上手だね、日本語
- 2016.05.28 Saturday
- 11:28
今年のコンテスタントは 12人↓
アメリカ中から選ばれた彼らは、日本語を勉強して数年。
毎年のことだけど こんなに上手になるの?と感心させられる。
今年もどんなスピーチが聞けるのか?
とっても楽しみ。
ここで 一位になると7月に日本で行われる世界大会への出場権が得られる。
UCI(カリフォルニア州立大学アーバン校)の教室 準備中の会場の様子↓
スピーチは3時過ぎまで続きます。
ご近所の皆さん、是非 おいで下さい。
今年で11回目を迎えたスピーチコンテスト、
回を重ねて、年々年々イベントとしての質も上がり
今年も さらに去年よりよい大会になった。
会場には、去年の優勝者のダコタ君と
2007年第4回大会優勝者のジェッシー君の2人の顔があった。
「カリフォルニアに今居るということでジェシー君が来てくれています」
とアナウンスがあったとき 思い出した。
ジェシー君??
あーー、あのジェシー???
日本式のトイレ(しゃがむタイプの)にびびったり、
ゴキブリをチョコレートと間違えて食べそうになったり・・・
っていうあのジェシー???
確か、彼は日本でのセンセーショナルな体験を
「僕の体験した日本」↓というタイトルでスピーチをしてくれたっけ。
http://americajijo.jugem.jp/?eid=77
あれから7年、かわいらしかった高校生は 立派な大人になっていた。
彼に「あのジェッシー君なの?」と声をかけると
にこにこと「はい、そうです」という。
今、彼はハリウッドで俳優になるために勉強中だという。
がんばれー、ジェシー!!
もう一人は、昨年の優勝者 ダコダ君。
優勝した先輩として 会場でボランティアの高校生たちと
大会をもり立てるお手伝いをしてくれていた。
彼は、サンディエゴ出身だが、今年はアーバインに暮らしている。
大学1年生だ。
どこの大学って UCI(会場になっている大学で大学生活満喫中)。
彼の専攻は、コンピューターサイエンスだそうな。
今は 日本語の授業は取っていないけれど
来年くらいにまた勉強を始めたいといっていた。
参考)2012年大会3位のときのダコダ君のスピーチは
http://americajijo.jugem.jp/?eid=503
そして、去年2013年大会で 彼は 見事優勝し
日本での世界大会出場権を取った。すごかったね。
こんな風に巣立っていった高校生たちのその後の成長振りが
分るのもうれしい。
高校生たちの生のスピーチはこちらから
2014年 日本語スピーチコンテスト前半↓
https://www.youtube.com/watch?v=oxAKwvan9H4
スピーチ後半↓
https://www.youtube.com/watch?v=IcM3hX7qrYc
毎年7月に日本で行われる日本語スピーチコンテスト世界大会に出場の
アメリカ代表を選ぶ全米大会が 5月24日(土)に
州立大学アーバイン校で 開催され 無事に終わった。
最初の年からお手伝いをしているので はっきりと分るのだが
出場する高校生の日本語レベルは 年々高くなっている。
まったく日本語環境に無い高校生たちが 数年の日本語の勉強で
こんなにすばらしいスピーチを 流暢な日本語で できるようになる
ということがすばらしいと思う。そして、そのスピーチの内容が
またすばらしく 毎年のことながら感動する。
同じように数年ボランティアを続けるMさんは、
この感動が欲しくて お手伝いをしているという。
まったく同感だ。
今年の参加者は 14人。それぞれにすばらしかった。
ボランティアの地元アーバインの高校生たちと↓
優勝は、テキサスの10年生(日本で言えば 高校1年生)の
グリニスさん、「母の愛」だった。
仕事から疲れて帰ってくるお母さんが 「あんたたちなんか嫌い」
と言いながらも 自分を愛してくれていると分っている。
お母さんの辛い気持が 分るので 自分はお母さんを支えていくつもりだ。
と、感動のスピーチ。
2位は テキサスの12年生(高校3年)ウィリー君、
「正確な翻訳を目指して」
日本語の宿題を 友達は 翻訳ソフトでやったりするけれど
コンピューターがする翻訳は ぜんぜん正確ではない。
自分は 大学でコンピューターサイエンスを勉強して
正確な翻訳ができるソフトを開発したい。
後で、来賓の某日系大企業のF通社長、コメントを求められ、
彼をリクルート。そのウイットの効いたコメントに
会場は 暖かい笑いに包まれた。
3位は ニューヨークの12年生(高3)ワン君、「絆の大切さ」。
震災大使の日本の高校生との交流を通じて その強さに感動し
絆の大切さを学んだ。そして、昨年の日本への6週間の留学で
出会ったホストファミリーとの絆を大切にしたい。
ワン君、前日の歓迎会のときのオリエンテーションで
