めちゃくちゃ短歌の気分

  • 2015.01.05 Monday
  • 17:07

「僕らは二重に生きていて、短歌を恋しいと思っている」

これは、歌人 穂村弘さんの「はじめての短歌」の第一講の命題だ。

二重に生きる??

短歌が恋しい??

何々??

と、この本の最初の数行にひきつけられた。

 

「二重に生きるとは?」

 「食べたり眠ったり、私たちは人間として生き延びるための

活動をしている。その上で自分らしく生きたいと私たちは思っている」

と 穂村さんはいう。


 どういうこと?


 「単に生き延びる」=本能で生きる部分、

そして、「自分を生きる」=考えて生きる部分の両方を

私たちは持っている。

言われてみれば確かにそうだ。

そして、その「生き延びる」以外の「生きる」という部分が 

短歌だと彼はいう。日常の上に乗っているその「生きる」

という部分が 短歌を詠むときに 重要だと。


 「初めての短歌」は、明らかに、初心者のための短歌の本

なのだけれど、大方の初心者本とちょっと違っていて、

良い短歌(とてもユニークで素敵な短歌)たちを 

常識的な視点で添削するとまったくもってつまらない短歌に

なってしまうという例題が これでもかこれでもかとでてくる。

本来、添削というのは 本来は、正しくするための作業なのだが、

この本の場合は、良識が良い短歌を改悪してしまうという

証明に使われている。

良い短歌たちの場合、その言葉たちは ぶっ飛んでいる。

ただのぶっ飛び方ではなく 繊細で、時にめちゃくちゃ傷付いて

しまうだろうやさしさを持つ。

そして、めちゃくちゃ自分だけの表現だったりする

ぶっ飛び方をしている。

「ぶっ飛んでいるほど いい歌だ」

=「生き延びること(常識の部分)と違う次元で生きているから

良い歌が詠める」と穂村さん。


 これを読んだら、私はとてつもなくうれしくなった。

そして、すごく癒された気分になれた。

最近の自分が、つまらない目先の現実ばかり見ていたことを

思い出した。

そんなちっぽけな自分を発見し「窮屈だったなあ」って

つくづく感じて「短歌、いいね」って、思えた。

私は、まさに「短歌を恋しい」と思っていた。

そうだ。そうだったんだ。馬鹿でいいんだ。

馬鹿でおろかなほうが短歌にはいいんだ。

短歌を詠む時は、日常から思いっきり逸脱する!!

そのほうがいいんだから、それなら、いつでもできそうで・・・。

 

春ならばうきうきするよ春だからいいこときっと邪悪の後に (みつこ)


パンパンの旅行鞄にきらきらの虹の妄想だけを詰めてく (みつこ)

 

 日常が虚しくて窒息しそうだと感じたら もう一度生きてみよう!

 短歌を詠もう!

 そうすれば、別の自分が見つかるかもしれない。  



 



なんだか難しそうだと思っていた短歌だけど 

そうでもないみたいで

ほんとうれしい。


JUGEMテーマ:読書

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