アメリカ中が危ない。

のんきに子供を学校に送っていくような状況ではないのだ。

自分たちの命だって危ない」

 

こういうときの危機意識が、自分には、

どうも足りないことを自覚する。

のーてんきな私であるが、ニュースを聞き続ける間中、

この異常な事態に 体中鳥肌が立って、身体が震えっぱなし。

 

今のところ我が街、アーバインは、平穏無事だ。

今朝、この非常事態のためかインターネットの

つながりが悪かったが、現在は、平常通り。

 

今朝、中国へ、出張予定だった同僚は、出張を急遽取りやめ。

東海岸(ニュージャージー在住)にいる知り合いは、

やっと電話が通じて、無事を確認した。よかった。

しかし、彼女のところでは、日常生活のすべてが麻痺している

という。恐怖で、心なしか声が震えていた。

恐怖を感じているという意味では、私も同じだが、

それほど、差し迫っていないので何とか会社の机に座っている。

 

もう一人、ニューヨークに留学中の知り合いがいる。

そこへの電話は、不通。無事を祈りながら、

電話を掛け続けているが・・・。


〜〜〜

ここまで↑が 11年前の今日書いたもの。


ちなみに その留学中の知り合いのお子さんには 

その日の夜だったかに連絡が取れた。

ご両親は遠い日本からさぞ気をもんだに違いない。

あまりの犠牲者の多さに暗澹たる思いをした。

「アメリカは恐ろしい国だ」としみじみ思ったのを覚えている。


JUGEMテーマ:今日のこと

世紀の一瞬 月面到着

  • 2012.08.29 Wednesday
  • 11:55
 昼寝から目が覚めた。

ボーーとした頭で 周りを見回すと薄明るかった。

昼寝のつもりで寝たのに 夜が明けてしまったのか?

ぐっすり眠った気がした。

しかし、

夜が明けたわけではなく 夏の日暮れ時だった。

 

起きて、みんながいる茶の間のほうへいった。

夢なのか?現実なのか?

世界では、大変なことが起こっていた。

テレビから その興奮が伝わってきた。

ニール・アームストロング船長が

まさに月面に足を下ろそうとしていた。

 

そして、薄闇は だんだん漆黒の闇へと変わっていった。

トワイライトゾーン、不思議な出来事が起こる時間。

 

アームストロング船長が先日、この世を去った。

8月25日に82歳で亡くなった。

そのニュースを聞いて この日の出来事を思い出した。

あの不思議な感覚は一体なんだったのだろう?

あまりにも強烈で 忘れられない。

 

月面着陸は、1969721日。

自分の記憶の中で、そのときの自分はちっちゃな子供だと

思っていたのだが 違った。

私は、中学生になっていた。

 

あれは実況中継だったのか?

録画での放送が当時あったとは思わないので

きっと全世界に向けて 一斉放送されたものを

たまたま長い昼寝から覚めた私は見たのだろうか?

 

アメリカはすごいなあ。

月に、あの月に 本当に人間が行ってしまった。

進んだ国だなあ。

ただただびっくりした。


宣教師たちの足跡

  • 2006.05.01 Monday
  • 05:43



この時季のカリフォルニアは美しい。

野草の黄色いマスタードフラワーが 
海岸沿いの山々に咲き乱れる。

この黄色い花、菜の花だとばかり思っていたのだが
去年(2005年) 4年生だった娘が 

カリフォルニアの教会について

学校の授業で勉強したときに、

マスタードの花だということが判明。

 

それによると・・・

1769年に ヨーロッパからやってきた宣教師たちは

サンディエゴの教会を建て



1823年、サンフランシスコに教会を設立するまで




どんな苦労があっても、彼らは決してあきらめなかった。

彼らは 新大陸を植民地化するという政治的な目的の元に
自らの信仰心に支えられ

土着のインディアンたちを教育し、

農業を教え、
ともに暮らしながら 

インディアンたちを 教会に帰依させていった。

宣教師たちは、少数の兵士やインディアンを連れて
砂漠地帯カリフォルニアの海岸沿いを徐々に北上しながら
険しい丘陵地帯を切り開き、道を作り
一日(徒歩)で 次のミッション(教会)にたどり着けるように
21個の教会を50年以上かけて建てていった。

そして、ミッションをたどっていく旅人たちが

迷子にならないようにと 道しるべのために蒔かれたのが 
このマスタードの花の種。



250年近くたった今でもこの時期になるとその黄色い花は
いっせいに咲き誇り、カリフォルニアに初夏を告げる。

 

これら カリフォルニアの海岸沿いに転々と存在する21個の教会は
遠い昔のスペインの宣教師たちの苦難を今に伝えるものだ。


<参照>

Mission San Diego de Alcala (1769)
Mission San Carlos Borroméo de Carmelo (1770)
Mission San Antonio de Padua (1771)
Mission San Gabriel Arcángel (1771)
Mission San Luis Obispo (1772)
Mission San Francisco de Asís (1776)
Mission San Juan Capistrano (1776)
Mission Santa Clara de Asís (1777)
Mission San Buenaventura (1782)
Mission Santa Barbara (1786)
Mission La Purisíma Concepción (1787)
Mission Santa Cruz (1791)
Mission Nuestra Señora de la Soledad (1791)
Mission San José (1797)
Mission San Juan Bautista (1797)
Mission San Miguel de Arcángel (1797)
Mission San Fernando Rey de España (1797)
Mission San Luis Rey de Francia (1798)
Mission Santa Inés (1804)
Mission San Rafael Arcángel (1817)
Mission San Francisco de Solano (1823)
 

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