出場の順番を決めるとき、一番のくじを引いて
「僕は運が悪いです」なんて、自己紹介をしていた。
トップバッターというのは 緊張もことさらだったに違いない。
が、すばらしいスピーチで 会場を魅了した。
会場のオーディアンス賞を貰ったのは
サガー君、カリフォルニアのサンホゼから出場の12年生(高3)。
「目をつぶって選んだ日本語」
授業を選ぶのに眼をつぶって選んだのが日本語だったという。
がんばって勉強したので去年日本に留学することができた。
愛媛の高校に行った。初めて制服を来て通学して恥ずかしかったが
日本での生活は楽しかった。電車の中でやくざのような人に出会い
挨拶をした。怖かったけれど 面白かった。
彼の身振り手振りから とても楽しかった様子が スピーチから
伝わってきた。
ドラマチックな内容でスピーチをしたのは ソル君、
カリフォルニア、ぺブルビーチの10年生(高1)「希望の声」。
7年前、聴覚障害者の幼馴染が 自動車事故で亡くなった。
そのことがきっかけになり「希望の声」という障害者センターで
一昨年から ボランティアをしている。そこで、自分は、
手話を学んだり、センターで障害者の子供たちと遊んだりしている。
彼には、VIPアワードが授与された。
アリッサさん↓、
アラスカから参加の10年生(高1)は
「競争っていいな」というタイトルのスピーチをした。
自分は水泳をやっている。自分は競争するのが大好きだ。
スポーツだけでなく 勉強でも一番になりたい。
競争が大好きなのは 自分の性格だと思っていたら
家族も皆競争が好きだということに気がついた。
この大会の後は 地元アラスカで行われる美人コンテストに
出ることになっている。
と、元気なスピーチをしてくれた。
このスピーチを聞いていて、私は この間の林真理子の「野心のすすめ」を
思い出していた。
ここにいる高校生たちは、誰よりも 一番になりたいと思い
並大抵ではない努力をしているに違いない。
彼らの優秀さは 日本語(語学)だけのことではない。
すべてに発揮されている。
他人より秀でるためには 努力、努力、努力。それしかないんだね。
そして、それを苦と思わない情熱が彼らにはある。
すごいねえ。毎年のことなんだけど 感心しきり・・・。
(続く)
http://americajijo.jugem.jp/?eid=876
5月25日(土)、カリフォルニアアーバイン州立大学で
オーロラ日本語スピーチコンテスト全米大会の
第10回大会が 盛会のうちに無事に終わった。
初回から 微力ながらかかわっているので
10年という月日に まず 感無量だ。
コンテストの前日の夕方のウェルカムパーティーと
コンテスト当日、そして、高校生の出場者が帰宅するその翌日と
3日間に渡るイベントなのだが
その準備は 数ヶ月かけて行われる。
10年ということで意気込んだかいがあって
いろんな意味で あちらこちら感動があった。
まずは ウェルカムパーティーでのできごと。
5月24日(金)の5時過ぎ
アーバインのマツダアメリカのオフィスで 参加者とホストファミリーとの
ウェルカムパーティーが開かれた。
学生ボランティアの大活躍と大勢のホストファミリーが
会場に所狭しと集まって 参加する高校生たちを迎えた。
アーバインの高校生とUCIの学生 30人ほどが 駆けつけた。
参加者を迎えるホストファミリーも 家族総出で
ウェルカムパーティーに 参加し、若さあふれ歓迎会だった。
和気藹々のウェルカムパーティー会場 ↓
最初の頃は ボランティア不足、ホストファミリー不足に
常に悩まされていた。
そのため、実行委員をしながら 参加者をホストしたり
一軒のお宅に数人の参加者をお願いしたり
かなり無理をしたことなどが思い出された。
今は こんな風に一緒に盛り上げてくれる人たちが増えて 感無量。
これは夢のようだ。
ホストファミリーの皆さん↓
参加者のホストをすることは 責任もあるが、楽しい。
日本語を勉強している高校生は 日本に好意的だし
日本通だし、日本語を話すし・・・。
そんな楽しさが 毎年のように受け継がれ
スピーチコンテストのサポーターが増えているという証拠。
毎年のように学生を預かってくれるお宅も何軒かある。
パーティーのご馳走は、
実行委員たちの用意した手作りのお料理、
すしボーイからのカリフォルニアロールの差し入れ
前田園のアイスクリーム、
中華料理やサンドイッチ。
そして、圧巻だったのは、広島風お好み焼きの実演。
マツダの本社は 広島。
というわけで、パーティーの会場を提供してくれた
Mazdaアメリカの社長さん自ら
広島風お好み焼きをその場で焼いてくれた。
実演は 迫力だった。初めて作り方を見せてもらい
大感激。NHKの「てっぱん」で見ていたけれど
やっぱり生でみると違う。
お味は?もちろん極上。
焼きたてでめっちゃ美味しかったあ!
