風のうわさに聞いたウソみたいな本当の話(1999年)

  • 2012.05.16 Wednesday
  • 08:53

★☆
その1__思いっきり派手なプロポーズのし方、アメリカ流?
 
ある日、ソニーのオフィスビルに一台の消防自動車(梯子車)が
サイレンも鳴らさずに近づいた。
そして、するするとその梯子を伸ばしたのである。
オフィスで働く従業員達が、
「火事か?事件か?しかし、警報も鳴っておらず何事ぞ?」
と訝しんで、見守る中、一人の消防士が、はしご車に乗り、
ビルの外から、そのオフィスの高層階で働く彼女にプロポーズした、
という。
 
プロポーズが守備良く受けられたかどうか結果までは、
知る由が無かったが これを見た日本人従業員、
「やってくれるねー」
と感心したことしきりであった。
 
まるで、ハリウッド映画みたいではないか?
映画「プリティーウーマン」のエンディングも、
アパートの非常階段からプロポーズしてましたね、そういえば。
 
消防自働車=A FIRE ENGINE(ファイアー・エンジン)
消防士=A FIRE FIGHTER(ファイアー・ファイター)
梯子車=A LADDER TRUCK(ラダー・トラック)
 
★☆その2___おふざけも、セクシャルハラスメント?
 
1999年ごろ、アーバインの中学であった話。
中学2年生のクラスメートの男の子達。
体育の時間中、暇を持て余した挙句に、3人で、ふざけてズボンを
ずり下げごっこをして遊んでいたそうな。
この内二人は、先生に現場を見られ、その場で、オフィスに送られた。
この二人、自分たち以外にももう一人同じことをしていたと
先生に申し立て、残り一名も、同じ処分を申し渡された。
 
書類には、セクシャルハラスメントの罪により、
1日の停学とあったそうな。
「男の子同士のたわいのないおふざけのズボンの下げあいも
セクシャルハラスメントね。笑っちゃったよ」
とは、知り合いの中学生のお母さん(日本人)。
 
日本とアメリカでは この辺の感覚がかなり違う。
日本では たわいないおふざけで笑い話となるが
アメリカでは もっと深刻な事件とみなされる。
くれぐれも 注意が必要。
 
そして、アメリカの学校では 悪さをすると、
生徒は、校長先生のオフィスに送られる。
そこで校長先生から、直々に注意を受け、反省を求められる。
 
なんと、幼稚園(保育園)でも同様で、
二歳児であろうと三歳児であろうと、同じ処分をうける。
お友達をぶった子、泣き喚いて手におえない子、
先生のいう事が聞けない子は、クラスから出され、
オフィスにしばらく留め置かれる。
オフィスへ送られるというのは、彼らにとって、恥ずかしい事であり、
悪い事をしたということの象徴でもある。

 

15年という歳月が・・・

  • 2012.05.15 Tuesday
  • 03:13
 少しずつ過去記事をアップしていこうと

「初めてのトラフィックスクール」をアップ。

 それは、13年前に書いた記事で トラフィックスクールへ行ったのは

その2年前の出来事だった。

それを読み直してみて 面白いことに気がついた。


自分が書いた文章なのに、自分の感想が初々しくてびっくりした。

だんだん感じ方が変わるんだねえ。知らないうちに。

 

スピード違反をして トラフィックスクールを取っている

受講生たちが あまりにもぬけぬけと文句を言っているので

びっくりしている自分がそこにいた。

 

今では きっと自分が文句を言う側に回るに違いない。

うまくしゃべれないから 公の場では言わないかもしれないが

でも、つかまってしまって神妙にクラスを受けるなどという

気持ちは起こらない。

捕まってしまったら 運が悪かったと思うだけだ。

 

なぜ??って、

 

ポリスも自分たちの都合で捕まえているらしいことが

最近わかってきたから。

 

最後にスピード違反でつかまったのは5年前だったんだけど、

そのときなど、目の前を走っていた人は ポリスの前を

走り去り、後ろにいた私が捕まって とても理不尽な目にあったので

それ以来 文句たらたら。

そのときのことは 「ポリスの横暴」↓

http://americajijo.jugem.jp/?eid=71

 

それ以来 ポリスを見たら わざとらしくブレーキを踏んで 減速する。

だって、ばかばかしいもの。つかまるなんて。

 

そして もうひとつわかったことがある。

英語がわからなくて 右往左往するのは 変わっていない。

進歩がないね。

昔のほうが 必死だったってことだけは 確かだけれど。

 しっかり、アメリカナイズされているね。私。

JUGEMテーマ:気になること

 

