2012
年11
月23
日、今日は サンクスギビング4
連休の2
日目。
最初のサンクスギビングも 3日3晩続いたそうです。
第7話 「最初のサンクスギビングのその後は??」
今回も知っているようで知らなかったThanksgiving=感謝祭の
トリビアをご紹介。「知っているからいらないよ」という方にも、
「へーーーー!」というものがあるはず。
参考) 第1話「ピルグリムって くさかった??」
詳しくは、ここから↓
http://americajijo.jugem.jp/?eid=661
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以下「Don’t Know Much About The Pilgrims」より
★その時代にはもちろんフットボールのテレビ中継は無かった。
みんな何をして3日間のサンクスギビングを過ごしたんだろう??
最初のサンクスギビングは 丸々3日間続けらたのだが
10月の半ばに行われた(11月ではなかった)。夜が来て
暗くなるとみんな寝た。朝になると起きてまたパーティーを
続けたのだ。
男たちと男の子たちは 走ったり ジャンプを競いゲームをして
遊んだ。ピルグリムは的に向かって マスカット銃を撃ち
インディアンたちは 弓と矢を撃った。ピルグリムは 軍隊の
行進をした。インディアンは ダンスをした。
女性と女の子たちは ほとんどの時間を料理に費やした。
最初の年は、たった4人しか女性は生き残らなかったので
子供たちと使用人は 晩餐の支度を手伝わなければならなかった。
★ピルグリムのサンクスギビングパーティーのその後は
何が起こったのか?
プリマスの初期の頃の入植者たちは 限られた資源で、特に
食料に関して、やりくりしなければならなかった。サンクスギビングの
お祭りの後には もっと多くの入植者がやってきた。それも
何も持たずに。ということは その人たちのための食べ物と家が
もっと必要になった。しかし、時が経つにつれて 物事は
うまく運ぶようになった。インディアンの助けを借りて
どうやったら自分たちで食べていけるかということを学んだのだ。
家族の誰もが健康だった。彼らが選んだ信仰を崇拝することができた。
インディアンとの関係も良好だった。1620年の最後の頃まで
植民地は広がり続け、ピルグリムたちは 自分たちが祖国に残してきた
親兄弟、親戚や友達の家族などを呼び寄せることができた。
今日、6人に1人のアメリカ人はメイフラワーでやってきた人が
親戚にいる。メイフラワーのピルグリムの有名な子孫には、
ジョン・アダムズ、ジョン・クインシー・アダムス、ザッカリー・テイラー、
ユリシス・S・グラント、ジェームス・ガーフィールド、
フランクリン・D・ルーズベルト、ジョージ・ブッシュ、
ジョージ・W・ブッシュなどがいる。
<ブッシュさんて 名門だったのね。Mitsuko>
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1777年まで サンクスギビングは公にお祝いされることはなかった。
アメリカ独立戦争の間、サラトガで入植者たちが イギリスを打ち負かした
ことをお祝いして 大陸の議会が それを国民の祭日と決めた。
最初の大統領府が 国民のサンクスギビングを宣言したのだが、
1815年まで 慣習は忘れられ 無くなる寸前まで来ていた。
1837年の冬、サラ・ジョセフ・ヘイルがその休日を復活させる
長いキャンペーンを始めた。
1863年、アブラハム・リンカーン大統領が、11月の最後の木曜日に
国民の祭日としてお祝いすると宣言した。フランクリン・D・ルーズベルト
大統領は 1939年に 11月の第3木曜日に 変えた。しかし、大多数の
人が それを反対した。そこで、1941年、議会がサンクスギビングを
国民の休日だと宣言したとき、ルーズベルトは譲歩して 11月の
第4木曜日と宣言した。これをもって 今日のサンクスギビングが
固まったのである。