大奮闘 広島風お好み焼き 実演 ↓
食事の後は ボランティアの学生たちのエンターテイメント
今 世界的に受けている日本の「キャリーぱみゅぱみゅ」の
「つけまつける」をみんなで踊った。
もちろん、老いも若きもだ。
こんなことでもなければ 踊ることはないだろうねえ。
そして、日本の食べ物についてのクイズ。
よく考えられていて ためになったよ。
和気藹々としたウェルカムパーティーは 2時間半ほどで
お開きになり 15人の参加者たちは それぞれのホストファミリーと
ともに家路へと着いた。
5月25日今度の土曜日は、オーロラ基金主催の
全米高校生日本語スピーチコンテストの第10回大会だ。
このコンテストは 10年前にはじまったのだが
2003年に 日本で行われる日本語のスピーチコンテストの
世界大会にアメリカ代表を推薦して欲しいと
日本のスピーチコンテストの団体から、
オーロラ基金が頼まれたことがきっかけではじまったと聞いている。
その翌年の2004年から アーバインで、全米大会が開かれることになった。
アメリカ全土の日本語を勉強している優秀な高校生の中から
最優秀者を選んで 日本での世界大会に 推薦するために
コンテストが 始まった。
その頃の私は、末娘(当時8歳)の日本語嫌いを
どうしようかと頭を悩ませていた。
たまたま、UCI(州立アーバイン大学)の日本語科のスピーチコンテストを
拝見する機会に恵まれた。そして、日本語を学ぶ大学生に大いに励まされた。
やる気さえあれば まったく日本語環境に居ない人でも
こんなにしっかりと日本語を学べるのだと知った。
嫌がっている子に無理強いしないでもいいかもしれない。
彼女がやる気になったときに、学べるに違いないと確信した。
そんなことがあったすぐ後、スピーチコンテストにやってくる
高校生のホストファミリーを引き受けて欲しいと頼まれて
娘に何か刺激になればと引き受けた。
それから、もう10年経つのかと時の経つ早さにびっくりしている。
初回のてんてこ舞いを懐かしく思い出す。
10年前、何も無いところからの立ち上げだった。
無事にコンテストを終えたときのほっとした思いは今でも覚えている。
その後、微力ながら 毎年なんだかんだとお手伝いをしてきた。
コンテストは、回を重ねるごとに要領を得て、
会の運営も少しずつスムーズになったように思う。
ボランティアとしてコンテストにかかわっていく楽しみは、
参加する高校生たちの目から見る日本だ。
外国人の目から見る日本に 毎回、感心させられる。
日本語を学んだ彼らがもっともっと日本を理解し、
日本とかかわっていってくれたら、
世界平和は夢物語でなくなるだろう。
きっと素敵なことが起こるだろう。
そんなことを感じる。
こんな風に心の種を育てる手伝いをしているんだなあと
自己満足かもしれないけれど 国際貢献草の根運動だと
自分では思っている。
今年は、10周年を記念して UCIの階段教室を借りて
コンテストが開かれる。
今までは 関係者にしか公開していなかったが、
今年は たくさんの方に見てもらいたいということで
大きな会場になった。
そんなわけで できるだけ たくさんの人に 見て欲しい。
2年とか3年で こんなに日本語が話せるようになるなんて
ほんとにびっくりする。
一見の価値あり!ですぞ。
「将来の選択」
アンジェリカ・ジョイ・ジュマミル・ジュバネ
小学生のとき、母が胃潰瘍になり「看護師になる」と
母と約束したので その言葉に責任を感じている。
が 高2になり世界史や日本語を学び 世界のことを
もっと知りたいと思うようになった。いろいろな国の言葉と
文化に興味があるので 将来大学で 人類学を勉強したいと
思っている。ところが、両親は 小さいとき約束したように
自分に看護師になってほしいと思っているので 板ばさみに
なって とても悩んでいる。
アンジェリカさんの生スピーチは↓
http://www.jfnoc.com/2012speechcontest/speech-09.mp3
アンジェリカさんは カリフォルニアの12年生。
卒業を迎えて 将来何になるべきか選ばなければならないときが
きている。自分のやりたいことを選ぶか?それとも 両親の望み
通りの道に進むのか?大いに悩んでいる様子が スピーチから
感じられる。
彼女は最終的にいったいどちらの道を選ぶのだろうか?