初めてのトラフィックスクール3(完結編)

  • 2012.05.14 Monday
  • 07:26
スピード違反で違反切符をもらってしまって
トラフィックスクールへ行くことになったが・・・。

完結編

その1
http://americajijo.jugem.jp/?eid=479

その2
http://americajijo.jugem.jp/?eid=480


I was so curious about how the traffic school would be.
(トラフィックスクールとは、どんなものなのか 鵜の目鷹の目だった)

翌週、同じ時間、またコートへ。
その回をクリアーしなくては、費用と時間の無駄になる。
またしても遅れてはならじと少し早めに家を出る。
 
インストラクターは、前回と同じ弁護士のおじさんだ。
コートに入ると、最初に出席のサイン。
と、同時に交通法規のテスト問題が配られる。
 
難しくて意味不明。(専門用語が多い)
説明(解説)書のようなものもいっしょに配られる。
 
問題を解くように言われたが、あまり良くわからない。
何とかごまかせるか?(めいっぱい解ろうと努力)
とにかく解らない所は、感を働かせて・・・。
 
しばらくして、インストラクター氏が、説明を始める。
問題に答えて、用紙を提出。
良否が、合格不合格に関係あるんだろうか?
 
時間が半分経過したところでまた休憩。
前回と同じに、厳重にとんずらしないよう注意を受ける。
 
それにしても、アメリカ人は、休憩時間を律儀に取る。
 
後半の講習は、ビデオ鑑賞。
ビデオで解りやすく交通法規を教えてくれた。
 
娘たちが受けたTEEN TRAFFIC ACADEMY(十代の子達の交通教室)では、
惨たらしい事故の場面(日本では決して見られないほどすごい)
をいやというほど見せられたと聞き、
ビデオで、どんな気持ち悪いものが出てくるのかと思ったが、
そんなにむごたらしいものは 出てこなかったのでほっとした。
テーンエイジャーには しっかりと事故のむごさを焼き付けて
事故をしないようにと思い知らせるということなのだろう。
 
大人の交通教室では、もし、飲酒運転でおまわりさんに捕まったら
というごくノーマルなドラマ仕立ての内容だった。
無謀な運転より 飲酒運転のほうが より深刻というわけだ。
 
「アメリカで飲酒運転をして、おまわりさんに見つかると」
1.飲酒運転かどうかを検査される。
__目を閉じて片足立ち、揺れてはいけない。
__風船の中に息を吹き込み、アルコール濃度を検査
 
2.飲酒運転と判断されると、
後ろ手に手錠を掛けられ、留置場へ直行!
(=よく映画に出てくる犯人逮捕の場面だ)
__乗っていた車は、そこに放置される。
__同乗者が居る場合、おまわりさんが家まで送ってくれる。
 
と、いうものだった。
 
私の夫はかなりの飲み助。
以前から、知り合いに、
いつも家に300ドル程の現金を用意しておくよう言われている。
なぜなら、飲酒運転で逮捕された場合の保釈金のため。
もし、保釈金が無かったら、留置場に一晩留め置かれる。
このビデオを見た私は、なるほどその友人のアドバイスは
そういう意味だったのかと理解できた。
 
しかし、一泊くらいなら留置場もいいお仕置きになるかも。
 
とにかく、飲酒運転の罰は厳しい。
即、免許取り消し。プラス、罰金。
過去の違反暦にもよるが、数回の交通教室、
免停、数ヶ月或いは数年。
 
車しか交通手段の無いアメリカで免停は生活にかかわる。
車が無ければ、仕事にも行けない。
食べ物を買いに行くこともできない。
そこで、数ヶ月の免停の後、仕事の往復だけの運転許可が出る。
免許が貰えるわけではないが、
限られた範囲の運転の許可が出るのだ。
 
こんなところにも、アメリカならではの合理主義が見える。
 
このビデオを見た後、全般的な質疑応答があり、
またしても、厳しい出席確認の後、
ご褒美というわけで、定刻20分前には解放された。
 
どのようにその出席の紙を
アナ・ハイムのコートに提出するのかということが、
最後に私を悩ませた。
(捕まった場所と講習に出た場所が違うので)
 
こんなとき、言葉のはっきり解らない状況で、解らないままに、
これでいいか、とあいまいなままやり過ごすと、
勘違いやら、間違いやらで、あたふたし
肝心なところが抜け落ちて、最初からやり直しというはめになる。
大事なことに限ってそういうことがままあるので
念には念を入れることに。
 
〜〜聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥じ〜〜
 
答えは、自動的に送られるということだったが、
最後の最後まで、しっかり質問して確認。
 
こんな風に、私のトラフィック・スクール2日目も、
右往左往のうちに、無事終わった。
 
さて、この減点帳消し制度、軽い違反であれば、
18ヶ月間の無事故違反者に適応される。
従って、何年も運転していれば、
複数回の講習経験は、あながち珍しくも無いということらしい。
 
以後、私は、パトカー(ポリスカー)には異様に敏感になり、
スピードを出す時や、信号無視を思わずする時、
おまわりさんの影に怯え、周りを見まわすくせがついた。
 
そして、一般道、フリーウェーをとわず みんながゆっくりと走っていて
お団子状態になった車の一隊がいた場合、おまわりさんがいる証拠。
決して抜き去るような馬鹿はしてはならない。

 

初めてのトラフィックスクール2

  • 2012.05.13 Sunday
  • 14:19
はじめて違反切符をもらったのは 1997年、
アメリカ生活2年目の秋だったと記憶している。

フリーウェーで ポリスカーがいるなんて知らないで
のろのろ運転している車の集団を追い抜いたら
ポリスに捕まった

そして、トラフィックスクールに行くことになったのだけど・・・

初めてのトラフィックスクール1
http://americajijo.jugem.jp/?eid=479


いよいよトラフィックスクールが 始まる。

I was so nervous and confused,
but tried to understand what was going on.

(すごく緊張して わけがわからなかったけど 

何が始まるのか見極めようと必死だった)

 

待つことしばし。

7時を過ぎると、出席簿のようなものが回ってきた。

住所と名前、サインをし、日付を書きこみ、隣に回す。

 

同時に、30年配の男の人が、助手のような人と共に書類を配り始めた。。

そして、みんなの前に立ち、書類の説明と自己紹介を始めた。

 

彼曰く、「自分は弁護士で、名前は、××。

ここには勉強のため、ボランティア講師として来ている。」

 

彼が、注意事項を説明する。

 

このクラスは、今週と来週の2回受けなければならない。

2時間後に休憩が入るが、途中で 抜け出さないこと。

終わりまでしっかり出席しないと、始めからやり直しとなる。

       

講習中に雑誌など読めないから持ってこないこと。

 

食べ物、飲み物の持ち込み禁止、水のボトルだけは良い。

 

さらに、来週欠席すると予約を取り直して、一からやり直しとなるので

出席した証拠(その時配られた書類に自分のサインをして、。

インストラクターのサインを貰った物)を

コートに提出して始めて終了。

そこでようやく、減点は免除となる。

 

参考)カリフォルニアでは 交通違反をした場合 

罰金以外にトラフィックスクールを受けるためにお金を払って

それを受講すれば 違反の減点は免除になるといううれしい制度がある。

仮釈放のような措置で 猶予期間(スピード違反などは18ヶ月)が

与えられ その間無違反だと違反は帳消しになる。

 

「おいおい、途中で抜け出す奴がいるのかい?」

 

説明が終わると いよいよ講習が始まった。

 

突然、「この講習に出るのは何回目なのか手を上げろ」という。

「初めて?2度目?3回目?4回目、それ以上?」

驚いた事に2回目、3回目はざら、4回以上という人が何人もいた。

 

その次に、後ろの端から順番に

「なぜ違反切符をもらうことになったのか」を言わされた。

後ろから3列目くらいに座っていた私、

「やばい、スピード違反て英語でなんて言うんだろう?」

 

みんながなんていうのか聞いていると、

順番に、「スピード違反、一時停止違反、シートベルト未着装、

追い越し禁止違反」などと言っていく。

 

教室に居る大多数の人は、スピード違反(speeding)だった。

「そうか、スピーディングと言えばいいのね。」と、私。

「よかった、簡単だぜ!ホッ。」と、一安心。

 

驚いた事に、違反が何かを言った後に、

自分が捕まった状況を細かく説明し、

文句を言い始める奴がいるではないか。

 

皆、違反したことにちっとも反省の色が無いようだ。

違反をしてすまなそうにしている人は、一人として居ない。

その口ぶりは、「なんて私は運が悪いのか?」というもの。

 

「自分は、スピード違反だ。休日に*スクールゾーンで捕まった。

35マイルだった。休みで生徒は誰も居ないんだから、無意味だ。」

など、ごたごたといちゃもんとしか言いようの無い文句を

インストラクターに向かって、言い出す者まで居る。

*注)スクールゾーンは、時速25マイル(40キロ)以下

 