現在、アメリカは長引く不況で 大学生たちの就職先が無い。
せっかく高い学費を払っていい大学を出てもいい就職口がなくて、
大学院に残るという学生が増えているという。
何年もそんな状態が続いている。
うちにも高校生がいるのだが 大学は 初任給がいいという理由で
文科系ではなく 技術系にいくのだという。
日本の事情にも明るくないが アメリカの就職事情などちっとも
わからないお気楽親(果たして親といえるのか?)の私は
「ふーーん、そんなものか」と本人に任せている。
のんびりと自分のやりたいことを探すこともできるが
やりたいことが分かっていて、それなりの専門職に進めば
より早く望むところへ到達可能ということらしい。
確かに、専門に特化すれば 有利には違いない。
でも、人生 そう割り切れるものではなく あっちへぶつかり
こっちへぶつかってというような でこぼこの人生のほうが
味があると思う。目標に向かって一直線に進んでいるかに見える
わが娘だが 応援しかできないので はらはらしながら
見ている。どうなるのか ちっとも先が見えないので 気が気でない。
でも、世の中には挫折など知らないで すいすいと人生の
追い風に乗って 生きているように見える人もいるわけで
うらやましいような・・・うらやましくないような・・・。
挫折の無い人生なんて・・・「人生 塞翁が馬」そんな風に毎日を
生きている私には 夢物語だな。
韓国にはもう10年帰ったことが無いという。
韓国語はしゃべれるので祖国の文化をわかっているつもりだったけれど
おじさんとおばさんが韓国からやってきて長期滞在、
さらに、いとこたちが加わっての旅行を通じて 感じることがあったようだ。
「韓国から来た親戚と過ごした夏休み」ヤンヌ キム(イリノイ州11年生)
2ヶ月半韓国から来た親戚と過ごして アメリカと韓国の違いを
あらためて認識した。
叔父伯母、従兄弟たちと一緒に ナイアガラ旅行をしたとき
彼らの話し方や行動が礼儀正しいことにも気がついた。
自分は
韓国生まれ
7才でアメリカに来た。韓国語も話せるので
韓国の文化を分かっているつもりだったが、そうではなかったと
実感。もっと韓国文化を理解するために韓国を訪ねたいと思った。
〜〜〜〜〜〜
ヤンヌ
キムさんの生スピーチは
http://jfnoc.com/
言葉が話せるだけでは、文化まで理解することにはならない。
しかし、言葉は文化の一部なので 彼女のように祖国の言葉を話せることは
その文化を理解するうえでの第一歩。
異文化の中で育つと必ずぶつかる自分のアイデンティティー探し。
おじさんおばさんと接することで普段は気がついていない自分の
ルーツを探してみたくなったようだ。
彼女と似たような状況のわが娘たち、こちらに来たとき上の二人は
16才と14才だった。だから、性格的にそうとう日本人として確立してから
やってきたはずだが 二人ともあっという間にアメリカンになった。
親として それがわかったとき びっくりした。が、思春期をこちらで
過ごすということは そういうことなのだろう。
そして、末娘は 生まれてすぐにこちらに来てしまったから
日本のことは何も知らない。だから、一番 アメリカナイズされている
かというとそうでもない。
親は日本語しかしゃべらず、一歩家に入ればそこは日本。
というような生活。小さいときからアメリカ人の中で暮らし
親からすれば ほとんどがアメリカンというエイリアン(宇宙人)だが
異様に恥ずかしがり屋さんだったり、自分の能力に自信が無かったり
意外に日本人的なところがあるのが面白い。