あっという間に2時間近く経ち、15分の休憩時間。

 

席を立つ前に、再び「最後まで出席するように」と、言われる。

「よっぽど途中でとんずらする奴がいるんだな―。」

 

休憩中、周りに、誰か助けてくれる親切そうな人が居ないか物色。

あわよくば声を掛けてみよう。

運が良ければ、何か教えてもらえるかもと

私のようにまごまごしてパニクッテル人は居ないか物色。

同類項ができれば何かと心強いなどと思ったが、

私の期待は無残にも裏切られた。

落ち着き払っている人ばかり。自分で頑張るしかなかった。

 

休憩時間が終り、席に戻る。またサインする紙が回って来る。

これが、後半の講習の始まりに出席していたという証拠になる。

 

違反の内容を、前半に続いて順番に述べる。

 

第1日目の講習は、こんな具合に進んだ。

 

残りの人達もまた、違反について、ある者は文句をいい、質問をし、訴え、

それについて意見のある者は発言し…。とにかくにぎやかだった。

 

自分は、「スピーディング」と、一言で自分の番をやり過ごしてからは、

気が楽になり、「まあなんてアメリカらしいんだろう」、と

皆のやり取りを聞きながら、緊張の中にも充分楽しめた。

 

定刻の15分前(10:45)終了。

最後にまた出席の紙が配られ、サインをして提出。

誠に厳重な出席確認である。

 

皆、我先にと部屋を出て駐車場に。

 

こんな夜遅くに外に出る事は皆無。怖さもあいまって家路を急いだ。

帰り道、どっと疲れていた。

聞き取りに全精力をかけているのだから無理も無い。

 

翌週、第2回目の講習があった。<つづく


初めてのトラフィックスクール 1

  • 2012.05.12 Saturday
  • 16:04
これは、1997年 アメリカ生活を始めて2年目の出来事。

隣の隣の隣町の教会でやっている無料の英会話教室に
必死で通っていたころ、次女がひざの靱帯を切断するという
怪我をした。

その日は 英会話教室のあと 娘をお医者さんに連れて
行かなくてはならず、急いでいた。
フリーウェーを 調子よく走っていたら
知らないうちに ポリスカーを追い越してしまったらしい。

私は あえなくポリスの餌食になり 御用となり
違反チケットを もらうことになった。
(いらないものをもらったってしょうがないんだけど・・・)

数ヵ月後、罰金を払い トラフィックスクールにいく羽目になった。

が、英語の理解力は 情けないほど頼りなく、しゃべれない、

聞き取れない、読んでも意味が解らない、という三重苦の真っ只中。

自分の言いたいことをしゃべれないのはもちろんのこと、

聞き取りは、膜のかかった絵を見ているようなもの。

いつもぼんやりとした情報しか得られない。

想像力をたくましくして、鮮明でない部分を補うという具合。

(あんまり今と変わらないね。いつまでたっても進歩していない)

しかし、時々想像力だけではどうにもならないこともある。

 

おまわりさんに捕まったときも 大慌てだったけど

その後。裁判所で行われる交通教室だなんて、

英語がわからなくて本当に大丈夫なのか?


しかし、心の隅にどんな物か見てやろうという好奇心も無きにしも非ず。

なんでもかんでも経験だからとポジティブ思考?

というより野次馬根性丸出し?!?!?!

 

はたして、その顛末は???

 

スピード違反で、切符を貰ってしまった私は、

トラフィック・スクールを受けることにした。

罰金を払うと、しばらくして案内が郵送されてきた。

 

そこには、オレンジ・カウンティー内の4つの裁判所(教室)と

いつ教室が開かれるかという予定が記されていた。

「裁判所(コート)で交通違反教室?なんだか怖い!」が、感想。

 

捕まったのは、アナ・ハイム(ディズニー・ランドがある)だった。

チケットに記された裁判所(出頭要請)はアナ・ハイムだったが

教室の場所は、家の近くの裁判所を選べる。

 

最寄りのニューポート・ビーチのコート(裁判所)を選んだ。

日時は、土曜日の8時間×1日講習(朝8時から午後4時)か、

ウィーク・デイの4時間×2日講習(夕方7時から11時)かの二者選択。

 

木曜日の4時間×2日間講習を受けることにした。

そして、場所と日時を電話で予約。

 

案内に、受付は6時開始、630分には受付が閉まる、とあった。

確か、遅れると入場できないのでくれぐれも時間厳守と記されていた。

当日、5時30分過ぎ遅れてはならじと家を出発。10分程度の道のり。

時間厳守と記されてあったので、早めに到着。

 

友人の一人曰く、「2分遅刻したら入れてくれなかった。

アメリカ人は時間にルーズだし、予約も入れてあるし、

2分くらいと思ったんだけど。」と嘆いていた。

 

確かに アメリカ人の時間の観念は、たいへん大まか。

しかし、トラフィック・スクールに関する限り時間厳守。

 

緊張でコチコチ。なにせ、たった一人で英語の中に飛びこむんだから。

知り合いも居ない。こんなちんぷんかんぷんで果たして用が足せるのか?

という心配もあった。

清水(きよみず)の舞台から飛び降りるとはまさにこれか?

 

 

5分前に目的地に着いた。すでに、人々は集まり始めていた。

車を裁判所の駐車場に入れる。パーキング・スペースはたっぷりあった。

大方が、勤めがえりらしい。

建物の前の広場に、入り口から3本くらいの人の列。

途中がぐちゃぐちゃしていてはっきり何本か判り難い。

どこの列に並んだら良いのか解らず、まごまごするばかり。

前の方(列の始まる入り口の辺り)まで、見に行ったり、

並んでいる人たちの会話に耳を澄ませてみたり。

しかし、知らない人に声をかけて尋ねる勇気は無い。

右往左往の挙句、やっと列にもルールがあると解る。

大きな違反、些細な違反というような具合に並んでいた。

 

並ぶ場所を確認後、しばらく時間があり、辺りを見まわす。

食べ物の移動販売トラックが、すぐ脇の道路に陣取っている。

教室は、この時間から始まり11時まで。

勤め帰りで、夕飯を食べられない人が多いに違いない。

この移動トラック食べ物販売は、おおはやり。

ハンバーガー、ホットドッグ、コーヒー、水のボトル等など、

思い思いの物を食べて、飲んでいる。

 

なんで、夕飯にこんな物を?

日本人の私には、この食べ物の感覚はちょっと???

が、彼らには、これらはりっぱな主食である。

何か飲み物でもと思ったが、列を外れてはならじと我慢する。

 

いよいよ受け付け開始。

入り口で、郵送された領収書を見せ、

どの教室に行くかを指示され、中に入る。

「裁判所ってどんなとこかな?」と思いながら、指定された部屋へ。

「うんうん!なるほど、裁判所だよ。」確かにコートである。

良くアメリカ映画に出てくるあの情景。

公聴席の部分に、席を取る。心細くて周りを見まわす。

アジア人らしき人はいるが、日本人とは限らない。

誰にも声を掛けられないまま、後ろの方の席に着き、待つ。

 

トラフィック・スクールは、定刻通り7時に始まった。

 

いよいよ始まった。(続く)

 

川柳 侮るなかれ

  • 2012.05.11 Friday
  • 11:51
 「川柳に見る100年のLAの歴史」と題して勉強会があった。

「サラリーマン川柳は面白い。ウィットがあって くすっと笑えて

楽しい。川柳には季語が要らない。だから、俳句のような

含蓄なんてないけど、面白おかしく社会を風刺すればいいのよね」

と 簡単に考えていたけど・・・違った!!

 

講師は 関三脚(せきさんきゃく)氏。「パイオニア川柳吟社」

100年前からアメリカで作られている川柳を集めて 後世に残す仕事などされている。

関氏によって 数時間で 川柳への見方が変わった。

彼のお話を掻い摘んで紹介すると・・・

 

アメリカには 100年の川柳の歴史がある。

それは、戦前の移民の苦労の中から生まれた川柳に始まる。

苦労と言葉で言うのは簡単だけれど 並大抵の苦労ではなく 

アメリカに行けば一攫千金と渡航業者に言われ来てみたが

聞くと見るとは大違い。

「こちらにも 金のなる木は無い と書き」(北米川柳道しるべより)

 

やっと生活の基盤ができて落ち着いた暮らしができるようになった人もいた。

「移民地の汗は 故郷に家も建ち」(北米川柳道しるべより)

 

が、第2次大戦に突入後、敵国人として収容所での暮らし、

「文無しの昔に還へる 収容所」(北米川柳道しるべより)

アメリカに忠誠をささげよと強要され、

日本を捨てたくない親とアメリカ人になりたい子供と

2つの祖国に揺れ動く家族、

何もなかった砂漠の中の収容所を耕して、

野菜畑を作ってしまう日本人たち。

「負けぬ気の汗に はかどる 農事班」(北米川柳道しるべ)

 

とにかく 日本人というのは優秀だということを証明してしまい

アメリカ人に脅威を与え、それがまたしても差別につながったという。

 

戦争が終わって収容所から出されて、家もなく財産もなく、職もなくし・・・。

子供を戦争で亡くした親たち。

ジャップと呼ばれ、差別の中で、散々な苦労をして・・・。

 

知れば知るほど涙がでる。

 

でも、もっとすごいのは、それを川柳で笑い飛ばす余裕。さすがだね。

 

日本の移民は長い間土地を買えなかった。

土地を持てない彼らはガーデナーと呼ばれる庭師の仕事で生計を立てた。 

だから 戦前から戦後に移民して来た人たちにはガーデナーや

農業を営む人が多いという理由はそこにある。

「民族の血と汗 加州を 緑とし」(ガーデナー風雲録より)

 

 

関氏のお話を聞いて 自分がそういう彼らと同じ祖国をもつ日本人であることに

とても誇りを覚えた。

川柳というのはただのお遊びじゃない。

苦労で息絶え絶えになりながらも、その中に誇り高い日本人気質が

垣間見える。もしかしたら川柳を詠むことで 力を得ていた人が

いたかもしれない。川柳が、絶望を笑い飛ばす力になったかもしれない。

 

そして、後から生まれてきた私たちは、それを読むことで 彼らの生きた証を

うかがい知ることができる。すごい。

 

川柳 侮るべからず。


アメリカに来て2年

  • 2012.05.10 Thursday
  • 06:48
知人の娘さんが 16歳の誕生日を迎えたという。
アメリカに来て2年が経ったそうだ。

FB(フェイスブック)に 
2年前、「アメリカには行きたくない」と泣いたというその子に、
「よくがんばったね」
と お母さんから その娘さんへの言葉があった。

それを見て 思い出した。
私たちにもそんな時期があったことを。

アメリカのことを なにもわからなくて
必死だった最初のころ、
誰も英語がしゃべれなくて 聞き取れなくて
ちんぷんかんぷん。
慣習や制度やら 何もかも違う国に飛び込んで
毎日 右往左往したっけ。

今思うと どうやって毎日 暮らしていたのかな?

車に乗らないと何にも用を足さないけど
右側通行が 怖くて 運転もままならず・・・・

一番近いスーパーへ運転するのも 手に汗にぎり
必死の思いで 出かけ・・・。

そうそう、歩く人のいないこの国で
娘たち2人を 高校まで 歩かせたっけ。

歩いているうちの娘たちを 近所に住む日本人のお母さんが
同じ高校に通っているお子さんを送り迎えするときに通りかかり
親切に車に乗せてくれたということが 何度もあった。

当時お世話になった皆さん、ありがとうございます。

いっぱい いーーぱい 赤っ恥をかき
たくさんの人に 助けられた。

アメリカに住む限り 日常生活のいろいろは 自分である程度の英語を
話して対処しないことには 始まらない。いちいち何かのたびに
ほかの人に頼まないとことがすまないのでは 迷惑をかけるし、
自分も 不便ということを ひしひしと感じて 無料のアダルトスクールに
せっせと通ったっけ。

とにかく 早く日常に不自由しない英語を身につけようと 必死だった。

娘たちも 学校で四苦八苦していたに違いないが
そんなことに気を配る余裕もなかった。

我が家の次女は、このFB(フェイスブック)のお嬢さんと同じ年齢で
こちらに来た。突然 アメリカに来て すごく大変な思いをした。
ただ、英語がしゃべれないだけのことだったのに、
自分はできないと思ってしまった。そして、勉強や学校が 
大きらいに なってしまった。

彼女は「2年間 日本へ帰りたいよう」といい続けた。
しかし、日本には 帰るところもなかったので、我慢したのだった。

そして、紆余曲折。彼女の人生 順当というわけには
行かなかったが、働きながら大学の単位を取り
大学にもう一度入学し、数年前に 州立サンディエゴ大学を無事卒業。
それだけでも 立派と思っていたら、
なんと 卒業シーズンの今、最優秀学生ということで 大学から
「卒業式のランチョンにいらっしゃい」という招待状が 来たという。
次女は ちょっと自慢気だった。

その話を あの車に乗せてくれた親切な近所のお母さんに話した。
そのご近所さんとは 17年のときがたち、今 かなりの仲良しなんだけど
「えーー、すごいねえ。感動して涙が出ちゃう!あのxxチャンが・・・」
と泣いてくれた。

そんなにすごいことなんだあ と 私も改めて感心したんだけど
ほんと、つらい時代も あったのよね。

フェイスブックの書き込みを見て しばし感慨にふけったのだが
FBの知人の娘さんは 同じ2年目でも 順調にがんばっている様子 
すごいなあ。

JUGEMテーマ:学問・学校
 

できる子は お先にどうぞ!

  • 2012.05.09 Wednesday
  • 09:35
アメリカの学校は、かなり融通が効く。
入学の対象年齢など、とてもいい加減。

日本の学校のように 何年の何月生まれだから この学年と
決まっていない。
自分の子が学校に行く年齢になったと思ったら
親は自分で 地域の学校の入学手続きをする。
キンダーへ入るとき 朝早く並んばないと
望んでいる午前中のクラスに入れないということもおきる。

日本のように お役所からのお知らせは来ないので
要注意だ。

アメリカの義務教育は、キンダーガーデン(=幼稚園年長)から 
高校まで つまり、Kから12までの13年間。
キンダーの教室は、小学校の敷地内にあり
子供達はそこで 1年間 小学校1年生になる準備をする。

そのあと 大抵の子供は 小学校へ進むが、
もし親がその時点でその子には もう一年準備が必要と思ったら
もう一年キンダーに行くことも可能だ。

慌てて一年生になっても準備ができている子ばかりとは限らない。
スタート地点でもう少し時間のかかる子もいるので 
無理して進級せず その子供にあった時期を選べるということは
子供にとっても いいことだと思う。

遅らせることもできる反面
できる子はどんどん前に進むこともできる。

飛び級や早卒など 本人に能力あれば、年齢などに関係なく
先に進むことだって可能性だ。

そして、高校生になると 高校の授業で大学のクラスを取れるというのも 面白い。
それらは、AP(アドバンストプレースメント)クラスと呼ばれている。

大学生が取る授業と同じなので それらはとても難しいらしい。
高校生にとって 大学の授業は やはりチャレンジングなのだという。

なぜ、無理をしてそんな難しいクラスを取るのだろう?
と、受験生の娘に尋ねると、彼女の答えは
「だって、できる子が能力を発揮できないのは かわいそうでしょう。
できるんだったらどんどん前に進むべきでしょう」
との答え。
娘は私立校へ通っているのだが、学校の評判を高めるためにも
学校としても子供たちにがんばらせるのだそうだ。

取ってしまえば大学で取らなくてもいいので
子供のためにもいいことなのだ。

日本の受験戦争が凄まじいというのは知っている。
が、アメリカのそれも 相当のものらしい。

ただ、受験だけが人生ではなく、そこはアメリカらしく
いったん社会へ出てから 大学に戻ることも珍しくない。
道は 一つじゃない。

できる子はどんどん前に、
反対に のんびりと道を探して進むなら それもよし。

横並びでなくていいのだ。

JUGEMテーマ:学問・学校

目立たないといけない!

  • 2012.05.08 Tuesday
  • 12:44
アメリカの学校は 面白い。
日本と違うことがたくさんある。

アメリカの学校は、日本と違って、生徒の横並びを決して推奨しない。
生徒は良い子である必要はなく、常にユニークさを求められる。

日本の優等生というと、「おとなしくて余分なことは言わず
成績がよく 控えめ」という子が いいとされる。
(私たちが子供のころはそうだった。今もそうだろうか?)

日本には謙譲の精神があり、「能ある鷹は爪を隠す」という諺の
通り、できる人ほど控えめでおとなしいほうがいい。

けれど  こちらでは正反対。
いくら成績が良くても おとなしい子は  評価されない。
みんなより一歩も二歩も三歩も先に出て
目立つことが 良いことだとされる。

恥ずかしがって授業中になにも言わないのに
テストでは、いい点数が取れるという場合、
「点数が取れているからいいでしょう」ということには
なかなかならない。
そういう子は、褒められるどころか、
先生から もっと授業に参加するようにと 注意される。

日本からアメリカにやってきたばかりの子は
英語もおぼつかず、遠慮っぽくなる。
そして、たいていの子は 礼儀正しくておとなしい。

日本では 普通だが、こちらでは 誤解されやすい。

日本人は、目立つことに慣れていないので
非常に 戸惑うことになる。

それとは対照的に、アメリカの子供たちは
小さいときから(学童期にはいるとすぐに)
みんなの前に立って プレゼンテーションの訓練が始まる。

学校から出された課題は プロジェクト呼ばれ
その作品を みんなの前で プレゼンテーション( 発表)する。

それを毎年積み重ねて行く。

最初は 簡単なことから始める。
年齢が進んで行くに連れて
プロジェクトは難しくなって行く。

大人になって 社会へ出たときに みんなの前で堂々と
自分の考えを 発表できるように 小さなときから 訓練するのだ。
だから 総じてこちらの子供たちは堂々としている。

しかし、映画などで時々 からかいの対象になる恥ずかしがり屋さん、
シャイ(shy)な人が いないはずはない。何処かに いるはず。

・・・映画などの場面を 色々思い出して見る。

すると面白いことに気がついた。

映画の中の場合だが、成功している人に シャイな人は
出てこない・・・ような・・・。

もしかしたら、この国でできる男、できる女になるためには
シャイではダメなのかもしれない。

シャイなキャラクターもいないわけではないけれど
バリバリの成功者という設定の人ではないようだ。

もしシャイだけれども 成功者という設定ものがあったら
教えてください!

JUGEMテーマ:学問・学校

どうしても薬が必要なときは・・・

  • 2012.05.07 Monday
  • 10:32
最近 まごまごが頻繁に遊びにくる。

ということは その両親もついてくる。

というか、長女夫婦にまごまごが連れられてくるのだが・・・。

 

彼らはパサデナに住んでいる。車でフリーウェーを走って

1時間ほどの距離だ。渋滞などに巻き込まれると1時間半以上

かかることもある。距離にすると100キロほど。

 

子供(まごまご)がいないときは あまり泊まらなかった娘夫婦だが

最近は まごまごに会いたい私たちの気持ちを察してか

よく遊びに来てくれて お泊りをしていく。

 

昨日も近くに用事があって出かけてきたといい、お泊りにやってきた。

 

みなで囲む夕食は、日が長くなり、暖かくなったので 久しぶりに庭で

バーベキューだった。楽しく食べておなかも一杯になり 大満足。

夜も静かに更けていき、一日中出かけていたまごまごは眠たくなった様子。

 

そろそろお風呂に入って寝る準備というころになったとき、

婿が「洗面道具を入れた袋が見当たらないんだけど・・・」という。

歯ブラシや娘のめがねやコンタクトレンズの保存液やケースといった

必需品を詰めた袋をそっくりそのまま自宅の洗面所に忘れてきたという。

その中には 婿の喘息の発作を止める薬も入っていた。

 

さあ、大変だ。

 

婿はアレルギーがあり、喘息の発作が起きると息ができなくなるので

それなしに お泊りするなんて 危険だ。せっかくお泊りのつもりで

やってきて、リラックスして お酒も飲んだりしたのに。

予定変更で、気持ちも切り替えて、帰宅しなくてはならない。

 

何とかならないか??

まごまごが帰ってしまうのは 寂しいので 知恵を絞る。

薬さえあれば・・・???

 

そうそう、彼のかかりつけのお医者さん(ホームドクター)に連絡して、

近くの薬局に喘息の処方箋薬を出してもらえばいいじゃないの?

と、ひらめく。

 

土曜日の夜だけど、ドクターには 緊急の場合は いつでも電話が

つながることになっているから、24時間営業の薬屋さん(ファーマシー)が

近くにあれば ドクターから 薬屋さんに連絡をしてもらい、薬を出して

もらえばいい。泊まるなら 何とかして薬を手に入れるしかない。

 

まずは、営業している薬屋さんを探す。夜の9時を過ぎているので

やっているお店は少ないけれど、どこかにあるはず。

 

こんなときは、インターネットが大活躍。いろいろ探すと

見つけることができた。近くに24時間やっているところが。

お店を確認してからドクターに緊急の旨を伝える電話をする。

 

一時間も費やしただろうか?なんとかドクターからの返事もあり

連絡がついた。ウィークエンドの夜だし そんなにスムーズな連絡とは

いえなかったけれど とりあえず つながり、そこから薬屋さんに

向かった婿が お目当ての薬を手にして家に戻ってきたのは

11時近かった。

 

なんと 3時間もかかったけれど 薬が手に入ったので

無事にお泊りが実現し、良かったなあ。

 

それにしても、そのために3時間。大変だったね。お疲れ様。

 

おかげ様で 日曜日も一日まごまごタイム。癒されるーー!

 

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